4. 幸  福               マタイによる福音書 25章1430

 

 「幸福」ということを考える時に思い出すことがあります。わたしは四十年の牧師生活のうち約三十年間、教会敷地内にある牧師館に住んでいました。牧師館というところは、浮浪者がお金の無心によく来るところで、これには随分悩まされたのですが、ある時、高校時代の先輩が無心に来たのです。

 年齢は私より十歳ぐらい上で、もちろん初対面であったのですが、彼はどうやら、同窓会名簿で私か牧師をしていることを知って、助けて貰えると思ったのか、やって来たようでした。まず自分が先輩であることを述べ、それだけでも驚いているのに、さらに驚いたことには、私か在学していた頃の校長の次男だと名乗ったのです。改めて顔をよく見ると、確かに校長先生に似ています。先生は高潔な人格を慕われた、名校長の誉れ高い人で、私も尊敬し、よく覚えている方でした。彼は驚いている私に構わず、べらべらと嘘か真か分からぬことを述べ立てて、故郷の秋田に帰る旅費を貸して欲しいと言いました。“草葉の陰” で校長は泣いていると思いました。用立てると、「必ずお返し致します」と丁寧に言って、そそくさと立ち去りました。それっきりでした。後で同窓会名簿を調べますと、その名前があり、京都大学経済学部卒となっていました。彼は希望に満ちて高校を卒業し、京大に進学、大きな夢を抱いて社会へ出たに違いありません。しかし、どこで、どう人生の歯車が狂ったのか知るよしもありませんが、そんな姿になってしまったのです。それから何年か経って、新しい同窓会名簿が届いた時、ふと思い出して彼の名を探しましたら、物故者の欄にありました。彼は幸せ薄い生涯を終わっていたのです。

 誰しも幸せな人生を夢見て、胸膨らませて卒業していくでしょう。しかし、待ち構えている人生は決して思いどおりに行くとは限らないのです。このようなことは、就職においても、結婚においても、人生のあらゆる場面において経験することです。夢破れる苦い思いを、誰しも程度の違いはあっても、味わうでしょう。そして、幸福を願うでしょう。

 

 亀井勝一郎という文芸評論家(1907〜1966)がいました。幸福について次のように言っています。「幸福とは、微笑のようなものだ。微笑は微笑しようと思って出来るものではない。泉のように、自然に、静かに湧いてくるものである」。また次のようにも言っています。「現代人の不幸は、『幸福、幸福』と言って、幸福を追い過ぎるところにある。幸福は求めるものではない、与えられるものである」、そう言って、「幸福の追求を止めよ」と言っています。もちろん、「幸福の追求を止めよ」と彼が言ったからといって、不幸でも良いという意味ではないでしょう。それは、人生がまるで幸福のためにあるかのように、あるいは、幸福でなければ人生が失敗であるかのように、幸福、幸福と追い回す、そういう生き方に、疑問を投げ掛けているのです。

 言い換えれば、人生の目的は幸福になることではない、人生においてまず心配るべき大切なことは、どういう生き方をするかということであり、それを考えながら生き方を整えることを怠らない時、幸福は自然に、静かに、微笑のように湧いてくるものだ、と彼は言っているのです。生き方を整えることが先で、それをしないで、生き方をいい加減にしたままで、幸福を求めることほど、不幸なことはないというのです。幸福の問題は、まず生き方を問い直すところから出発すべきだというのです。全くその通りだと思います。

 

 では、どういう生き方をしたら良いのでしょう。簡単な問題ではありませんが、それを考える手掛かりに、本日の聖書の箇所(マタイによる福音書25章1430節)にある「タラントンのたとえ」を学んでみたいと思います。タラントンというのは、ギリシャの通貨の単位で、一タラントンは六千人分の日当に相当すると言われ、あまりに高額なのでふつうは使われなかったと言われるぐらいのものです。

 簡単に、そのたとえのあら筋を申しますと、ある人が旅に出ます。出発に際して三人の(しもべ)を呼んで、それぞれの能力に応じて、5タラントン、2タラントン、1タラントンの財産を与え、留守中の運用を任せます。時が経って主人は帰宅し、留守中の報告を求めます。5タラントンを預かった僕は商売をして倍に増やしていたので、10タラントンを差し出します。主人は「忠実な良い僕だ。良くやった」と喜び、誉めてくれます。次に2タラントンを預かった僕も同じように商売をして倍にしていたので、4タラントンを差し出します。それに対して主人は、同じように「忠実な良い僕だ。よくやった」と喜び、誉めてくれます。最後に1タラントンの僕が進み出て報告をします。彼は主人が大変厳しい人なので、商売し損ねては大変と土の中に1タラントンを隠していました。それをそっくりそのまま返します。無事に返したので誉めて貰えると思いきや、主人に激しく叱られ、追放された、そういう話です。

