7. 風は思いのままに吹く       ヨハネによる福音書 3章1~9節

 

 

イエスはどういう風に一人ひとりに関わってくださるのでしょう。そのことをニコデモという人を通して学びたいと思います。彼はヨハネによる福音書にだけ、しかもそこに三回登場する人です。

 まず注意しておきたいことは、彼が初めて第一回目に登場してから第三回目、つまり、最後に登場するまでに二年間という時の経過があることです。二年間と言いますと、たった二年間と思われるかも知れませんが、イエス・キリストが活動されたのは長く見積もって三年間、それよりも短かかったのではないかと考えられますから、二年間というのは、イエスの活動された時に、ほぼ匹敵する期間なのです。つまり、イエスの活動された初めの頃から終わりの頃までに、一定の間隔を置いて三回登場して来るのが、このニコデモという人であり、その点、大変興味をそそる人物です。第一回の様子は、次のとおりです。

 

さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。                                        (3章1~9節)

 

 彼の属したファリサイ派というのは、大変厳格に信仰生活を守ることでユダヤ社会のリーダーとなっていた人々で、その数は当時約六千人ほどいたと言います。彼らは皆、自分たちは間違いなく神の救いにあずかれると自負し、特権階級を形づくっていました。そして、イエスのような当時無名の一預言者として活動された方を軽蔑し、その活動を押さえつけようとしておりました。ところがニコデモは、そういうふつうのファリサイ派の人とはちょっと違い、求道的と言いましょうか、謙遜と言いましょうか、自分の信仰は、これでいいのだろうか、と反省するところがあるような人であったらしく、ある時、イエスのところに救いについて教えを請いに来るのです。と言いましても彼は誇り高いファリサイ派ですから、イエスに教えを請うのはちょっと格好が悪い、そこで人目を(はばか)ってこっそりと、夜イエスのところにやって来るのです。ニコデモの質問に対して、イエスはいろいろ言われますが、要するに「新たに生まれなければ」と悔い改めを求められます。そして、「風は思いのままに吹く」という謎のような言葉を語られました。このイエスの言葉を、ニコデモは一体どのように聞いたのでしょう。ファリサイ派の、わしに向かって悔い改めろとは生意気な、と怒ったでしょうか。無視したでしょうか。聖書はそれについて何も書いておりません。しかし、それから一年半ぐらい経ったころに、ニコデモは再び登場するのです。それを伝えるのが7章4552節です。

 

 さて、祭司長たちやファリサイ派の人々は、下役たちが戻って来たとき、「どうして、あの男を連れて来なかったのか」と言った。下役たちは、「今まで、あの人のように話した人はいません」と答えた。すると、ファリサイ派の人々は言った。「お前たちまでも惑わされたのか。議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている。」彼らの中の一人で、以前イエスを訪ねたことのあるニコデモが言った。「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。」彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。」

 

 これによりますと、その頃イエスの名声が高まって、イエスを信じる人が増えて来ていたようです。これはイエスに反対をしていたファリサイ派の人達には甚だ面白くありません。それでイエスを捕らえようとして役人を派遣します。ところがその役人たちは、イエスを捕らえに行ったのに、逆にイエスの教えに圧倒されて、すっかり感心してしまって、とても捕らえることができずに、手ぶらで帰って来てしまったのです。ファリサイ派の人たちは怒りました。そして、何と情けない奴らだ、お前たちまでイエスに丸め込まれたのか、と叱っているところにニコデモが再び現れたのです。繰り返しますが、第一回目のときより一年半後のことです。そして、彼は怒っている仲間のファリサイ派の人たちをたしなめて、人の言い分を良く聞き、人のしていることをよく知ったうえでなければ人を裁けないじゃないか、われわれはイエスの言い分を良く聞いているわけでもないし、イエスのことをよく知っているわけでもないのだから、そんなに怒らないでイエスの言うことを聞いてみようじゃないか、と言ったのです。ファリサイ派の人たちはそれを聞いて、おまえはイエスに味方するのか、おまえもガリラヤ出身か、と言ってニコデモを嘲笑したのです。これがニコデモが聖書に出てくる二回目の様子です。イエスをかばうようなことを言ったら、仲間から軽蔑、嘲笑されることは、ニコデモには始めから分かっていたことでしょう。しかし、それを承知で仲間をたしなめたのです。ですから、この時のニコデモは、一年半前、夜ひそかにイエスのもとに行った時の彼とは、少し様子が違うことは明らかです。ここには最早、人目を(はばか)ってコソコソと夜イエスのもとに行った時のニコデモの姿はありません。ニコデモの、この変化は何を意味するのでしょう。

