新しき(おしえ)

本多 庸一

 

目 次

1.     現代語訳

2.     原文文字起し

3.     解説

 

1. 現代語訳

日本は二千五百年以上の歴史をもっている国ですが、世界の人は新日本と呼びます。我々も又新日本と称しています。ただし世界の人が新日本と呼ぶ程我々は日本をそれ程新しいとは思いません。世界の人は東洋未開の日本が僅か過去五十年の間に今のようになったと言っていますが、それは間違いです。中には五十年に出来たものもありますが、それは以前から準備していたから出来たのです。それを成し遂げた要因が無ければ五十年では出来ません。永い間の素養があったからこそ、五十年の間に出来たのです。もしそれが五十年に出来るものならば、中国や朝鮮にも出来る筈です。他の国では出来ないで日本に出来たのは、日本に素養があったからです。日本も一時は鎖国していましたが、目が()めて世界の大勢に(おく)れない(よう)努めたので、今日の新しい日本が出来ました。これは他国と大いに様相が異なる点です。では、その新しいという事はどういう意味でしょうか。最近五十年間に何が変ったのでしょうか。少し考えて見たいと存じます。まず交通機関が変りました。私は今より三十年前信濃路を通ったことがあります。その頃は人力車と粗未な乗合馬車があったばかりで、今日の中仙道鉄道などは少しもなかった。それが、今日は信濃から越後へ往くのに一歩も土を踏まず、すっと往く事が出来ます。昔日は道路すら無かった所に鉄道が通じている。往日私の旅行した頃は有名な姨捨山(おばすてやま)も望遠鏡で遠くに眺めたくらいでしたが、今日は汽車に乗って姨捨山の絶景を眼下に見下ろしてしております。山河は旧のままですが、人がこれを使えば別の物の様になります。先日信州より帰途甲州路を通りました。四十箇所以上のトンネルを過ぎて随分不愉快でした。ですが昔ならば五六日もかかる処を(わず)かに八時間で旅行が出来るようになったのは、確かに日本が新しくなった証拠です。

 

政治経済の方面から申しましても非常に変りました。教育機関なども、その進歩は驚嘆するに()るものがあります。長野県へ行って驚いたことは、教育機関が()く整備して居ることであります。全国で長野県の小学校の校長位高額の月給を貰っている処はありません。とても教育が普及して、何処でも本を読む声を聞かない処は無いという様子です。十年の後には恐らく文字を読めない者は県下に一人もあるまいと存じます。これはヨーロッパに比べてもほとんど(たぐい)の無いことであります。こういう風に、大きな変革を成し遂げたので、我々が今日の日本を新日本と言っても特に問題はないだろうと思います。

さて、どの様にして新日本となったかと云ふと、やはり西洋の新制度と日本の新発明とを用いた結果であります。今日の文学も政治も皆新しくなりました。これは言うまでもないことであります。特に、我々の述べたいと思うことは宗教の方面です。新しい宗教は新しい日本に必要であろうと考えます。なぜ新しい宗教が必要なのか、またどの様な宗教が日本において新しいものと認められるのか、私はここに数か条の要点を挙げて皆さまの研究の材料に提供しようと思います。

 

(一)         第一に考えているのは、新日本になりましてもやはり従来の国粋を保持してこれを啓発しなければならない、と云うことです。その国粋と申すのは(ほか)でもありません。即ち敬神の道であります。そもそも日本帝国の基礎は何であるかと言えば、神に仕えるという事であります。日本の一番古い話は神の外はありません。此の国は神の事で始まった国柄であります。政治は神を祭る事です。天下国家を治める事も倫理道徳も神を祭ることであります。此処が日本の国粋であります。皇室の歴史を研究しても、神の話を取除いたら何もない。神を敬い神に仕える道を除外すれば、日本の国体は其の土台から動揺いたします。それでは新日本の材料を以て此の国粋を啓発することが出来るでしょうか。従來のもので根本的敬神の道を啓発することが出来るでありましょうか。こう考えて見れば思い当たることがあります。仏教は日本の精神界に功労がありました。儒教は倫理道徳の為、政治思想の為に功労がありました。但し敬神の為に何程の功労があったかというと、何も無かったと申さねばならぬ。仏教は日本へ来て調和しただけで何も言わない。仏教は現世の倫理道徳に於いても説く所があったが、敬神の道は説かない。神道はどうか、と言うと、発達したというよりも殆ど乱れてしまった。何でも神樣にしてしまうという風になった。これでは新日本の人心を治め制度文物と共存して行かれない。従って神明の道を明白に、又合理的に教える者が必要です。それでは、どこにこれを求めますか。近来新しい(おしえ)が盛んに起りますが、今日(こんにち)の文明の制度教育と共に国粋を啓発し保存することが出来るかと云うと、決して出来ません。ただ、基督教は明白に理性を満足させる信仰を以て、神を(おそ)(うやま)い、文明の制度思想に伴って行く(おしえ)であると思います。少なくとも(ほか)これと比べるべきものがなかろうと思うのであります。

