イエスの凱歌 彼ら讃美を歌ひてのちオリブ山に出てゆく――マタイ26の30 何かの折ふしに、私共はよく歌ひたい気持になることがあります。嬉しいことがあった時、喜ばしい事件に遭遇した時、心は自然に躍り立って、歌が唇を破って出て来る場合がよくあります。無邪気な子供の歌を聞いているうちに、自分も何時か子供の心になって、あどけない歌を一緒に歌っていることに、ふと気付くようなことも、度々私共の経験するところであります。 去年のある暑い日の午後でした。焼けつくような夏の太陽がペーブメントに照り返して、シャツ一枚になっていても汗のにじむような時でした。来客と対談中、突然爽快な夕立が訪れて来ました。思はず私の口を突いて出たのは、 「めぐみの雨よ……」といふ讃美歌の一節でありました。 歌は、人の喜びの自然な現れであります。歌ひたい気持は、人の心の平和な姿であります。 併しながら、こうした軽やかな気持や、平和な心から、歌が自然に口に出て来るというのではなくて、全然異った今一つの場合があることを思い返して見なければならないと思ひます。 即ち、歌う心は、喜びに躍り、感謝に溢れた心だけではないのであります。たしかに多くの歌は喜びに満ちて歌われます。或いは、静かな感謝の心から、または平和な讃美の思いから歌われます。 併しながら、ある歌は又、悲しみの底に沈んだ悲痛な心から歌われるのであります。苦しみに悩み、憂いに閉ざされた心も亦歌わんとする深刻な願いを持つのであります。逆説的な言い方でありますが、人は往々にして、歌わずには居られない程の苦しみを経験します。 曽て、「だだわが涙のみ昼夜そそぎてわが糧なりき」(詩42の3)と歌った詩篇の作者は、同じ詩の中で、「夜はその歌われとともにあり、此うたはわがいのちの神にささぐる祈なり」と歌いました。 歌うことだけが唯一の慰めであり、唯一の力である場合を、私共は度々経験します。「此うたはわがいのちの神にささぐる祈なり」――時に歌は、神に捧ぐる切実な祈であります。私はこの歌を、「讃美を歌ひてのちオリブ山に出でゆき」給うたイエスの歌に見出すのであります。 エルサレムの二階座敷に於ける最後の晩餐は終りました。ヨハネ伝14章から17章に記されたように、イエスの綿々として尽きざる教えは語り終えられました。弟子達の心は、何かしら不安な思いに閉ざされて居りました。 しかも彼等は、聖書に明記されていますように、讃美しつつオリブ山に出でゆいたのでありました。私の想像を許して頂くならば、暗い気持に閉ざされた弟子達は、誰一人として口を開く者はなかったに違いないと思います。この讃美の歌を最初に歌い出したのは、イエス御自身であったと、私は思うのであります。 いま暫く、此処に至るまでのイエスと弟子達とを考へて見たいと思います。 抑もエルサレムに入ることは、弟子達の等しく避けんとした所でありました。ただイエスのみは、「聖なる都」に於いて過越の食卓を守りたいと望まれました。彼は、「先だち進みてエルサレムに上り給う」たのでありました。 イエスが屡々語り給うたその「時」は、来ました。神の時計は、今にも最後の時報を告げんとして居りました。それは人としてのイエスの最後の時間であると共に、人類の新しい黎明を告げ報せんとする時の鐘であります。 この時、使者は来って、「主、視よ、なんじの愛し給うもの病めり」と伝えました。ラザロの甦りの記事は、余りにも有名でありますから、既によく御高承の所に違いありません。ラザロの墓でイエスは泣き給いました。私共は此処に、人間イエスの真実な姿を見出すのであります。私共と同じように、イエスは飢え給いました。疲れもすれば、淋しさも苦しさも、私共と同じように味い給うたのでありました。私共は此処に、近づき難い神としてではなく、親しみやすい我等の友、人の子イエスの姿を仰ぐのでおります。 この時、イエスの眼には涙がありました。限りなく清く、限りなく深いイエスのこの愛の涙こそは、人の罪を赦し、汚れし霊を救い給う神の恩寵であります。 この頃、人々は過越節を守るために、エルサレムに向って集って居りました。べタニヤを通る人々の数は、幾千幾万なるを知らぬ有様でありました。かかる時に、このベタニヤに於いて死にしラザロを復活せしめることは、イエスに取っては特殊な意義があったことを考へざるを得ません。 イエスは既に、群衆の中から身をひいて居られたのでありました。群衆に呼びかけ、群衆を導く伝道は、この頃イエスは既にやめて居られました。イエスの伝道は、ある特殊な個人を静かに導くことに向けられて居りました。殊に十二人の弟子を育て、彼等を教へ導くことにイエスの努力は注がれて居たのでありました。 しかもこの時、イエスはラザロを復活せしめ給ひました。時は過越節の直前であり、所は幾万の人々が群り過ぐるべタニヤの村であったのであります。イエスは勿論、べタニヤに起った一つの事件は、其処を過ぎ行く多くの人々を動かし、それは又忽ちエルサレムに噂の渦を巻かしめることを、十分承知して居られたに違ひありません。 しかも、この時、この場所で、イエスは復活の奇蹟を行い給うたのでありました。イエスに取っては、これは意義深い出来事であったと思ひます。イエスは、これを転機として、再び群衆の中に躍り込み給うたのであります。これは、言はばイエスの所謂転向であります。群衆から個人へ、そして再びイエスは群衆に帰り行き給うたのであります。エルサレム入城を前にして、イエスは此の時、固い決意があったことと私は思うのであります。 イエスのエルサレム入城については、此処に詳しく申し述べる必要はないと思ひます。