居場所

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平松良夫

 

「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります」     (ヨハネ14章2節)イギリスの童話作家エリナー・ファージョンが書いた、たくさんの優れた作品の中に、『マローンおばあさん』という詩があります。

 

マローンという名のおばあさんが、森のそばにひとりで貧しく暮らしていました。鍋は一つ、やはり一枚だけの皿には、たった一切れのパンしかなく、話し相手も自分だけでした。家のまわりでたきぎを拾い、古いぽろの布を床に敷いて寝ていました。だれひとり様子を尋ねる人もなく、気にかける人もいませんでした。

 

雪が降り積もった、ある月曜日のこと、窓辺に弱り果てたスズメが1羽とまっていました。まぶたは半分ふさがり、くちばしも凍りついていました。マローンおばさんは、すぐに窓をあけて中に入れてやり、胸に抱いてつぶやきました。「こんなに汚れて、疲れ切って。ここには、おまえの居場所くらいあるよ」。

 

火曜日の朝には、やせこけたネコが一匹やってきたので、やはり家に入れて、わずかな食べ物を分け合いました。水曜日には、やつれはてた母ギッネが、六匹の子ギッネを連れて、こごえて立っていました。おばあさんは、ひざかけに包み込んであたため、ほんの少しずつでしたが、食べ物を分けてやりました。木曜日にはロバが、金曜日にはクマがやってきました。

 

マローンおばあさんは、どの動物にも、わずかしかない食べ物を分けてやりました。パンも、お茶も、肩かけも、何もかも分け与えて、「次から次へと家族が増えた。でも、もう一匹分くらい居場所があるよ」と言っていました。

 

土曜日の夜、ごはんの時間になっても、おばあさんは起きてきませんでした。動物たちは、ロバの背中にマローンおばさんを乗せ、森を抜け、山を越えて歩き続けました。日曜日の朝、最後の雲の峰を越えて天国の門へと近づいてゆきました。

 

門番のペトロが動物たちに聞きました。「だれだね? おまえたちが連れてきたのは」。動物たちは声をそろえて答えました。「私たちのお母さん、マローンおばあさんです。貧しくて何も持っていなかったけれども、広くあたたかい心でぃ私たちに居場所を与えてくれました」。

 

その時、マローンおばさんは目を覚まして言いました。「いったいここはどこなの? さあみんな、帰りましょう。ここは、私の来る所じゃないよ」。

 

しかし、ペトロは言いました。「母よ、入って玉座のそばにお行きなさい。ここには、あなたの居場所がありますよ」。

 

どこにも身の置き所がなく、飢え、弱り切った動物たちにとって、マローンおばあさんの家は最後の居場所でした。そして、だれにもかえりみられることのなかったマローンおばあさんには、神様ご自身のもとに永遠の住まいが用意されていたのです。

 

私たちは、まわりの人たちから、過ちのゆえに見捨てられたり、貧しさや地位の低さ、老いや心身の障害、能力の乏しさなどのゆえに、軽んじられたりすることがあります。しかし、私たちの永遠の友イエス・キリストをお遣わしくださった父なる神は、私たちが人の目にどんなにみすぼらしく力弱く映っても、多くの深い過ちを重ねても、かけがえのない子として、ご自分のもとに安らぎに満ちた居場所を用意してくださっています。

 

古代の教会の指導者アウグスティヌスは、『告白』の中にこう書いています。「あなた(神様)は私たちを、ご自身に向かうようにお造りになったので、私たちの心は、あなたのうちに憩うまで安らぎを得ることができません」。

 

過ぎ去る安らぎしか見いだせない魂のさすらい人であった私たちのために、永遠の故郷(ピリピ3章20節)である天の父のもとへ帰る道を開いてくださったのは、十字架のキリストです。

 

このように、キリストを通して父なる神の限りない憐れみを受けている私たちが、欠けの多いお互いをゆるし、心や生活の中に居場所を用意することができるなら、クリスマスの平和の恵みが私たちのうちに満ちることでしょう。