 

(二)         日本帝国が新しいと言うのは復古でありまして、徳川三百年の習慣に対してこの様に言うのであります。海外と交際しないというのが三百年の国是でありましたのが、一変して万国と交際せねばならぬという風になりました。但しこれは復古したものでありまして、鎖国以前は清韓インドとも盛んに交通して文明を吸収して居たのであります。新宗教はこの国是と共に共存するものでなければなりません。仏教は主義において万国的宗教でしたが、日本に来て日本の(おしえ)、外国から来たものでない、という様な態度になってしまった。儒教が来たが、支那人の思想を採用して自国を中心とし、外国は夷狄(いてき)だ、(いぬ)(ひつじ)国だと称していた。諸君もご存知の通り今日の支那帝国の人民程傲慢な民は無い。戦争には敗けるが心の中には他国を自己と同等に思わない。自国が一番(えら)いと思って居る。しかしそういう思想は日本の国是に添わない。日本が戦争に勝利を得たのは天の助けである。それを忘れて日本が(えら)いと云う考えがあれば間違いである。外国の人は兎角(とかく)日本人を恐れて居る。日本は貧之しているがこれに金を貸してやるならばどんなな悪い事をするかも知れない、日本人に金を持たせれば鬼に金棒である、油斷をすると途方もない事になると警戒して居る樣子であります。今日の宗教はこういう非難を防ぐことが出来ない状態である。自信は(よろ)しいが、驕慢(きょうまん)陥って世界の人と事を共にすることが出来ないとなれば、大いに心配であります。

 

不幸にして我が国民はどこの人からも野心がある、乱を好むと疑われております。思慮の無いものは支那(しな)に勝ちロシアに勝ったから、戦争さえすれば世界に勝ってゆけるものと考えております。但し今日(こんにち)は戦争だけでは世界の一流国にはなれません。世界の国是と歩調を一つにしなければなりません。世界の人と幸福を共にするという平和の考えがなくてはならぬ。愛国ばかり教える宗教では足りない。世界の国と共に国是に添って交際する信仰が必要です。何処へ行っても歓迎され、日本人とならば一緒に事を共にするという様になる事は、今日の国勢上誠に大切であります。であれば心から万国の人と交際を同じくする信仰とは何であるか?多言を要せず、天の父を尊び世界の人を兄弟とする基督教こそ日本帝国の国是に添って()く宗教であります。

 

(三) 次に民族の間に一夫一婦の制度を(とうと)ぶという気象を養わなければなりません。これは民族の土台である家庭を平穏にするためであります。今日(こんにち)は公然として(めかけ)(たくわ)える事は出来ませんが、それでも一般の人は多くの人がいる席でも構わずに、得意気に(めかけ)がいることを誇っている者があります。私はどんな家庭にも蓄妾(訳者注;妾を抱える)の風習があるとは申しません。蓄妾は百の家庭に一もない、恐らく千に一もありますまい。しかし世間では蓄妾の風を左程に悪い事と思って居ない。欧米の人は信者でなくとも妾を置くことは悪いと思って居ります。我国の風俗として蓄妾に反対しないのは、実際あるよりも害が甚だしい。実際(自分の)家庭には妾は居なくても大衆としては悪いと思わない(むし)(自分でも)欲しいと思って居る。此の悪習を改めて是非とも一夫一婦の制を立てねばなりません。

