風は思いのままに吹く

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イエスはどういうふうに一人一人と関わってくださるのでしょうか。

そのことを、ニコデモという人を通して学びたいと思います。彼はヨハネの福音書にだけ、しかもそこに三回登場する人物です。

まず注意しておきたいことは、ニコデモが初めて第一回目に登場してから第三回目、つまり最後に登場するまでに二年間という時の経過があることです。

たった二年間と思われるかもしれませんが、イエス・キリストが活動されたのは三年間、それよりももしかして短かったかもしれませんから、二年間というのは、イエスの活動された時にほぼ匹敵する期間なのです。

つまり、イエスの活動された初期から終わりのころまでに、一定の間隔を置いて三回登場してくるのがこのニコデモという人であり、その点たいへん興味をそそる人物です。

第一回の様子は、次のとおりです。

 

「さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。

この人が、夜、イェスのもとに来て言った。『先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。』

イエスは答えて言われた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』

ニコデモは言った。『人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。』

イエスは答えられた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。』

ニコデモは答えて言った。『どうして、そのようなことがありうるのでしょう。』」       

ヨハネの福音書3章1〜9節

 

ニコデモが属していたパリサイ派というのは、厳格に信仰生活を守ることでユダヤ社会のリーダーとなっていた人々で、その数は当時約六千人ほどいたといいます。

彼らは皆、自分たちは間違いなく神の救いにあずかれると自負し、特権階級を形づくっていました。そして、イエスのような、当時無名の一預言者として活動した人を軽蔑し、その活動を抑えつけようとしていました。

ニコデモは、そういう普通のパリサイ派の人とはちょっと違い、求道的と言いましょうか、謙遜と言いましょうか、自分の信仰はこれでいいのだろうか、と反省するところがある人であったようでした。そして、あるときニコデモは、イエスのところに救いについて教えを請いに来るのです。

といいましても、誇り高いパリサイ派ですから、イエスに教えを請うのはちょっと格好が悪い、そこで人目を憚ってこっそりと夜やって来るのです。

 

ニコデモの質問に対してイエスはいろいろ言われますが、要するに「新しく生まれなければ」と悔い改めを求められます。そして、「風は思いのままに吹く」という謎のような言葉を語られました。

このイエスの言葉を、ニコデモはいったいどのように聞いたのでしょう。「パリサイ派のわしに向かって悔い改めろとは生意気な」と怒ったでしょうか。無視したでしょうか。聖書はそれについて何も書いていません。

しかし、それから一年半くらい経ったころに、ニコデモは再び登場するのです。それを伝えるのが7章45〜52節です。

 

「それから役人たちは祭司長、パリサイ人たちのもとに帰って来た。彼らは役人たちに言った。『なぜあの人を連れて来なかったのか。』

役人たちは答えた。『あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません。』

すると、パリサイ人が答えた。『おまえたちも惑わされているのか。

議員とかパリサイ人のうちで、だれかイエスを信じた者があったか。

だが、律法を知らないこの群衆は、のろわれている。』

彼らのうちのひとりで、イエスのもとに来たことのあるニコデモが彼らに言った。

 『私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか。』

彼らは答えて言った。『あなたもガリラヤの出身なのか。調べてみなさい。ガリラヤから預言者は起こらない。』」

 

この箇所によりますと、そのころイエスの名声が高まって、イエスを信じる人が増えてきていたようです。これは、イエスに反対をしていたパリサイ派の人たちには甚だおもしろくありません。それで、イエスを捕らえようとして役人を派遣します。

ところがその役人たちは、イエスを捕らえに行ったのに、逆にイエスの教えに圧倒されて、すっかり感心してしまって、とても捕らえることができずに、手ぶらで帰って来てしまったのです。

パリサイ派の人たちは怒りました。そして、「なんと情けない奴らだ。おまえたちまでイエスに丸め込まれたのか」と叱っているところに、ニコデモが再び現れたのです。繰り返しますが、第一回目の時より一年半後のことです。

