耳をすまして 平松良夫 牧師
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耳をすまして
平松良夫
預言者エリヤは、イスラエルの民を真実の神への信仰に立ち戻らせるため、バアルの預言者四百五十人と対決して勝利を収めます。しかしその後、バアル崇拝を擁護していた王妃のイゼベルに命を狙われ、荒れ野に逃れてゆきます(列王記上18~19章)。
神様がエリヤを導かれたのはホレブ山でした。ここは、イスラエルの民が、神様の憐れみによってエジプトでの奴隷の苦しみから救い出された後、神の民とされる恵みと、それにふさわしいあり方を示す律法が授けられた、聖なる地です。イスラエルの歴史の原点とも言うべき出来事が起こったこの山で、エリヤに預言者としての使命を問い直す時が与えられます。
神様は、嵐の中にも、地震の中にも、山の噴火の中にも、ご自身を現わされませんでした。その後、エリヤの耳に「静かにささやく声」(列王記上19章12節・新共同訳)が聞こえたのです。この声を聞いたエリヤは、再び預言者として立つ力と導きを受けて、敵の待つカナンの地に帰ってゆきます。
嵐や地震や山の噴火のような出来事には、だれでも、たとえ心が騒がしくても気がつきます。しかし、「静かにささやく声」を聴き取るためには、耳をすませていなければなりません。
聖霊の導きにより聖書を通して心の奥に語りかけられる、私たちの人生の原点となるべき言葉を聴くためには、この世のあわただしい営みから退いて、深く静まる時がぜひとも必要です。
悔いのない人生を送りたいと、だれもが願っています。年が改まるごとに、これまで抱えてきた問題を克服する決意を新たにするのも、そのためでしょう。今取り組んでいることが、時を経て意味を失うことのないように、いのちの御言葉に耳をすませ、私たちの生涯を通して変わらない価値を持ち、さらに時代をも超えて永遠の価値を持つことに心を向け、基礎を置いて、この一年を過ごしたいと思います。