近頃は一夫一婦を唱へて居る基督教の青年男女が、(わず)かの事で失敗するものが非常に多い。男女間の失敗を見て教会へ行く事を好まない青年もある様です。儒教などをやったものは男女の関係には無頓着であるか、そうでなければ中々(げん)(かく)ありました。現今の青年は余りに(もろ)い。もう少し骨がなければならぬ。(こと)に妙齢の姉妹に申します。今日は若い人が親切を装って騙します。用心しなければなりません。()(かく)も家庭を(いさぎよ)くする上で助けとなるものは、基督教主義より外は無いと信じます。

 

(四) 近頃競争が益々激しくなり生活難を訴える人が増えて来ました。 その波風(なみかぜ)の中にあって人の心を安んじ、光明を与える(おしえ)は何でしょうか?これは実際問題であります。人間の知恵が進むと競争が激烈になり、競争が(はなはだ)しくなると情慾が強くなる。情欲に苦しめられることは別問題として、生活の競争が激しい。女子教育の主義も依然として良妻賢母主義の様でありますが、婦人が職業を得なければならぬという時代の声もあります。婦人が職業を得れば、それだけ男子の職業が減ずる訳であります。鉄道局で婦人を(やと)えば一方の青年は失職するに違いない。小学校に女子の先生が多くなることは喜ぶべきことである。尋常小學校の先生には女子が適任である。徴兵適齢の男子が、子供の世話をして子守をして居る程不経済のことはありません。先日某中学校長の談に、中学生が定員に満たない、三百人の定員であるのに入学するものは二百人位であると云うことを聞きました。何故であるかと、其の原因を尋ねましたら、その地方では高等小学校を卒業すると、小学校の教員となって十五円か二十円の月給を(もら)うとのことでありましたが、これは国の為に悲しむべきことでございます。日本の青年が米国へ渡って、彼の地で婦人のする拭掃除(ふきそうじ)などをやって居るものがあります。生活の為に男女職業の競争をするといふ事は、実に止むを得ぬことであります。

 

日本在来の宗教は、何事も前世の宿縁(しゅくえん)だから(あきら)めよ、と言います。 その様に容易に(あきら)められるものならば解決が付きますが断念しようとして断念し難いものがある。その様な状況では自分を慰め励ます力が必要です。競争の激しい生活の困難な世の中に処して、弱き者であっても常に自分を愛する者がいると信じれば、大抵の困難は忍べます。その愛は(ほか)でもありません。神の愛、キリストに拠って(あら)われた天父の愛であります。世の中には敬神の観念はあっても、神に愛されていると云う観念のない人が多く居ます。『我等が神を愛するのは、神がまず我等を愛したからです」、神の完全自由な愛は我をも捨てず、現世の行路は死の蔭の谷であるが、来世は父の家に帰り父の(ふところ)に入ると思えば、どんな困難があっても忍耐する事が出来ます。生活の競争が激しい中に立つても、(ひが)ないで世に処することが出来ます。神の子が我等の為に一命を捨て給うた事実を(にぎ)っていれば、どんな状況にあっても忍耐することが出来ます。死ぬ気になって、やると思えば強くなれます。その独り子を犠牲となし給える神の愛に励まされて、兄弟の為に命を捨てようとするならどんな事でも出来ない事はありません。『身を捨ててこそ浮ぶ瀬もあれ』、婦人にせよ老人にせよ、愛が心に注げば思いの外強くなります。どんな困難にも強くなれます。神の愛が我等の心に注がれた。我等も又人を愛すべきです。これは現在未来の生命の大秘訣で、又福音の秘訣であります。要するに神の愛を受けてこれを人に与えれば世の波風が静まり平和の社会が出来ると信じます。

(明治41年10月4日、青山学院にて

 

 

