書評

評者;藤木正三(ふじき・しようぞう) 日本基督教団隠退教師

 

書名;好きが一番

副題;子に与える父親の真実

著者;塩野和夫

出版社;ヨルダン社

 

著者を筆者はまったく存じ上げない。ゲラ刷りを一読して、これは熟知の方が評されるべき本と思った。然るべき方に著者は恵まれておられるようでもあるし、ご辞退するのが本当と考えた。しかし、「はじめに」の末尾にある著者の願いに私なりに答えて、それを書評とさせて頂くことにした。不適任な者をそのように促すものが本書にはあるからである。「はじめに」は次のように締めくくられている。「・・・・さて、父の全存在が語っていた真実を『好きが一番』と題して何度も語ってきました。それは私の存在に深い自信を与えた父の真実は多くの人に語りかける何かを持っていると考えたからです。その何かを賢明な読者諸氏が本書を通して聞き取って下さればそれにまさる幸いはありません。」

 

「両親は駆け落ち結婚でした。若い日に恋に落ちて、母は家を飛び出して父と結ばれ、私を身籠り、知人を頼って福岡県のある町に数ヶ月身を寄せたということらしいのです」(69頁)。こうして始まったご両親の夫婦としての生活は40年後父君が癌を病まれて終りを迎える。死の三日前あいまいな意識の中で父君は母君の顔を撫でて「大好きや」と言い、その翌日、すなわち死の二日前に令息である著者により洗礼を受けられるのである。その時「病室が明るくなったかと思わせるほど父の全身から安堵の思いが伝わり、余計な煩いが取り去られたのか顔の表情はすっきり」(4頁)する。このような最後の数日に父君の示されたことの意味を求めたものが、第一部「好きが一番」の6篇である。第2部「神の思いは海にあふるる」は11篇からなり、著者が牧された教会の会員や、父君、岳父、そして愛猫への告別の言葉を集めたものである。

 

さて、「好きが一番」であるが、言うまでもなく「好き」は余人の口をさしはさむことを許さない熱情であり、理性を失って暴走せしめる直情であり、押さえるものをはねのける激情である。それが「一番」となれば、もはやそれは「狂」であり、「病」であろう。しかし、それがいかに生きるべきかという人生への志と結びつく時、その人の個性的真実となるものでもある。「好き」自体は極めて主観的ではあるが決して個性的ではない、むしろ、燃えれば燃えるほど類型的にすらなる凡庸のことである。それが個性的となりその人の真実を表現するものとなるには、その人の生涯かけたいかに生きんとするかの志の有無が問題になる。その点以下の、著者が描写する父塩野元次郎氏の姿は大切である。「父は『真面目の上に何かが付く』と言 われるほど、誠実な人でした」(13頁)、「父はいつも胸を張って歩いていました。必ずしもいわゆる成功者ではありませんが、自分の生き方にプライドを持っていました」(70頁)、「父は言葉の人ではなく、社会的な理想に燃えることもなかった。しかし、与えられた状況における与えられた勤めに誠実に勤勉に取り組み、不平というものをもらすことがなかった」(119頁)。

 

「大好き」を誰でもが言い得る没個性的な主観的表白ではなくて、極めて個性的な、父君にして初めて言い得る優しさと励ましに満ちた真実の言葉たらしめたのは、父君目身のこの誠実な人生態度であろう。それが又、父君の「大好き」に「すごさ」(14頁)を与えた。「好きが一番」とは、「誠実が一番」の上でのみ説得力を持つ真実ではないか。かくして著者が「何かを聞き取って下されば」と言われる「父の真実」とは、私の言葉で言えば、「人生はどのような生活をしたかではなくて、どのように生きるべきかという人生への志を持ち続けたかで決まる。その志があればどのような生活も胸を張って良い」、ということになろうか。

 

全篇を貫くものは誠実。著者は父君によく似ておられる。

(了)

 

 

書名;遺された言葉

副題;死に臨む信仰者たちの告白

編者;川越 厚

出版社;日本基督教団出版局

 

本書は、「信徒の友」(日本基督教団出版局)が1996年秋に公募した、信仰を持つ人々が家族や友人に死に臨んで遺した言葉を主体として、川越厚氏(賛育会病院院長)が編集された22人の「遺された言葉」と、「編者あとがき」とからなっている。各「遺された言葉」には、それぞれの亡くなる時の状況と略歴が付されて、「言葉」の理解が深められるよう配慮されている。22人は、年齢(12歳から87歳まで)も、 職業(会社員、主婦、教師など)も、立場(親として友として 牧師としてなど)もさまざまであるが、その「言葉」はいずれも読む者をして粛然とせしめる重い内容で、書評などできるものではない。読んで抱いた感慨の一つを述べて紹介文とさせて頂く。それは、こんなことってあるんだなあと考え込まされた、三人の「遺された言葉」を巡ってである。

一人は、「感謝で感謝で笑いが止まらんわ」とつぶやいて召された山本寿恵子さん、もう一人は、「純子のリュウマチを持っていきます」という言葉を遺して召された中津静子さん、三人目は、編者をして奇跡が起こったと言わしめた「編者あとがき」に紹介されている婦人である。

 山本さんの場合は、長男恒夫氏が次のように書いておられる。「一対一になった時、目をはっきり開けて、小声で『神は愛なり』と明確に言い、もう自分の身も霊も神様に預けたものと、 私にははっきり見てとれました。……きれいな 救われたような本当に美しい母の顔であった。……私は何度でも母の笑顔が見たくて、目を覚ました母に何度も何度も『神は愛なり』と口だけ動かす。するとそのたびに百万ドル(服部福子姉曰く)、無限(娘万穂曰く)の笑顔を見ることが出来た。母が肉体の死を目の前にしてこんなにおだやかで平和な顔が出来るのは、やはり、イエス・キリストが我々の罪を背負って十字架に架けられ、殺されて復活し給うたおかげですし、母がそれを信じているからです。……『感謝で感謝で笑いが止まらんわ』と母はつぶやく」。

中澤さんの場合は、三女純子さんが、51年前の状況を次のように書いておられる。「母は死の直前、当時9歳の私に両手を差し出しました。私は覆い被さる様に抱かれました。

母の遺していった言葉

お母さんは先にイエス様のところに行きます

いつも純子のそばにいて守っています

神と人とに愛される人になりなさい

純子のリュウマチを持っていきます……

母を困らせた私の筋肉リュウマチの痛みはその後一度も痛むことなく、母の遺してくれた言葉に支えられ、母の守りをいつも感じ生きております」。

三人目の婦人については、「編者あとがき」をお読みください。

 

私たちは生かしてくださっている神の命を、複雑多忙な生活の中で見矢い、それに気づかないような暮らしをしている。しかし、それでも神は変わりなく、自ら造って祝福された私たちの中に、深く生き続けておられる。その命が死という危機に臨んで、一切の生活的覆いを取り払い、その中から自らの姿を露にし、私たちを、生かされていることへの感謝と、他者への愛と執り成しとに熱くなるよう、促されるのではないか。それは、神の命が生き給う深いところで、イエスがすでに祈っておられる祈りに合わせて、私たちが祈るよう促されることでもあろう。いずれにしても、感謝と愛とにおいて、被造物であることの告白をするのが、信仰を持つ者の最後の課題であり、恵みであるということであろうか。

(了)