「私 の 信 仰」

 

阿部 義宗 談

 

 私に与えられた題は「私の信仰」というのであります。信仰を理論的に説明することをやめて、私は簡単に、私がどうしてこの信仰に入ったかということを申し上げれば、その「私の信仰」がおのずからわかると思います。

 

 私は青森県の弘前に生まれました。思えば今から五十三年前、二十世紀の初頭に、″二十世紀大挙伝道″という、キリスト教の日本を挙げての大運動があり、当時のキリスト教会の指導者の一人であった本多庸一先生が、東北地方の巡回に来られて、弘前でもその講演会が開かれたことがありました。そのころ十五、六歳の中学生たちはこぞって出かけて、本多先生の講演を聴いたのであります。

 

 本多庸一先生は津軽藩の留学生として、明治の初め横浜のブラウン塾に遣わされました。それは英語を学ぶためでありましたが、郷里の弘前に帰るときに、英語に加えてキリスト教というものを持ってこられたのであります。そして明治七年に、弘前に東北最初のキリスト教の教会を開設されました。

 

 そしてまた、当時津軽藩の学校であった、弘前の東奥義塾の塾長となりましたが、そのため信仰即行の気運が起こって、まことにめざましいものがありました。後の侍従長になられた珍田捨己伯爵、あるいは今の参議院議員である佐藤尚武さんの父君、佐藤愛麿米国大使らは、そのころの青年学徒として東奥義塾に学んでおりましたが、同時に信仰に入ったのでありました。

 

 こうして本多先生によって培われた弘前の地に、キリスト教の力がその基となったことは申すまでもありませんが、先に申しましたように“二十世紀大挙伝道”の一つとして、本多先生が弘前の地を訪ねたことは、さらに大きな意義を持つものでありました。そしてそのとき、十三人の青年がそろってキリスト教の信仰に入ったのであります。そのうち一人は私でありました。今日までどうにかキリスト教の信仰を持ち続け、キリストの仕事に携わりながら、感謝の日々を送ることができるようになったのであります。

 

 しかるに、キリストの信仰に入った人々の動機を聞いてみますと、かなり多くの場合、自分の犯した罪を悔いて入信する人もあり、また、失望、落胆の結果、自殺の一つ手前に入信した者もあり、あるいは深い心の悩みにくずおれて、そしてキリスト教の信仰に入るというような人がかなり多くあるのであります。

 

 ところが私は、そうした人々とはまったく違った経路でキリスト教の信仰に入ったのでありますが、五十三年に及ぶ長い浮き沈みの多い生活のうちに、いくたびか倒れたこともあり、ときにはもはや立ち上がり得ないだらうと思われるような、精神的な打撃を受けたこともありましたが、いつもそれらを克服することができた一つの信仰、それはいわば英雄崇拝的な動機から入った信仰といってよい。そういうものが「私の信仰」の土台であります。

 

 すなわち、若いころキリスト教的な雰囲気のうちに育てられ、養われた私の心のうちに定かに据えられた信仰の土合というものが、今日まで少しも変わらずに私を引きつけているのであります。しからばどうして、キリスト教の信仰がそんなに強く、また深く、私を惹きつけるのでありましようか。五十三年のあいだ、否、おそらくこの世を終わる日まで持ち続けるであろうその信仰が、どこに値打ちがあるのでありましようか。

 

 それはただ、敵をも愛するという、キリスト教の超人間的な愛の信仰、神の子であるキリストが今なお私の心のうちに大きな力を与え、キリストの愛、わがうちに迫りきたるという、しかも毎日毎日キリストの愛に励まされておる、その思いがうちに燃やされておるのが私の信仰であります。

 

 キリスト教には、その形式において教会があり、あるいはキリスト教主義の学校があり、また社会事業があります。ある意味で、それらはキリスト教を伝える母体でありましよう。もちろん、それ自身がキリスト教だということはできないのであります。教会は切磋琢磨していくという点において、信仰が培われていく一つの道場であります。またキリスト教主義の学校も、またキリスト教主義の社会事業も、キリストの心を持って世の中の人々に奉仕をしようという、一つの大きな力であります。しかし、信仰の本質は、一人ひとりの心のうちに、キリストの愛が燃えることであります。教会も、学校も、社会事業も、すべてはキリストの愛に燃える多くの人々の心によって、大いなる働きがなされるのである。かくして信仰は、きわめて個人的なものでありますが、同時に広がって社会的になり、また世界的にもなるのであります。

 

 明治の初め、当時の侍であった青年たちが決心して、キリスト教が立ち上がる。その信仰が今日に及んでおるのであります。私もその流れをくむ一人として、その伝統に生きることを喜びとするものであります。ダイヤモンドには、それを入れる立派な箱も、また包装紙も、そしてまたきれいなリボンも必要でありましよう。しかしながら、ダイヤモンドの値打ちは、決して箱でもなければ、包装紙でもない。またリボンではもちろんありません。ダイヤモンドは箱の中にサンとして輝くところのものがダイヤモンドである。それと同じように、人間をして、真の人間たらしめるものは、キリストの愛による信仰の輝きであります。それが「私の信仰」であります。

 

 いろいろなものがその信仰に付随してまいります。教会生活、あるいは学校生活、社会生活、しかしながらその信仰の本質は、すなわち自分のうちに生きるキリストの愛である。その信仰の輝きが、すなわち私の信仰でございます。

 

編者注;

l  本稿は阿部義宗牧師が昭和30年10月15日、日本文化放送でラジオ放送した録音を遺族の方が文字起こしをしたものです。

 

――了――