 それはおそらく「新たに生まれなければ」と悔い改めを要求したうえで、「風は思いのままに吹く」と謎のように語られたイエスの言葉を、あの一回目の夜以来、ずっと彼が考えてきたことを示しているでしょう。あの夜以来、ニコデモは一日の休みもなく、あのイエスの言葉を考え続けたのでないか、「新たに生まれなければ」というファリサイ派の自負心を傷つけるイエスの言葉をかみしめながら、また「風は思いのままに吹く」という言葉を考えながら、人知れず迷い、苦しみ、心の中で葛藤を味わってきたのではないか、そしてイエスの言われたことの真理性に、次第に圧倒され続けていたのでないか、そういうあの夜以来の葛藤があればこそ、彼はこの第二の場面では、第一の場面のように夜ひそかに人目を憚るような態度ではなく、イエスを弁護する態度に出たのではないでしょうか。

さてニコデモは、それから六ヵ月程後に、ということは第一の場面のあの夜から考えると二年後になりますが、19章3842節に、三度彼は登場するのです。

 

 その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人々たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人々の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。

 

 この時、イエスはすでに十字架上で亡くなっておられました。そして、その遺体の葬りの許可を得たヨセフに協力を申し出たのがニコデモなのです。ファリサイ派から言えば、敵として殺したイエスを、丁重に葬ろうと手助けをするのですから、これはなかなか勇気のいることです。しかし、ニコデモはイエスを(ねんご)ろに葬ったのです。これは何を意味するのでしょう。

 ニコデモはイエスが十字架で死んだ時、やれやれ、これで心の重荷になっていた人がいなくなった、あの夜以来の悩みは終わった、とは思わなかったようです。むしろ申しわけないという気持ちを抱いたのではないでしょうか。なぜなら彼は、あの夜以来、日増しにイエスの言われたとおり悔い改めるべきだと思いながら、素直にそうなれず、ファリサイ派のプライドを捨てかねて、その面子に(こだわ)り、ついにイエスの在世中、明白にイエスを信じることがなかった申し訳なさに、胸が張り裂けそうであったと思われるからです。だからこそ、せめてもの償いに、彼はイエスの葬りに協力するという行為に出たのだと思います。ですから、彼にそれをなさしめたもの、それは、あの夜以来の二年間、イエスの言葉が彼の心にずっと課題として生き続けたということでしよう。

 さて、その後のニコデモはどうなったでしょう。もう聖書は何も伝えていません。しかし、教会は昔からニコデモについて、次のような言い伝えをしてきました。それは新約聖書が全部で二七巻ある現在の形にまとまったのは四世紀のことと言われますが、その時まで、教会で用いられながら結局、この二七巻の中に採用されなかった書物がたくさんあるわけで、それをふつう新約聖書外典と言いますが、その外典の一つにピラト行伝というのがあって、その著者はニコデモであると言い伝えられています。これは事実かどうか分かりませんが、しかし、こういう言い伝えがあるということは、ニコデモがイエスを葬った後、つまり第三の場面の後、どこかへ消えてしまったのではなくて、少なくともイエスを信じる人々の中にいた、つまり、教会の一員として過ごしていたということを物語っているでしょう。だからどうやら彼は、長い長い葛藤の末に、イエスを信じるようになったと思われるのです。

 ある人はニコデモは「あの夜」以来、一晩として熟睡しなかったのではないか、一日として自責の念と恐れを抱かないで送った日はなかったのでないかと言います。確かに聖書に残る三つの彼の登場場面を読み比べますと、そして、ピラト行伝の著者であるという言い伝えをも考え合わせますと、この想像は当たっていると思います。

