実りの時 平松良夫 牧師
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実りの時
平松良夫
十九世紀の英国の詩人ロバート・ブラウニングの作品「ラビ・ベン・エズラ」は、このような一節で始まります。
老いてゆけ、私と共に。
最も良い時は、これから来る。
人生の最後、
そのためにこそ、初めもつくられた。
私たちの時は、み手のうちにある。
主が言われる。
「すべては私が備えたもの。
青春は、ただ半ばを示すのみ。
神に信頼せよ。
すべてを見よ、恐れるな」(拙訳)
この世のいのちの最後の時期、老年を、最も良い時と考える人は、あまりいないでしょう。実際に、「年は取りたくないものだ」という言葉をよく聞きます。
詩篇の31篇15節に、「わたしの時はあなた(神)のみ手にありまず」(口語訳)と歌われています。これは、老年を含めた人生のすべての時が、神様のいつくしみに満ちたご配慮の下にあるということです。
主の導きを受け、生涯を通して深まり豊かになってゆく私たちの魂が成熟に至る時、それが老年です。もし青年の時代に行き詰まりを感じることがあっても、絶望する必要はありません。まだ人生の半分しか知らないのであって、最も良い時は先にあるのです。若くして天に召される場合、備えられた魂の旅路をすでにたどり終えているのではないかと思われます。
しかし、豊かな実りを味わう時として老年を迎えるには、目先の利益やつかの間の楽しみを追って年を重ねるのではなくて、できるだけ早い時期から、目に見えない魂の成長を何よりも大切なこととして求めつつ生きる必要があります。そうであってこそ老年が、先に希望のないみじめな時ではなく、この世のいのちを超えた、キリストにおける父なる神との親しい交わりのうちにあって、深い喜びに満ちた祝福の時となるのです。
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