 この話から教えられることは、たくさんありますが、いま問題にしている、幸福は生き方を整えることの中から自然に湧いてくるものであるという点で、三つのことを申したいと思います。

 まず第一に、人間は決して公平、平等に同じようなものとして生きているのではない、5タラントン、2タラントン、1タラントンといった具合に全く違った能力を与えられ、それぞれに生きているということです。能力だけではなく、性格も、感性も、価値観も、一人ひとり全く違ったものとして、私たちは生きています。その違いは、わたしたちが思っているよりも遥かに大きく、深く、まあ言えば、わたしたちはバラバラの状態で生きているのです。

 どうして、こうもバラバラなのでしょうか。それはバラバラに違ったものが、補い合い、認め合って生きていく、その調和し合う努力に、人間らしさが潜んでいるからです。皆が全く同じであるなら、放っておいても調和するでしょう。そうではなくて、違ったものが思いやり合い、譲り合い、我慢し合い、理解し合って、組み合わさっていく、そういう調和の努力をするのが人間だからです。皆が同じで死んだような平和でもなく、皆が単に違うだけの騒々しい分裂でもなく、互いに調和し合う努力をする、そのことで、人間は、まさに人間になっていくからです。

 そして、この調和の努力を聖書は「愛」と言います。「愛」は「好き」とは違います。好きというのには努力は要りません。しかし、愛には努力が要ります。相手を思いやり、自分を反省し、全体のことを考えて我が(まま)を押さえるなど、努力が要ります。ですから愛は聖書において、全部命令形なのです。「互いに愛し合いなさい」、「隣人を愛しなさい」、「敵を愛しなさい」、全部命令形です。わたしたちが5タラントン、2タラントン、1タラントンと違うのは、それを愛をもって乗り越えなさいと神が置かれた、わたしたちが人間になっていくためのハードルなのです。これを避けて、好きなことだけをしていると、人間は人間でなくなります。

 次に、このタラントンの話から教えられる生き方は、5タラントンを倍にした僕に対しても、2タラントンを倍にした僕に対しても、主人は「忠実な僕だ。良くやった」と同じように誉めたことです。つまり、主人は10タラントン、4タラントンという商売をして得た結果で差をつけずに、それぞれの能力を一生懸命、働かせて倍にしたという、その忠実さに注目して、同じように誉めていることです。ということは、人生は結果を競うところではなく、いかに自分に与えられた力を、5は5なりに、2は2なりに、1は1なりに生かすか、その忠実さを問われているところだということです。わたしたちは、すぐに人と比較して羨んだり、ひがんだり、逆に威張ったりするのですが、そうではなくて、自分に与えられているものを生かして、自分らしい、自分ならではの生き方をすれば、それで良いのです。他と比べるよりは、自分を生かすことに心を用いて生きる、これは失ってはならない人間のプライドでしょう。

 次に三番目に、このタラントンの話から教えられる生き方は、1タラントンの僕が、主人が厳しい人だから土の中に隠して置いたと言って、自分が何もしなかったことを主人の厳しさのせいにしていることに関してです。彼は、とにかく1タラントンを任せられているのですから、他と比べれば少ないにしても、1タラントンを任せてくれた主人の信頼に応えるべきでしょう。1夕ラントンの能力しかないにしても、その自分を引き受けるべきでしょう。自分をきっちり引き受けて人のせいにしない、これは、人として忘れてはならない生きる作法です。

 

藤本とし、という方がおられました。明治34年東京の芝の恵まれた家庭に生まれ、大切に育てられました。しかし、十八歳の時、縁談が整って新しい夢多い人生が始まろうとした時、ハンセン病になられたのです。最近ではそれは治る病気であり、その予防法も廃止されましたが、長く天刑病として恐れられ、不治の病とみなされたものでした。ですから、その病気にかかったことを知った時、彼女はその気持ちを、「地面の底が抜けた」と表現しておられますが、まさにそのとおりであったと思います。二年後に父が、三年後に母が亡くなり、たび重なる不幸に何度も自殺を図りますが、そのたびに助けられ、療養所に入れられます。病状は進み、全身が麻痺し、体全体が無くなったような状態になられます。目も見えません。しかし、藤本さんは目の見える頃、本を良く読み、自分の思いを文章にするのを楽しみにしておられた方でしたので、目が見えなくなってから、口述筆記で本を出されたのです。本の題は『地面の底が抜けたんです』(思想の科学社、1974年)というのですが、その中に次のような一節があります。