人々は上衣を敷き、棕櫚の枝を投げて狂喜しつつ平和の主を迎えたのでありました。「ホザナよ、主の名によりて来る者は幸なり」歓呼の声は巷に満ち、全市を揺がしました。 併しながら、イエスは、騒ぎ立って自らを迎えるエルサレムの町をのぞんで、悲痛な嘆声をもらし給ひました。「ああエルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、遣わされたる人々を石にて撃つ者よ、牝鶏のその雛を翼の下に集むるごとく、我なんじの子どもを集めんとせしこと幾度ぞや、然れど汝らは好まざりき」――歓呼の声に包まれながら、イエスの心には、拭ひきれない一抹の淋しさがありました。預言者の悲哀であり、大能者の寂寞であります。 かくてイエスは、エルサレムのある二階座敷で、静かに過越の食卓を守られたのでありました。其処がどういふ人の家であったか不明であります。恐らくマルコの母マリヤの家の二階ではなかったと思ひます。此処でイエスは先ず弟子達の心を、愛を以て鞭ち給ひました。イエスは静かに腰をかがめて弟子達の足を洗い給うたのでありました。弟子達に取っては、大なる驚異でありました。否、大なる恐怖でありました。彼等はこのイエスの無言の説教に胸を刺されたのでありました。彼等は、やがて来らんとする最後の時を控えて苦悩し給うイエスの心事を理解することも出来ないので、ただ徒らに来るべき神の国に於いては、誰が最大の者であるか、誰が最高の地位に即く者であるか、といふことをのみ論じ合っていたのでありました。 かかる彼等に取って、主自ら弟子達の足を洗い給うたということは、驚くべく恐るべき教訓でありました。弟子達の心は、このイエスの限りない愛によって砕かれ開かれました。ただ彼等の心の中には、絶えずまつわる不安がありました。彼等は極力イエスのエルサレム入城をとどめようと努めたのでありましたが、遂にイエスは、このエルサレムの群衆の中に身を投じ給いました。今も尚お絶えず弟子達の心に浮んで来るイエスの言葉があります。「人の子は人の手にわたされ、人々は之を殺さん」ガリラヤに於いて主の語り給うた言葉が、弟子達の心に絶えず不安な影を投げて来ます。彼等はこの暗い影に押しつぶされて、ただ恐れ戦いて居ります。 しかも彼等は、やがて歌を歌ひつつオリブ山に出でゆいたのでありました。その歌は、詩篇の百十三篇から百十八篇に至るものでありました。それはエホバの恵みを讃へ、大能の御手を讃美する歌であります。其処には、神に頼り、神によりすがる心が歌われて居ります。それは神を讃うる歌であり、信頼と帰依とを讃美する歌であります。 イエスの歌声は、オリブの山の静寂を破ってこだましました何の不安も恐れもないイエスの歌声に引き入れられて弟子達も声を合せました。 イエスの公生涯が三年であったか、或いは一説の如く一年半位であったか分りません。とに角イエスは今、此の静かな環境の中で、過ぎ越し方の幾年月を回顧されたのではなかったかと想像されます。ナザレの、ガリラヤの、或いはユダヤ、サマリヤの、様々の場面が今イエスの眼の前に絵巻物となって繰り展げられて来たことと思ひます。或いは山に野辺に、木蔭に、或いは湖畔に人里に、めまぐるしかった伝道の月日が、今イエスの心に甦って来たことと思ひます。 たどり来てふり返り見れば山川を 越えては越えて来つるものかな 最近共産党の一指導者は、獄中からの書簡の中に、波瀾の多かったその過去をふり返ってかく歌ひました。イエスに取っても、この感慨は更に深いものがあったと思ひます。ただイエスは決して陣営の廃兵ではありませんでした。イエスは退却もしなければ、敗北も没落もしませんでした。 オリブの山にこだました彼の歌は、神を信じ神に頼る者の苦悩から解脱した勝利の歌でありました。それはイエスの凱歌でありました。 曽て英国の詩人ブラウニングは、その詩「少年と天使」の中に於いて、少年セオクライトが仕事部屋で働きつつ歌っていた彼の歌がやんだ時、宇宙のコーラスが破れたと天使をして言わしめました。心をこめて神を讃美する我等の歌は、宇宙の大コーラスに合せて歌う讃美であります。 イエスは十字架の彼方に輝く栄光を望み、カルバリーの丘の彼方に完成さるる人類の救いを思って、オリブの山に歌い給ひました。我等は今、イエスと声を合せて宇宙の大コーラスに参加するものでありたいと思ひます。我等一人の歌声は、余りにも弱く、余りにもはかないものであると思はれるかも知れません。併しながら、我等一人の歌声が消える時、実に宇宙の大コーラスは破れるのであります。 我等は十字架を取りつつ歌います。それは喜びの讃歌であります。平和の歌であります。併しながらそれは時として、激しい戦を鼓舞する戦闘の歌であるかも知れません。更に又時としては、苦しみ、悩み、嘆きの悲歌であるかも知れません。併しながら、かかる人生の悲歌も、遂にはイエスの勝利の声に和して、神を讃うる凱歌として捧げられることを信ずるものであります。 我等は常に十字架の歌を、愛の歌を、勝利の凱歌を、イエスと共に歌い、宇宙の妙なる讃美を神に捧ぐるよき歌手でありたいと祈るものであります。 編者による注; l この説教録は昭和9年2月に「開拓者」に掲載された阿部義宗牧師のものです。 l 掲載にあたり、現代の多くの人に読みやすいように漢数字を英数字に、原文の雰囲気を壊さない程度に旧かな使いを新かな使いに変え、読みにくい漢字にはふりがなを加えるなどしています。原文の雰囲気をお望みの方はどうぞ原文「阿部義宗 遺稿集」をご覧ください。 ――了―― |