2 原文の文字起し

日本は二千五百有餘(ゆうよ)年の歴史をもち()る國でありますが、世界の人は新日本と申します。我々も(また)新日本と(しょう)して()ります。(ただ)し世界の人が新日本と呼ぶ程我々は左程(さほど)新しく思ひません。世界の人は東洋未開の日本が僅々(きんきん)五十年の間に()うなったと()つて居るが、(それ)は間違であります。中には五十年に出来たものもあるが、以前から支度(したく)があったから出来たのであります。(これ)(はっ)(せい)した原因は五十年では出来ぬ。永い間の素養があったからこそ、五十年の間に出來(でき)たのであります。()(これ)が五十年に出來るものならば、支那朝鮮にも出來る筈であります。他の國では出來ないで日本に出來たのは、日本に素養があったからであります。日本も一時は鎖國(さこく)でありましたが、目が()めて宇内(うだい)の大勢に(おく)れない(よう)(つと)めたので、今日の新しい日本が出來ました。之は他國と大いに趣を異にして居る(てん)であります。(ただ)()の新しいと云ふ事は如何(いかが)()ふ意味でありますか。最近五十年間に何が(かわ)ったのでありますか。少しく考へて見たいと存じます。先づ交通の機關(きかん)(かわ)つて來ました。私は今より三十年前信濃路を通ったことがあります。其の頃は人力車と粗未なる乗合馬車があったばかりで、今日の中仙道(てつ)(どう)(など)は少しもなかった。(ただ)し今日は信濃から越後へ往くに一歩も土を踏まず、ズット往く事が出來る。昔日は道路すら無かった(ところ)に鐵道が通じて居る。往日私の旅行した頃は有名な姨捨山(おばすてやま)も望遠鏡で(ようや)く眺めた位でありましたが、今日は滊車に乗って姨捨山の絶景を眼下に下瞰(みおろ)して居ります。山河は(きゅう)(ごと)し、人(これ)を用ふれば別物(べつぶつ)の如くなります。先日信州より()()甲州路を通りました。四十ヶ處以上の(ずい)(どう)を過ぎて随分不愉快であった。(ただ)し昔ならば五六日も掛かる(ところ)(わず)かに八時間で旅行が出来るやうになったのは、確かに日本が新しくなった證據(しょうこ)である。

 

政治経済の方面から申しましても非常に(かわ)って()る。教育の機關(きかん)(ごと)きも、()の進歩は驚嘆するに()るものがあります。長野(けん)()つて驚いたことは、教育機閾の()く整備して居ることであります。全國で長野縣の小學校の校長位餘計(よけい)の月給を(もら)つて居る(ところ)は無い。如何(いか)にも教育が普及して、(いず)()にも咿唔(いわれ)(こえ)を聞かぬ處は無いと云ふ有樣であります。十年の後には恐らく文字の無いものは縣下(けんか)に一人もあるまいと存じます。(これ)欧羅(ヨーロッ)()に比べても(ほと)んど(たぐい)の無いことであります。()()ふ風に餘程(よほど)(かわ)った所から、我々が今日の日本を新日本と云つても(あえ)差支(さしつかえ)なからうと思ひます。

(さて)如何(いかに)して新日本となったかと云ふと、矢張(やは)り西洋の新制度と日本の新(はつ)(めい)とを用いた結果であります。今日の文學も政治も皆新しくなりました。之は言ふ(まで)もないことであります。(ただ)し我々の述べたいと思ふことは宗教の方面であります。新しき宗教は新しき日本に必要であらうと考へます。(なに)(ゆえ)に必要であるか、(また)如何(いか)なる宗教が日本に於て新しきものと認めらるるか、私は(ここ)(すう)(じょう)要鮎(ようてん)()げて諸君の研究の材料に(きょう)せん。

 