 「闇の中に光を見いだすなんて言いますけれど、光なんてものはどこかにあるもんじゃありませんね。何かどんなに辛かろうと、それをきっちり引き受けて、こちらから出掛けて行かなきゃいけません。光ってるものを探すんじゃない。自分が光になることなんです。それが闇の中に光を見いだすということじゃないでしょうか」。これはすごい言葉です。とても耐えられないような状態でも、きっちり引き受ける、そこに、そして、そこにしか光は無いというのです。この方など1タラントンどころか、もう何も無いのです。全部取り去られて、自分を生かそうとしても生かしようがない、そんな状態を(うら)まず、(のろ)わず、誰彼(だれかれ)の責任にせず、それをきっちり引き受けることによって、彼女のタラントンは(わず)かであるにかかわらず十分に生かされて、人をして(ふる)い立たしめるような生き方をしておられるのです。この1タラントンの僕に欠けたのは、タラントンではなくて、その小さなタラントンを生かそうとする雄々しさでした。人としてまともな生き方は、自分を引き受けて人のせいにしないところにあるようです。

 

 以上、このタラントンの話から、わたしは三つの生き方を示されました。第一は、人は皆違うことを(わきま)えて、調和の努力をすること。第二は、人生は勝ち負けを争うところではないことを弁えて、人と比べずに自分らしく、自分ならではの、自分を生かす生き方をすること。第三に、生きるということは、たといどんなに苦しくても人に代わってもらえない、また人のせいにできないものであることを弁えて、(つぶや)かずに自分を引き受けて生きること、この三つです。この三つの生きる構えは、決して楽な生き方ではありません。しかし、このように弁えて生きる時、わたしたちの人生は薄っぺらなものではなくて、深みのあるものになっていくでしょう。そしてその時、その深みから自然に、静かに、微笑のように湧いてくるものがあるでしょう。それが幸福というものなのです。

 

 亀井勝一郎は幸福について、次のようにも言っています。「幸福をむさぼり求める人に幸福は来ない。幸福は心を空しくして耐える時、必ず彼方より来るに相違ないものだ。つまり、それは自然でなければならない」。わたしもそう思います。幸福を求めるなら、まず生き方を整えるべきだろうと思います。そうすれば、幸福は自然に微笑のように湧いてくるでしょう。

 

 ところで、今申しました三つの生き方の中で、一番目の、調和の努力をすること、これは問題ないと思いますが、二番目の、自分を生かす自分ならではの生き方と、三番目の、呟かずに置かれたところを引き受けて生きる生き方とは、矛盾するのでないかと疑問を持たれる方がおられるかも知れません。自分を生かそうとするのを妨げる、いろいろなしがらみが現実にはありますから、それらを呟かずに引き受けて生きていたら、結局、自分を生かせないではないか、そうい疑問を抱かれるかも知れません。

 ある精神科医が言っておりましたが、最近の患者さんに若い女の人が増えているそうで、そこで非常に特徴的なことは、彼女たちは、自分を生かそうとする傾向の強い現代の社会的風潮の中で、皆自立した人生を送ろうとして、家庭の諸問題、例えば、育児の問題、夫婦の問題、病人の看護の問題、老いた父母の世話などを足かせと感じるようになり、自由に自分を生かせないことに焦りを感じ、このままずるずる年をとっていては、チャンスを逸するのではないかと思い、と言ってそういう問題を放り出すわけにはいかない、そういったジレンマに陥り、その結果、そのストレスによるノイローゼが非常に増えているということでした。そして、彼女たちは結婚するのじゃなかったとか、早く子育てから解放されたいとか、病人や老人の世話から自由になりたいとか、思い(めぐ)らしているうちに、それができない自分が(みじ)めになり、せっかくの人生を思いどおりに選べない悔しさを溜め込んでしまうのです。それによる潜在的ノイローゼ患者は無数にいるということでした。この医師の指摘どおりであろうと思います。確かに、二番目の生き方と三番目の生き方、つまり、自分を生かす生き方と、置かれたところを引き受ける生き方とは矛盾します。ではどうすれば良いのでしょうか。

 これは実に難しい問題であり、内容も多様で一概には言えませんが、根本的にはわたしは、自分を生かすということと、与えられた今の状態を引き受けて生きるということとを、必ずしも対立矛盾することのように受け取る必要はないのではないかと思っています。むしろ今の状態を引き受けることが、真に自分を生かすことになるという態度を、人生に対して取れないものか、それが本当の幸せに通じる道ではないか、と考えています。