ニコデモは怒っている仲間のパリサイ派の人たちをたしなめて、「人の言い分をよく聞き、人のしていることをよく知ったうえでなければ人を裁けないじゃないか。われわれはイエスの言い分をよく聞いているわけでもないし、イエスのことをよく知っているわけでもないのだから、そんなに怒らないで、イエスの言うことを聞いてみようじゃないか」と言いました。

パリサイ派の人たちはそれを聞いて、「おまえはイエスに味方するのか。おまえもガリラヤ出身か」と言ってニコデモを嘲笑したのです。これが、ニコデモが聖書に出てくる二回目の様子です。

イエスをかばうようなことを言ったら、仲間から軽蔑、嘲笑されることは、二コデモには初めからわかっていたことでしょう。しかし、それを承知で仲間をたしなめたのです。

ですから、この時のニコデモは、一年半前、夜ひそかにイエスのもとに行った時の彼とは、少し様子が違うことは明らかです。ここにはもはや、人目を憚ってコソコソと夜、イエスのもとに行った時の姿はありません。ニコデモのこの変化は何を意味するのでしょう。

それはおそらく、「新しく生まれなければ」と悔い改めを要求したうえで、「風は思いのままに吹く」と謎のように語られたイエスの言葉を、あの一回目の夜以来ずっと考えてきたことを示しているのでしょう。

あの夜以来、ニコデモは一日の休みもなく、あのイエスの言葉を考え続けたのではないか。「新しく生まれなければ」という、パリサイ派の自負心を傷つけるイエスの言葉を噛み締めながら、また「風は思いのままに吹く」という言葉を考えながら、人知れず迷い、苦しみ、心の中で葛藤を味わってきたのでないか。そしてイエスの言われたことの真理性に、次第に圧倒され続けていたのでないか。

あの夜以来の葛藤があればこそ、ニコデモはこの第二の場面では、第一の場面のように夜ひそかに人目を憚るような態度ではなく、イエスを弁護する態度に出たのではないでしょうか。

さて、それから六か月ほど後に、ということは、第一の場面のあの夜から考えると二年後になりますが、19章38〜42節に、ニコデモは三度目の登場をするのです。

 

  「そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした。

前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。

そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。

イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。

その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。」

 

この時、イエスはすでに十字架上で亡くなっておられました。そして、その遺体の葬りの許可を得たヨセフに協力を申し出たのがニコデモなのです。

パリサイ派からいえば、敵として殺されたイエスを丁重に葬ろうと手助けをするのですから、これはなかなか勇気のいることです。しかし、ニコデモはイエスを懇ろに葬ったのです。これは何を意味するのでしょう。

ニコデモはイエスが十字架で死んだとき、やれやれこれで心の重荷になっていた人がいなくなった、あの夜以来の悩みは終わった、とは思わなかったようです。

むしろ、申しわけないという気持ちを抱いたのではないでしょうか。おそらく彼は、あの夜以来、日増しにイエスの言われたとおり悔い改めるべきだと思いながら、パリサイ派のプライドを捨てかねて、その面子にこだわり、ついにイエスの在世中、明白にイエスを信じることがなかった申しわけなさに、胸が張り裂けそうであったと思われるからです。

だからこそ、せめてもの償いに、イエスの葬りに協力するという行為に出たのだと思います。ニコデモにそれをなさしめたもの、それはあの夜以来の二年間、イエスの言葉が心にずっと課題として生き続けたということでしょう。

さて、その後のニコデモはどうなったでしょう。もう聖書は何も伝えていません。しかし、教会は昔からニコデモについて次のように言い伝えてきました。

新約聖書が全部で27巻ある現在の形にまとまったのは、四世紀のことと言われますが、その時まで教会で用いられながら、結局この27巻の中に採用されなかった書物がたくさんあり、それを普通「新約聖書外典」と言います。その外典の一つに「ピラト行伝」というのがあって、その著者がニコデモであると言い伝えられています。

これは事実かどうかわかりません。しかし、こういう言い伝えがあるということは、ニコデモがイエスを葬った後、どこかへ消えてしまったのではなくて、少なくともイエスを信じる人々の中にいた。つまり、教会の一員として過ごしていたということを物語っているのではないでしょうか。ですからニコデモは、長い長い葛藤の末にイエスを信じるようになったと思われるのです。