(三)         第一に考へて居るのは、新日本になりましても矢張(やは)従來(じゅうらい)國粹(こくすい)を保存して之を啓發(けいはつ)しなければならぬと云ふことであります。()國粹(こくすい)と申すのは(ほか)でもありません。即ち敬神の道であります。(そもそ)も日本帝國の基礎は何であるかと云へば、神に事へると云ふ事であります。日本の一番古い話は神の外はありません。此の國は神の事で始まった國柄(くにがら)であります。政治は神を祭る事である。天下國家を治むる事も倫理道徳も神を祭ることであります。此處(ここ)が日本の國粹(こくすい)であります。皇室の歴史を研究しても、神の話を取除いたら何もない。神を敬ひ神に(つか)ふるの道を除外すれば、日本の国體(こくたい)は其の土臺(どだい)から動揺いたします。(しか)るに新日本の材料を以て此の國粹(こくすい)啓發(けいはつ)することが出來ますか。従來のもので根本的敬神の道を啓發することが出來るでありませうか。()う考へて見れば思ひ(なかば)に過ぐることがある。佛教は日本の精神界に功勞(こうろう)がありました。儒教は倫理道徳の()め政治思想の為めに功勞がありました。併し敬神の為めに何程の功勞があったかと云ふに、何も無かったと申さねばならぬ。佛教は日本へ來て調和した(ばか)りで何も云はない。儒教は現世の倫理道徳に(おい)ても説く所があったが、敬神の道は説かない。神道は如何(いかん)と云ふに、發達したと云ふよりも殆ど(みだ)れて仕舞(しま)つた。何でも神樣にしてしまふと云ふ風になった。()れでは新日本の人心を治め制度文物と併行して往かれない。(ここ)に於て神明の道を明白に又合理的に教ふる者が必要である。(しこう)して何處(いずこ)(これ)を求めますか。近來新しき(おしえ)が盛んに起りますが、今日(こんにち)の文明の制度教育と共に國粹(こくすい)を啓發し保存することが出来るかと云ふに、決して出來ません。(ただ)基督教は明白に理性を満足さす信仰を以て、神を畏れ敬ひ、文明の制度思想に伴うて行く(おしえ)であると思ひます。少くとも(ほか)(これ)と比ぶべきものがなからうと思ふのであります。

 

(四)         日本帝國が新しいと云ふのは復古でありまして、徳川三百年の習慣に(たい)して()く申すのであります。海外と交際しないと()ふのが三百年の(こく)()でありましたのが、一變(いっぺん)して萬國(ばんこく)と交際せねばならぬと風になりました。併し之は復古したものでありまして、鎖國以前は清韓印度(いんど)とも盛んに交通して文明を吸収して居たのであります。新宗教は此の國是と共に併行(へいこう)するものでなければなりません。佛教は主義に於て萬國(ばんこく)的宗教であったが、日本に来て日本の(おしえ)だ外國から来たものでないと云ふ様な態度になって仕舞った。儒教が來たが、支那人の思想を()つて自國(じこく)を中心とし、外國は夷狄(いてき)なり、(いぬ)(ひつじ)(くに)なりと(しょう)して居た。諸君も知らるる(どお)り今日の支那帝國の人民程傲慢な民は無い。戰争には敗けるが心の中には他國を己れと同等に思はない。自國が一番に(えら)いと思うて居る。併し(しかし)左様(さよう)云ふ思想は日本の國是に()はない。日本が戰争に勝利を得たのは天佑(てんゆう)である。(それ)を忘れて日本が(えら)いと云ふ(かんがえ)があれば間違である。外國の人は兎角(とかく)日本人を恐れて居る。日本は貧之して居るが之に金を貨して()るならば如何(いか)な悪ひ事をするかも知れない、日本人に金を持たせれば鬼に金棒である、油斷をすると途方もない事になると警戒して居る樣子であります。今日の宗教は()()ふ非難を防ぐことが出來ぬ状態である。自信は(よろ)しいが、驕慢(きょうまん)(おちい)りて世界の人と事を共にすることが出來ぬとなれば、大いに心配であります。

 

不幸にして(わが)國民は何處(どこ)の人からも野心がある、(らん)を好むと疑はれて居ります。思虞の無いもの支那(しな)に勝ち()西亜(シア)に勝ったから、戰争さへすれば世界に勝つて往けるものと考へて居ります。(ただ)今日(こんにち)は戦争だけでは世界に立てませぬ。世界の國是と歩調を(いつ)にせねばならぬ。世界の人と幸福を共にすると()ふ平和の(かんがえ)がなくてはならぬ。愛國ばかり教ふる宗教では足りない。世界の國と共に國是に()うて交際する信仰が()る。何處(どこ)()つても歓迎せられ、日本人とならば一處に事を共にすると云ふ様になる事は、今日の國勢上誠に大切であります。(しか)らば心から萬國の人と交際を同じうする信仰とは何であるか。多言を要せず、天の父を尊び世界の人を兄弟とする基督教こそ日本帝國の國是に副うて往く宗教であります。

