父よ

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平松良夫

フランス映画『父よ』は、原作『彼は誰も知らない秘密の園を持っていた』を書いたジョゼ・ジョヴァンニが自ら監督となり、その父親を描いた作品です。

 

マニュという青年が、ある事件にかかわり、実際は犯していない殺人の罪を着せられて私刑の判決を受けます。賭博師の父親は息子から嫌われ、軽蔑されていて、一緒に暮らしていた時には顔を合わせるごとに言い合いになったほどでした。しかしこの父親は、自分の言うことを聞かずに犯罪に巻き込まれ、刑務所に入れられた息子を、決して見捨てないのです。

 

毎日のように彼は、刑務所の前にある小さなカフェ「向かいよりはましな所」に通います。好意的な看守や出所する人から息子の様子などを聞くためです。また、若い献身的な弁護士とたびたび会って、息子のいのちを救うために、髪の毛一筋ほどの可能性をも探ります。減刑の運動に必要なお金を急いで作ろうと、自分の金歯を抜いて売ることさえするのです。

 

しかし、考えられる限りの手を尽くしたかいもなく、上告は却下されます。望みが絶え、いつ息子の刑が執行されるかわからなくなった時に、父親はなおあきらめず、ほとんど可能性のない方法を試みます。それは、息子のかかわった事件で犠牲となった人たちの家族に、特赦に同意する手紙を書いてもらうことでした。

 

当然のことながら、家族たちは手紙を書くことを拒みます。しかしこの父親は、子供たちを育て損なった深い悔いや、道を外れた息子をどうしてもあきらめきれない父親の情を訴えます。ある家族は激しい憎しみを表わし、家の中にも入れてくれません。その門の前に立って、降りだしてきた雨に打たれながら、父親は待ち続けます。そして、ついに二通の手紙を手に入れるのです。

 

その特赦同意書が決め手となって大統領を動かし、息子は死刑を免れ、終身刑に減刑されます。しかし、息子に嫌われていると思う父親は、自分のしたことを皆母親の功績として息子に伝えさせるのです。

 

それからも父親は、賭博で暮らしを立てながら、他の刑務所に移される息子を追い続けます。そして、死刑の判決を受けてから十数年がたち、ついに息子は自由の身となるのです。

 

その息子マニュが、獄中にあって日々の経験を書き綴った作品『穴』が、弁護士からその友人の編集者に紹介されて出版され、作家としての道を歩み始めます。

 

やがて『穴』は、高い評判を得て映画となり、初日に原作者のサイン会が開かれます、そこには、父親が通った刑務所の向かいのカフェの主人や、砂漠のような刑務所でオアシスのような存在だった看守、また息子マニュのために献身的に働いてくれた弁護士などが顔を見せます。

 

しかし、マニュを救うためにだれよりも心を砕き、力を尽くした父親は、たくさんの人々に囲まれて新しい人生の門口に立つ息子の姿を見るだけで満足し、ことばを交わさずに立ち去ります。「これでいいんだ」と何度もつぶやきながら。

 

『父よ』の原作者であり、映画の監督でもある息子、ジョゼ・ジョヴァンニのナレーションが入ります。「父が私のいのちを救ったのは、本や映画のような成功を期待していたからではない。私からの感謝を期待していたわけでもない。ただ、私が息子だったからだ」。

 

たくさんの問題を抱える私たちでさえ、自分の子供のためには、できるすべてのことをしてやりたいと思います。まして天の父は、私たちのためにいつでも最も良いものを備え、与えてくださらないはずがあろうか、と主イエスはおっしゃいます(マタイ7章11節)。

 

しかし神様が、どんなことがあっても私たちを見捨てず、あくまでも助け生かそうとしてくださっているのは、その愛に値する何かを私たちが持っているからでも、行なったからでもありません。ただ恵みによって、私たちが神様の子とされているからです。何度教えられても歩むべき道からそれ、自分もまわりの人たちも苦しめている、愚かでかたくなな私たちを救うために、キリストの十字架の犠牲さえ惜しまれなかった、神様の限りない愛のゆえなのです。