 

 時実新子という川柳作家がおられます。新聞紙上に「感謝、感謝の毎日です」と題して書かれたものを先日読み、感銘を受けました。それによれば、時実さんは、小学校六年から「地獄の明け暮れ」と表現しておられるようないじめに遭い、十七歳で「とても結婚とは言いたくない」というような結婚をさせられ、しかも、その夫が後で分かったのですが、戦争で頭に弾を受けた後遺症で発作的に暴力をふるう人で、そのために、いじめられ続け、結局、彼女が五十六歳の時に、夫が亡くなるまで、子供時代から合わせて、四十五年間いじめに耐えた生活をされたことが書いてありました。その後、二年して五十八歳で再婚、以後は平安のうちに川柳作家としてお過ごしのようで、読んでいてその点はほっとしましたが、同時に思ったことは、この方は、もし最初の夫と離婚しておられたら、そして離婚されても少しもおかしくないような状態だったのですけれども、もしそうされていたら、今日の川柳作家、時実新子はあったであろうか、ということでした。そうしないで彼女が置かれたところを引き受けることによって、その四十五年間の中で自分を大きく育て、自分らしく生きる力をつけて、やがて真に自分を生かす道が準備されていったのでないか、そして、それを歩み通して、自分を生かし得ないと思った所で、実は自分を生かして来られたのでないか、そう思ったのです。

 時実さんは、こう書いておられます。「四十五年間のいじめられた人生、それを運命というのはあまりに可哀想。それよりは、いじめの中に置かれ、試されて、ひょっとして、わたしは『大きな力』に見込まれたんじゃないか。そう思う時、これからも一生懸命生きようと思います。」そう書いておられました。

 わたしはこれを読んで、本当の幸せを味わっている人の言葉だなと思いました。苦しい苦しいところで自分というものを掴み、それを生かす力を養い、今それを花開かせて、お幸せだなと思いました。もちろん離婚して、別の新しい人生を切り開くのも一つの生き方でしょう。そういうケースは、いくらでもあると思います。わたしも四十年の牧師生活の中で、自分が結婚式の司式をした人に後で離婚を勧めたケースが一つあります。そういう例もあるのですから、ことは決して簡単ではないのですが、それでもわたしは、どんなところでも置かれたところを受け止めることが、自分を生かし得る、いやむしろ、その方が自分を生かし得る、そして、その方が地に足ついた幸せな生き方を開き得るのでないか、そう思っています。なぜなら人生にはいろいろと新しい別のことをやっても、結局は、どうにもならないことがあるからです。どうにかなることは、どうにかしたらよいと思いますが、どうにもならないことは、これを引き受けて生きてこそ、自分らしい幸せな生き方が開けると思います。大体どうにかなることは、大したことではないのです。どうにもならないことが、わたしたち、それぞれの人生にとって、大きい意味を持つことなのです。

 

 二十数年前、三十三歳の若さで白血病で亡くなった、若いお母さんを知っています。後に八歳と六歳の女の子が残されました。ご主人が遺品を整理しておられまして、その中から、二人の子供宛に書かれた詩を見つけられました。二人の子供は、その後それぞれ立派に成長し、いま長女の方はドイツでオルガンの勉強をし、次女の方は大学院博士課程でドイツ文学研究者の道を歩んでいます。

 詩は、次のようなものでした。

 

Y子(よんちゃん)へ

K子(きょんちゃん)へ

 

「ばらのはな」

 

しずかな おひるさがり よんちゃんと きょんちゃんは おにわで

クローバーのはなの かみかざりをつくっています。

「よんちゃんは おひめさまよ」

「きょんちゃんは おうじさまよ」

ふたりは うでをくんで ばらのアーチを くぐりぬけました。

おにわには おじいちゃんが だいじにしている ばらのはながたくさん さいています。

よんちゃんと きょんちゃんは うでをくんだまま しろいベンチに こしをかけて、ふわーっとしたかおりを むねいっぱいに すいました。

 

 

おばあちゃんが びょうきになって びょういんに にゅういん しました。

 

おばあちゃんは ねむりつづけています。

 

おじいちゃんと おとうさんと おかあさんと それからおじさんや おばさんたちも

しんぱいそうに おばあちゃんのベットのそばに たっています。

 

おばあちゃんは ねむりつづけています。

 

おいしゃさまが ちゅうしゃをします。

 

かんごふさんが いそがしそうに おへやにはいったり でたりしています。

 

