信徒の友

私の芸術の秋

一冊、一曲との出会い

谷口隆之助

『愛と死の思想』

信仰こそ、日常性の中で

輝きを失った生命に輝きを与えてくれる

(なま)の生命への集中といえよう。

藤木正三 

ふじきしょうぞう/ 京都・御幸町教会牧師

 

 私の出会った一冊の本を挙げるとすれば、『愛と死の思想』(谷口隆之助著、1973年刊、川島書店)です。どうしてこの本を手にしたかは誌面の関係で割愛せねばなりませんが、1974年のことだったと思います。当時日本基督教団は体質を問われて烈しく揺れていました。私は次の一節に、求めるべき信仰の世界はここにあるように思ったのを覚えています。

 

 「生命の燃焼は、過度であることなしには美しくあることはできない。過度とは、決して熱狂を意味しない。過度とは、虚空に身を曝すことの烈しさであり、孤独に身をおくことの烈しさなのだ。それ故に過度とは、生命のさやけさの度合いであり、生命の透明度の度合いなのだ」

 

 私の書斎の机の上に、グレゴーグ・アランツク博士の写真があります。その温顔を見詰めては励ましを受けることを、私は常としています。

 

 コペンハーゲンで私は若い日、博士に教えていただきました。博士は、「私は国籍はデンマークだがウクライナ人だ。決してロシア人ではない」。とよく言われました。ソ連の崩壊した現在、この言葉の意味はよく分かります。しかし、その頃は、何故そんなことを言われるのか、不審に思ったものです。

 博士は、1902年ウクライナにお生まれになりました。しかし、ロシア革命による混乱の中で祖国を雑れ、ベルリン大学に留学、病を得て療養中にキルケゴールの思想に触れられたのです。病める亡命者の心にそれはマルキシズムの問題点を洞察する光を与えたのでしょう。留学を終えるや博士は直ちにデンマークに移られますが、不法入国の嫌疑をかけられ、実際に国籍を得られたのは実に1949年のことでした。

 

 1953年博士のキェルケゴール研究者としての地歩を固めるに至った、名著『セーレン・キェルケゴール著作入門』が出ます。その中で、キェルケゴールが晩年にデンマークの教会を批判した、いわゆる“教会攻撃”を評して「教会攻撃は、彼の著作活動の画竜点睛(がりょうてんせい)であった。……彼が教会攻撃の最中に路上に倒れた時、仮は『摂理』が課した使命を果たし終えたのだ」と述べておられます。デンマーク教会に今も根強い“教会攻撃”への反感を思う時、キェルケゴールと同様の困難をわが身に引き受けようとする覚悟なしには、これは書けなかったでしょう。

 

 博士は、1951年以来25年間コペンハーゲン大学に関わられますが、実際にキェルケゴールに関する講義を担当されたのは僅かに4年間でした。不遇でした。()る新聞が博士を賛えて、「デンマーク人以上にキェルケゴ―ルを理解した彼に、デンマークは惑謝せねばならない」と言ったこともありましたが、再びククライナを見ることのないまま、1978年貧しく多難な生涯を閉じられました。キェルケゴールに倣って生涯独身でした。

 

 博士の面目はむしろ大学の外にありました。1941年より主宰された私的な研究会には、博士を慕う市民が老若男女を問わず集まり、学者の如くではなく語るその言葉に耳を預けていました。それは、さながらキェルケゴールの伝道であり、それを通しての福音の説教であり、礼拝の趣がありました。博士自身は教会には出席されませんでした。

 

 私はマランツクの向こうにキェルケゴールを見、更にその向こうにイエス・キリストを常に見ています。三者に共通するものは、ある種の過度です。それは冒頭の谷口隆之助氏の言う意味での過度です。過度とは、あまりに功利約に人為化された日常性の中で輝きを失った生命を、それが贈られたままの姿で燃焼するようにと願う、生の生命への集中のことです。信仰とは本来、この生の生命への集中のことであったのではないでしょうか。

 

 私は三年前、少し大きな病気をしました。爾来祈りは、「生の生命に醒め覚めて、主イエスを見上げて今日をニコニコとなりました。