恵みのうちに 平松良夫 森鴎外の作品に、『ぢいさんばあさん』という題の短編小説があります。 江戸は麻布の松平という大名の邸の中に小さな空き家があって、ある時それが修復されたというのです。まだ壁が乾ききらないうちに、そこに一人の年老いた武士が移つてきました。髪は真っ白でしたが、少しも曲かっていない腰にこしらえの良い刀をさした姿はなかなか立派です。しばらくすると今度は、やはり白い髪の、同じように品格の良いおばあさんがやってきて、二人で暮らし始めました。 二人は実に仲が良く、もし若かったら、とても平気で見てはいられないだろうと思われるほどでした。しかし同時に、ふたりの間には隔てのない中にも礼儀があって、夫婦にしては少し遠慮をし過ぎているのではないかとも言われていました。この時、夫の美濃部伊織は七十二歳、妻のるんは七十一歳でした。 伊織は若いころすでに、同輩に抜きんでた剣術の腕前を持ち、書に優れ、和歌の心得もありました。ただ、かんしゃく持ちなのが傷でした。しかしそれも、彼が三十歳になった時に、大名の邸で奉公をしていたるんが嫁に来てからは、何事にも忍耐するようになり、すっかり治まっていました。 るんは大変聡明で、気も体もよく働かせ、夫の伊織を心を込めて大切にするばかりでなく、七十八になる夫の祖母にも、血を分けた者も及ばぬほどやさしく心遣いをしたので、彼はその生活に満足していたのです。 ところが、藩主の供をして京都に滞在していた時、伊織は気に入った刀を見つけ、それを手に入れるために借りた金のことで同僚との間に感情のこじれが生じ、受けた侮辱をこらえることができずに、相手を切ってしまいます。深く悔いましたが遅く、役目も家も禄(給与)も取り上げられて他の藩に預けられ、謹慎をしなければならなくなります。 妻も、生まれたばかりの子も、祖母も、それぞれ親類に引き取られましたが、寂しくてるんのところに来た祖母がやがて亡くなり、まもなく子も亡くなります。るんは、二人を力の限りに看病し、見送った後、再び大名の邸で奉公を始めます。そのまま七十になるまで勤めて、終身二人扶持(年金)を受け、隠居したのです。 翌年、夫の伊織も長い間の謹慎を解かれて、江戸に帰れることになります。それを聞いたるんは大変に喜び、隠居先から江戸に出てきて、夫と再び一緒に暮らすようになったのです。離れ離れになってから、三十七年ぶりのことでした。 隠居所で暮らす伊織とるんの姿には、冬の日だまりにくつろぐような、静かな喜びと安らぎが感じられます。 二人の生涯は、決して順調でも穏やかでもありませんでした。しかし、自分たちの運命を睨うことなく、淡々と受け入れて、その時その時の荷を誠実に負いながら、この年月を過ごしてきたように思われます。だからこそ、こんなに長い間離れていても、再び会えば、まるで以前の二人の暮らしがそのまま続いていたかのように、また始めることができたのではないでしょうか。 私たちの人生には、望むこととともに、望まない多くのことが起こるのを避けることができません。しかし神様は、私たちに幸せと感じられることばかりでなく、不幸と思われることを通しても、恵みを注がれます。そうであるなら、私たちが出会うどの物事とも誠実にかかわることによってこそ、最も豊かに恵みを味わい知ることができるのではないでしょうか。 年が改まるごとに、私たちは新たな望みを抱き、いろいろな計画を立てます。しかし、一年の実際の歩みは、どのようなものになるでしょうか。 喜びも悲しみも、楽しみも苦しみも、何も特別なことのない日々も、すべてが恵みのうちに置かれている人生の一部として受け入れ、めぐり合う人や物事と心からの感謝をもって向かい合うことができたら、幸せです。 |