 「あの夜」以来、ニコデモはイエスの言葉に引かれながらも、ファリサイ派の面子にこだわって素直にそれを受け入れられない、そういうとらわれた自分との戦い、また自分の愚かさとの葛藤を密かに続けたことでしょう。つまり、彼の心の中に「問いつ問われつの対話」が続けられたことでしょう。イエスに会って以来、彼は最早、その時までのようにファリサイ主義に安定した、まとまった一つの心ではいられなくなり、問いつ問われつという二つに分かれた心の間を、行きつ戻りつする者となったと言ってよいでしょう。そして、この心の間、それはイエスに会うまではなかったものです。イエスに出会ってから、心の中に問いつ問われつという間か出来たのです。そしてその間で、彼はイエスの「新たに生まれなければ」という、悔い改めを迫る言葉を味わい続けるものとなったのです。ということは、イエスはニコデモの心の中に間をつくり、その間を吹き抜けるように働いておられたということです。そしてそのことが「風は思いのままに吹く」と言われた言葉の意味です。

 風という言葉の原語は、霊を意味しますから、ここではイエスを指していると考えてよいでしょう。「風は思いのままに吹く」とは、イエス・キリストという方は、ニコデモの心の内に問いつ問われつの間をつくり、その間を吹き抜けながらニコデモを導いていかれたということです。イエスは、あの夜以来、彼の心をこのように導き続けられた、だから彼は少しずつ変わっていった、そしてこれが、イエスが人間に関わってくださるやり方ではないでしょうか。イエスという方は人の心の内に間を作られる方です。

 

 山下紀子さんという方がいました。二十歳の時から十年間、国際線のスチュワーデスを務め、三十歳から空港勤務についた、頭の切れる美人で独身、職業人としての誇りに生きた、嘱目(しょくもく)された人でした。しかし、惜しいことに三十四歳で胃癌で亡くなりました。その人について記されたものを最近読みました。それを書いたのは、彼女の入院していたカトリック系の病院の婦長を勤めるシスターですが、そこには亡くなる最後の三日間のことが、詳しく記されていました。

 それによりますと、山下さんは末期癌の激しい嘔吐で笑いを失い、やつれ、苛立ち、表情は極めて厳しいものとなっていました。亡くなる二日前の朝、看護学生が交替しました。二日間ずつの実習を看護学生はするのですが、その学生の技術と知識の未熟さとが、山下さんをさらに苛立たせるのです。学生は山下さんの顔を見るのが怖いと言い、泣きながら看護するのですが、その度に「ほかの看護婦さんを呼んでください」と言われる始末。しかし、学生は、自分の技術の未熟を恥じながらも頑張り続けます。知識も、教養も、キャリアも、学生とは段違いの山下さんはプライドの高い人で、学生は辛い思いをしながら一日目の実習を続けたのです。

 婦長は、それらの様子を見ながら、山下さんのターミナルケアに尽くし、(ori)を見て山下さんと話し合うのです。山下さんは言います、「私は治ると思っている。そう信じている。しかし、治るという(わず)かの徴がほしい。一週間すれば少しは良くなるという徴がほしい」。それに対しシスターである婦長は、気休めのようなことを言わずに、次のように言います。「一週間とか、一ヵ月とかは、今のあなたにはもう遠い日よ。ね、毎日を精一杯生きてみない? 毎日、毎日自分を賭けて。例えば朝、看護婦さんに、今日もしっかりやりますからよろしくって挨拶が出来るように」、そう言います。婦長はかねてから山下さんを尊敬していました。それは、常に誠意と忠実をもって職業に打ち込み、仕事に生き抜いている女性の魅力を、山下さんに感じ、自分もまた、そのように看護の仕事に生涯生きてきたものとして、共感するところがあったからです。婦長は山下さんに言います、「あなたと私は似ているでしょう。職業にしっかり生きてきたもの同士として。だから、そのしっかり生きてきた思い出を枯らさないようにしてほしいの。それが一日一日を生きることではないかしら」。しかし、山下さんは(つぶや)きます、「そうね、でもどうなっても良いの」。そして、嘔吐が始まり、話は中断されたのです。