よんちゃんは きょうもばらのおにわから いちばんきれいな ばらをもってきて おばあちゃんのベットのよこに かざりました。

そして おいのりをしました。

きょんちゃんは きょうもばらのおにわから いちばんすきな ばらをもってきて おばあちゃんのベットのよこに かざりました。

そして おいのりをしました。

 

まいにち まいにち よんちゃんと きょんちゃんは ばらのおにわから いちばんきれいな いちばんすきなばらを もってきて おばあちゃんのベットのよこに かざりました。

そして 手をくんで おいのりをしました。

ベットのまわりは まるで ばらのおにわのように なりました。

ふわーっとした かおりが しました。

 

ある日 やっと おばあちゃんは めを さましました。

おばあちゃんは ベットのまわりのみんなをみて にっこり ほほえみました。そして

おばあちゃんは いいました。

「よんちゃんよ ばらのおはなを ありがとう」

「きょんちゃんよ ばらのおはなを ありがとう」

 

つぎの日 よんちゃんときょんちゃんは おひめさまとおうじさまになって うでをくんで スキップをして ばらのおにわに いきました。そして びっくりしました。

ばらのおにわには ばらのはなが 1ぽんも ありませんでした。

 

 

つぎは おかあさんが びょうさになって びょういんににゅういんしました。

 

おかあさんは ねむりつづけています。

 

おとうさんと おじいちゃんと おばあちゃんと それから おじさんや おばさんたちも しんぱいそうに おかあさんの ベットのそばに たっています。

 

おかあさんは ねむりつづけています。

 

おいしゃさまが ちゅうしゃをします。

かんごふさんが いそがしそうに おへやにはいったり でたりしています。

 

おじいちゃんが だいじにしている ばらのおにわには ばらのはなが 1ぽんも ありません。

 

よんちゃんは うみのみえる さかみちに ちっていた もみじのはっぱを もってきておかあさんのベットのよこに そっと おきました。

そして おいのりをしました。

きょんちゃんは うみのみえる こうえんに おちていた いちょうのはっぱを もってきて おかあさんのべットのよこに そっと おきました。

そして おいのりをしました。

 

ある日 やっとおかあさんは めをさましました。

おかあさんは ベットのまわりの みんなをみて にっこり ほほえみました。 そして

おかあさんは いいました。

「よんちゃんよ もみじのはっぱを ありがとう」

「きょんちゃんよ いちょうのはっぱを ありがとう」

 

そして そして……そしてね

おかあさんは めを とじてしまいました。

 

つぎのひ よんちゃんと きょんちゃんは しっかりうでをくんで

とぼとぼ ばらのおにわの しろいベンチのところまで きました。

よんちゃんと きょんちゃんは びっくりしました。

 

ばらのおにわには ばらのはなが いっぱい さいていました。

ふわーっとした おかあさんのような においがしました。

 

前半は、おばあさんの病気が重態から回復した様子が詠まれています。後半は、ご本人の病状が悪くなり結局死ぬこと、しかし、おばあさんの場合は、庭にたくさんあったばらが無くなるのに、ご本人の場合は一本も無かったばらが庭一杯に、そしてお母さんのような匂いがふわーっと包むことが詠まれています。彼女は明らかに死を覚悟し、それを引き受けています。そして、そのことを子供たちに語りつつ、いつまでも子供たちと共にいる希望を語っているようです。

 

 発病してから亡くなられるまで約三年、病の経過を承知しながら何度も彼女と話し合う機会がありましたが、死を覚悟しておられるようには、わたしには見えませんでした。ご主人も病名を告知してはおられませんでしたから、こんな詩を書いておられるとは想像しておられなかったようです。しかし、彼女は一人死を受け止めておられたのです。詩の中はどの「そして そして……そしてね おかあさんは めを とじてしまいました」、これを一人書いている時の、彼女の彼岸(ひがん)に立っているような気持ちを思うと、胸が締めつけられます。

 彼女には、もはや何をする力も無く、別の人生は全く用意されておらず、残るのは、その厳しい状態を受け止める態度如何だけです。そして彼女は、そこで輝いたのです、その置かれた所を呟かず(いさぎよ)く引き受けることによって、美しく輝いたのです。短くはありましたが、彼女らしい、彼女ならではの人生を咲かせたのです。二十数年前の話ですが、今も、わたしに鮮やかに語りかけてくるものがあります。そして、潔く人生を受け止めて「十分に生きた人」の幸せ、というものを感じます。改めて幸福というものを考えさせられるのです。

 

 亀井勝一郎は、こうも言っています。「幸福をむさぼり求める人に幸福は来ない。幸福は心を空しくして耐える時、必ず彼方より来るに相違ないものだ。それは自然でなければならない。」このとおりだと思います。