書評

招きに応えて生きる二人の断想

『福音はとどいていますか』

ある牧師と医師の祈り

藤木正三・工藤信夫著

 

 本書は、京都御幸町教会の藤木正三牧師の「命はどこででも輝く」という断想と、元淀川キリスト教病院の精神科医師の工藤信夫氏の「心の健康と宗教」という随想との組み合わせという、異色の書です。

 

 藤木正三牧師は、以前にも「灰色の断想」と「神の風景」という断想を出しておられます。

 

 これらは、藤木牧師がご自分の教会でされた説教を240字にまとめたものです.この字数は、週報にそれだけのスペースが出来、それを埋めるという実際上の動機からであったということです。それにしても、毎回の説教をよく240字にまとめられたものだと思います。

 

 しかし、普通の説教集とは全く趣が異なります。大体聖書の引用がほとんどありません。しかし、一編一編が、非常に味わい深い聖書の信仰への指針なのです。それは藤木牧師が聖書のテキストの意味するところを深く洞察し、それを私たちに分かるようにご自分の言葉で表現されているからです。

 

 従って、この断想の一編が出来上がるには、聖書と人生に対する熟考と、それを簡潔な文章に表そうとする推敲(すいこう)が感じられます。そしてそれを読む私たちは、福音の本質はこういうものか、と納得させられます。

 

 藤木牧師の断想は、読む者に何かしらホッとする安心感を与えてくれます。

 

 説教もへたをすれば、このような生き方はダメだ、もっと反省し、もっと素晴(すば)らしい生き方をしなければダメだ、といった叱咤(しった)激励(げきれい)的なものになってしまいます。そしてそこからは、無理をし、気負い、あるいは自分を(いつわ)り、それによってかえって自分を苦しめる、ということもあります。

 

 しかし、藤木牧師の断想は、ありのままの自分が受け入れられている、ということが基本的にあって、安堵(あんど)、解放、自由、平安といったものを感じます。これが、心の病を専門とする精神科医に深い共感を与えたゆえんではないでしょうか。

 

 そしてこれは、福音の本質から出てくるものではないでしょうか。福音というのは、 「喜びの音信」ですから、それを聞いた者が、喜びと解放を感じなければ本当とは言えないでしょう。本書の中に「今が一番良い」という一篇がありますが、今の自分を受け入れることが信仰の基本である、と言われています。

 

 また、「父よ」という断想に次のような一節があります。

 信じる者に与えられる救いとは一体何なのでしょう。それは、苦悩や罪から解放されることではなく、あるいは、そういうものに耐えて立派に生き得るように強くされることでもなく、苦悩や罪のなかでそれらがどうでもよいこととなる程に、生かされて今あるという事実がよく見え、そしてその事実に単純になれることです。

 

 私たちは、神によって命へと招かれています。そしてこの招きに(こた)えて生きようとする祈りがこの断想だ、と藤木牧師は言われます。

 

 後半の工藤医師の文章については、ほとんど触れることができませんが、精神科医としての長い経験から、求めていたものと藤木牧師の前著で出会ったとあります。私も工藤医師と同じような感想をもって前著を読んだことを思い出します。

 

 福音とは何かを優しく示してくれる本書を、ぜひ多くの方が読まれることをお薦めします。

         樋口(ひぐち) (すすむ)

   {京都・室町教会牧師}