 ところが翌朝、心配しながら婦長が山下さんを見舞った時、病室に何か違った雰囲気が感じられました。山下さんは活きいきした眼を輝かせながら、明るい朝の挨拶をするのです。「今日は何となく気分が良いのよ。お天気のせいかしら」と彼女は微笑します。夜勤の看護婦からも、今朝、山下さんに、「おはよう、今日もしっかり頑張るわ」と言われてびっくりした、という報告がありました。前日、トラブルを起こした看護学生も、今日は、いそいそ身の回りの世話をしています。何か様子が違うのです。そして平安な一日が、その日続きました。そこで機会を見て婦長は山下さんに、「お祈りしましょうか」と声をかけます。すると何のためらいもなく、まるでその時を待っていたかのように、無神論者を標榜していた山下さんがうなずいて合掌しました。その後、山下さんは「私、洗礼を受けたいけれど、どうしたら良いのかしら」、と婦長が全く予期しなかったことを言ったのです。その日の午後、慌ただしく整えられた洗礼式が病室で行われました。急な話でしたが、いろいろな人が花をもって集まり、山下さんは花に囲まれて、花嫁のように微笑んでいました。そして、翌日早朝、病状急変、山下さんは召されたのです。

 ところで、山下さんとトラブルを起こした例の看護学生は二日間の看護実習を終え、ということはつまり、山下さんの亡くなる前日、洗礼を受けたその日の夜、実習を終えるにあたり、婦長室を訪ね、次のように語ったというのです。「今日で実習は終わりますが、この二日間、山下さんからたくさんのことを勉強しました。辛い二日間でしたが、私か至らないために、山下さんに不愉快な思いをさせ申し訳ありませんでした。山下さんにはお詫びしておきました。そして、一つ山下さんにお願いしました。『私はあなたの受け持ちになって、多くのことを学びました。ありがとうございました。私は、きっと山下さんのことを生涯忘れることは出来ないと思います。

私がもし縁があって結婚し、女の子が出来たら、あなたのお名前、紀子をいただきたいと思いますが、よろしいですか?』そう申しましたら、山下さんは大きくうなずいて、涙をこぼしながら、ありかとうと言ってくれました」。そう報告して、学生は泣いたそうです。彼女は卒業してすぐに結婚、生まれた女の子に、約束どおり、紀子と名づけたそうです。

 

 たった二日間の実習期間、それも全く険悪な空気で始まった実習期間の中で、これほどの変化をもたらす感銘を、山下さんがこの学生に与えたのは何であったのでしょう。 それは私の考えるところ、ニコデモの心の内に問いつ問われつの間をつくって風のように吹き抜けられた霊なるイエスが、山下さんの心をも同じように吹き抜けられたからではないでしょうか。婦長に「しっかり生きてきた思い出を枯らさないようにすることが、一日一日を生きることではないかしら」と言われた意味を、その夜苦しみつつ求め、生きているのは、過去の得意の日々でももちろんなければ、将来に予想される暗い日々でも又なく、それは今であることに気づき、翌朝「おはよう、今日もしっかり頑張るわ」、とその日一日に成りきろうとしたそこに、山下さんの心の内に間をつくって思いのままに吹き抜けられていたイエスがおられる、と私は思うのです。

 国際線に乗って華やかに活躍していた頃の一日も一日なら、いま死に瀕して病床にある一日もまた一日なのです。そのようにその日が、まっさらな一日、これっきりの一日となり、元気に生きてきた一日と同じように、しっかり頑張る日となった時、その日を賜った「命の神」(詩編42編3節)が山下さんの病室に溢れたのではないでしょうか。山下さんを恐れていたこの学生が、自分の娘に山下さんの名をつけたい、と願うまでに変わったのは、たった一日で変わったのは、山下さんの力でも何でもなく、神のくださった「命」に委ねて生きるよう(うなが)しつつ、思いのままに吹かれたイエス・キリストご自身によるのではないでしょうか。

 イエス・キリストは、私たちの心の内に間をつくり、そこを思いのままに吹かれる方です。それがイエスのなさる関わり方です。イエスの働いておられる「内なる間」に注目しましょう。そして、イエスの思いのままを妨げているものに気づきましょう。それが新たに生まれるということです。