イエスの言葉に惹かれながらも、パリサイ派の面子にこだわって素直にそれを受け入れられない、そういう囚われた自分との闘い、また自分の愚かさとの葛藤を、ニコデモはひそかに続けたことでしょう。

彼の心の中に「問いつ問われつの対話」が続けられたことでしょう。イエスに会って以来、彼はもはやその時までのようにパリサイ主義に安定した、まとまった一つの心ではいられなくなり、二つに分かれた心の間を、行きつ戻りつする者となったと言ってよいでしょう。

そしてこの心の間は、イエスに会うまではなかったものです。イエスに出会ってから、心の中に問いつ問われつという間かできたのです。そしてその間で、彼はイエスの「新しく生まれなければ」という、悔い改めを迫る言葉を味わい続けるものとなったのです。

ということは、イエスはニコデモの心の中に間を作り、その間を吹き抜けるように働いておられたということです。そして、そのことが「風は思いのままに吹く」と言われた言葉の意味です。

「風」という言葉の原語は「霊」を意味しますから、ここではイエスをも指していると考えてよいでしょう。「風は思いのままに吹く」とは、イエス・キリストという方がニコデモの心の内に問いつ問われつの間を作り、その間を吹き抜けながらニコデモを導いて行かれたということです。

イエスはあの夜以来、ニコデモの心をこのように導き続けられた、だから彼は少しずつ変わっていった、そしてこれが、イエスが人間に関わってくださるやり方ではないでしょうか。イエスという方は人の心の内に間を作られる方なのです。

Yさんという方がいました。二十歳の時から十年間、国際線の客室乗務員を務め、三十歳から空港勤務についた、頭の切れる美人で独身、職業人としての誇りに生きた、嘱目された人でした。しかし、惜しいことに三十四歳で胃癌で亡くなりました。

その人について記されたものを最近読みました。それを書いたのは、彼女の入院していたカトリック系の病院の師長を務めるシスターですが、そこには亡くなる最後の三日間のことが詳しく記されていました。

それによりますと、Yさんは末期癌の激しい嘔吐で笑いを失い、やつれ、苛立ち、表情はきわめて厳しいものとなっていたそうです。亡くなる三日前の朝、看護学生が交替しました。実習のため、看護学生は二日ずつ交替でするのですが、替わった学生の技術と知識の未熟さとが、Yさんをさらに苛立たせたのです。

学生はYさんの顔を見るのが怖いと言い、泣きながら看護するのですが、そのたびにYさんから「ほかの看護師さんを呼んでください」と言われる始末。しかし、学生は自分の技術の未熟を恥じながらもがんばり続けます。

知識も教養もキャリアも、学生とは段違いのYさんはプライドの高い人で、学生はつらい思いをしながら二日間の実習を続けました。

師長はその様子を見ながら、Yさんのターミナルケアに尽くし、機を見てYさんと話し合います。

その中で、Yさんはこう言います。

「私は治ると思っている。そう信じている。しかし、治るというわずかな(しるし)がほしい。一週間すれば少しは良くなるという徴がほしい。」

それに対してシスターである師長は、気休めのようなことを言わずに、次のように言います。

 「一週間とか、一か月とかは、今のあなたにはもう遠い日よ。ね、毎日を精一杯生きてみない? 毎日、毎日自分を賭けて。たとえば、朝、看護師さんに、きょうもしっかりやりますからよろしくって、挨拶ができるように。」

師長はかねてから、Yさんを尊敬していました。それは、つねに誠意と忠実をもって職業に打ち込み、仕事に生き抜いている女性の魅力をYさんに感じ、自分もまたそのように看護の仕事に生涯生きてきた者として共感するところがあったからです。師長は言います。

「あなたと私は似ているでしょう。職業にしっかり生きてきたもの同士として。だから、そのしっかり生きてきた思い出を枯らさないようにしてほしいの。それが一日一日を生きることでないかしら。」

