書評

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牧師と精神科医の視点

藤木正三・工藤信夫共著

福音はとどいていますか

―――ある牧師と医師の祈り

三永恭平

 

本書は、きわめて珍しい、ユニークな本である.一人の牧師が毎週の説教を240字にまとめて教会週報にのせた断想集を第一部(『命はどこででも輝く』)とし、同じようにして、以前出版された同牧師の断想集(『灰色の断層』と『神の風景』)に対する一人の精神科医の、臨床経験にもとづく感想をのべた『心の健康と宗教』を第二部とする共同執筆であり、このような試みは、今迄あまり類をみない珍らしいものである.

 

 とくに本書の持つユニークさは、大きく言えば宗教と精神医学の関係について、具体的には、牧師と精神科医の協力関係がどのようにして可能になるかについて、幾つかの示唆を与えてくれる点にあり、これは現代の教会および牧会にとって大きな意味をもつものだといえよう。

 

 それというのも.この両者は、ともに人間の最も大切な魂(心)の救いと癒しとを目的とするものでありながら、長い歴史の中で分裂状態をつづけ、敵対的にさえなっており、それぞれ自己の領域内に閉じこもって久しいからである.これは現代人にとって最大の不幸といわなければならない。

 

 しかし問題は、この両者がどのようにして協力関係を結びうるか、であろう。一方が主導権を握り、他方がそれに従属するという様な在り方であってはならないことは当然であり、おのおのが自己の独自性を保ちつつ共にもっと深い人間理解と救い、あるいは癒しの道をさぐっていくべきものであろう。

 

 この点で、本書は牧師の側の、何ものにも妨げられない信仰理解と牧会の在り方が、他方、精神科医の臨床的治療の経験による見解と見事に一致しているのを見るのは、まことに興味深い。

 

 このような一致は、おのおのの目指すところが、一方では魂の救いであり、他方では心の癒しという、救済と治療の別々の道であっても、共に人間の最も中心的なものへ真摯なアプローチによって、そこに両者の相互理解と調和が生れるのはごく至当なことであり、救済と癒しが共に可能になる。「福音が正しく光を放ちさえすれば、それはきっといやしに益するところ大であろう」「心の病気のみならず、福音の誤解が招いた不必要な重荷に苦しむ方々に益するのではないか」(287頁)と言われている通りである。

 

  しかし、この協力は言われるほど容易なことではない。現代においては。一般に精神科医の側にも宗教に対しての根深い偏見が残っており、心よく語り合おうとするに至っていないし、他方、牧師の側にも、精神医学および精神療法における大いなる人間心理の洞察と治療の業績に対する無知は大きく、有益な後援者を味方につけて牧会に益する道を心得ていないのが現状ではなかろうか。

 

  この両者がどのようにして出会い協力の道を見出していくか、そのサンプルがあれば、これは非常に大きな助けになる。本書はそれに応えうる労作であり、とくに、牧会に専念する一人の牧師と、精神医療に精魂をかたむけている一人の精神科医の出会いのエピソードは上述の点から見て非常に興味のある事例をみることが出来る。

 

 筆者白身、牧師としても教え示されること多く、また、幾人かの精神障害者との交わりを与えられている者としても、新たな光を与えられるところが多々あった。

 

 なお、本書は牧会カウンセリングの立場から見ても、さまざまな示唆に富むものをもっている。

 

たとえば、カウンセリングには「理解」と「受容」が不可欠な要素であるが、実際の教会における人間関係において、また、信仰の在り方において、同じようなすすめが実践的になされていて興味深い。例えば「あらねばならぬ」という断想に「欠点のない人はいません。そして容易に直らないのが欠点です。直らないからと言って、自分を責めても、人を責めても疲れるだけです。こうあらねばならぬと自分に注文をつけて欠点のない自分を追い求める前に、欠点のある自分をそのまま受け入れましょう。こうあらねばならぬと相手に注文をつけて欠点のない相手を期徒する前に、欠点のある相手をそのまま受け入れましょう。あらねばならぬと構えるのは真面目かも知れませんが、人生を勘違いしています。人生はそのまま受け入れて良いように既にゆるされたものです」(62頁)とある。

 

 本書を読みながら、筆者はふとヒルテイの「眠られぬ夜のために」を思い出しました。それは、眠られぬ夜を過ごす人々に、多くの慰めと生きる道を示してきた名断想集であるが、本書もまた、それに劣らず、さまざまな心の重荷に苦しみに悩んでいる現代のわれわれに、信仰による真の解放と自由、慰めと光を与えてくれる「眠られぬ夜のために」の現代版である。

 

      (みなが・きょうへい=日本基督教団永福町教会牧師)