しかし、Yさんはつぶやきます。

「そうね、でも、どうなってもよいの。」

そして、嘔吐が始まり、話は中断されました。

ところが翌朝、心配しながら師長がYさんを見舞ったとき、病室に何か違った雰囲気が感じられました。Yさんは生き生きした眼を輝かせながら、明るい朝の挨拶をするのです。

「きょうは何となく気分が良いのよ。お天気のせいかしら」と彼女はほほえみます。夜勤の看護師からも、今朝Yさんに、「おはよう。きょうもしっかりがんばるわ」と言われてびっくりした、という報告がありました。前日トラブルを起こした看護学生も、きょうはいそいそと身のまわりの世話をしています。何か様子が違うのです。そして平安な一日が、その日続きました。

そこで機会を見て、師長はYさんに、「お祈りしましょうか」と声をかけます。すると何のためらいもなく、まるでその時を待っていたかのように、無神論者を標榜していたYさんがうなずいて合掌しました。

その後、Yさんは「私、洗礼を受けたいけれど、どうしたらよいのかしら」と、師長がまったく予期しなかったことを言ったのです。

その日の午後、慌ただしく整えられた洗礼式が病室で行われました。急な話でしたが、いろいろな人が花をもって集まり、Yさんは花に囲まれて、花嫁のようにほほえんでいました。そして、翌日早朝、病状急変、Yさんは召されたのです。

ところで、Yさんとトラブルを起こした例の看護学生は二日間の看護実習期間――Yさんの亡くなる前日、洗礼を受けたその日の夜――を終えるにあたり、師長室を訪ね、次のように語ったというのです。

「きょうで実習は終わりますが、この二日間、Yさんからたくさんのことを勉強しました。つらい二日間でしたが、私か至らないためにYさんに不愉快な思いをさせ、申しわけありませんでした。Yさんにはお詫びしておきました。

そして、一つYさんにお願いしました。『私はYさんの受け持ちになって、多くのことを学びました。ありがとうございました。私はきっとYさんのことを生涯忘れることができないと思います。私にもし縁があって結婚し、女の子ができたら、あなたのお名前、N子をいただきたいと思いますが、よろしいでしょうか?』

そう申しましたら、Yさんは大きくうなずいて、涙をこぼしながら、ありかとうと言ってくれました。」

そう報告して、学生は泣いたそうです。彼女は卒業してすぐに結婚、生まれた女の子に、約束どおりN子と名づけたそうです。

たった二日間の実習期間、それもまったく険悪な空気の実習期間の中で、これほどの変化をもたらす感銘を、Yさんがこの学生に与えたのは何であったのでしょう。

それは私の考えるところ、ニコデモの心の内に問いつ問われつの間を作って風のように吹き抜けられた「霊」なるイエスが、Yさんの心をも同じように吹き抜けられたからではないでしょうか。

師長に「しっかり生きてきた思い出を枯らさないようにすることが、一日一日を生きることではないかしら」と言われた意味をその夜苦しみつつ求め、生きているのは、過去の得意の日々でももちろんなければ、将来に予想される暗い日々でもなく、それは今であることに気づき、翌朝「おはよう。きょうもしっかりがんばるわ」とその日一日を生ききろうとしたそこに、Yさんの心の内に間を作って思いのままに吹き抜けられていたイエスがおられる、と私は思うのです。

 国際線に乗って華やかに活躍していたころの一日も一日なら、今死に瀕して病床にある一日もまた一日なのです。そのようにその日が、まっさらな一日、これっきりの一日となり、元気に生きてきた一日と同じように、しっかりがんばる日となったとき、その日を賜った「命の神」(詩篇42・3、新共同訳)がYさんの病室に溢れたのではないでしょうか。

Yさんを恐れていたこの学生が、自分の娘にYさんの名をつけたい、と願うまでに変わったのは、たった一日で変わったのは、Yさんの力でも何でもなく、神の下さった「命」に委ねて生きるよう促しつつ、思いのままに吹かれたイエス・キリス卜ご自身によるのではないでしょうか。

 

イエス・キリストは、私たちの心の内に間を作り、そこを思いのままに吹かれる方です。それがイエスのなさる関わり方です。イエスの働いておられる「内なる間」に注目しましょう。そして、イエスの思いのままを妨げているものに気づきましょう。それが新しく生まれるということです。

(2000年、兵庫県の無牧の教会/茨城県の「聖書を読む会」にて)