 

(三) 次に民族の間に一夫一婦の制度を(とうと)ぶと云ふ()(しょう)を養はなければなりませぬ。是は民族の土臺たる家庭を静穏にする所以(ゆえん)であります。今日(こんにち)は公然(めかけ)(たくわ)ふる事は出來ないが、(それ)でも一般の人は構はず稠人廣坐(しゅうじんこうざ)の前で、得意氣(とくいげ)(ちく)(けい)を誇って居る者があります。私は(いず)れの家庭にも蓄妾の風があると申しません。蓄妾は百に一もない、恐らく千に一もありますまい。併し世間では蓄妾の風を左程に悪い事と思うて居ない。欧米の人は信者でなくとも妾を置くことは悪いと思うて居ります。我國の風俗として蓄妾に反對せぬは、實際あるよりも害が(はなはだ)しい。(じっ)(さい)家庭の中には無いが公衆が悪いと思はい(むし)ろ欲しいと思うて居る。此の陋風(へいふう)を改めて是非とも一夫一婦の制を立てねばなりませぬ。

近頃は一夫一婦を唱へて居る基督教の青年男女が、(わず)かの事で失敗するものが非常に多い。男女間の失敗を見て教會へ往く事を好まない青年もある様です。儒教(など)をやったものは男女の関係には無頓着であるか、然らざれば中々(げん)(かく)でありました。現今の青年は(あま)(もろ)い。もう少し骨がなければならぬ。(こと)に妙齢の姉妹に申します。今日は若い人が親切らしく騙します。用心せなければなりまん。兎も角も家庭を(いさぎよ)くするに助けとなるものは、基督教主義より外は無いと信じます。

 

(四) 近來益々競争が激しくなり生活難を訴へて来た()波風(なみかぜ)の中に人の心を安んじ、光明を輿(あた)ふる(おしえ)は何であるか。之は実際問題であります。人間の知恵が進むと競争が激烈になり、競争が(はなはだ)しくなると情慾が強くなる。情欲に苦しめらるることは別問題とし、生活の競争が激しい。女子教育の主義も依然として良妻賢母主義の様でありますが、婦人が職業を得なければならぬと云ふ時代の(こえ)もあります。婦人が職業を得れば、(それ)だけ男子の職業が減ずる(わけ)であります。(てつ)(どう)局で婦人を(やと)へば一方の青年は失職するに違ひない。小學校に女子の先生が多くなることは喜ぶべきことである。尋常小學校の先生には女子が適任である。徴兵適齢の男子が、子供の世話をして子守をして居る程不經濟(ふけいざい)のことはありません。先日某中學校長の談に、中學生が定員に満たない、三百人の定員であるのに入學するものは二百人位であると云ふことを聞きました。何故であるかと、其の原因を尋ねましたら、其の地方では高等小學校を(おえ)ると、小學校の教員となって十五(えん)か二十圓月俸(げっぽう)(もら)ふとのことでありましたが、之は國の為めに悲むべきことでございます。日本の青年が米國へ渡って、彼の地で婦人のする拭掃除(ふきそうじ)(など)をやつて居るものがあります。生活の為めに男女職業の競争をするといふ事は、(じつ)に止むを得ぬことであります。

 

日本在來の宗教は、何事も前世の宿縁(しゅくえん)(あきら)めよといふ左樣(さよう)容易(ようい)(あきら)めらるるものならば解決が附くが絶念(ぜつねん)せんと(ほっ)して絶念し難いものがある。(ここ)に於て我を慰め我を(はげ)ます力が()る。競争の激しい生活の困難な世の中に(しょ)して、弱き者ながら常に我を愛する者ありと信ずれば、大抵の困難は忍べます。其の愛は(ほか)でもありません。神の愛基督によりて(あら)はれたる天父の愛であります。世の中には敬神の観念はあれども、神に愛せられていると云ふ観念のない人が多くあります。『我等神を愛するは、彼まづ我等を愛するに()れり」、神の完全自由なる愛は我をも捨てず、現世の行路は死の蔭の谷であるが、來世は父の家に(かえ)り父の(ふところ)に入ると思へば、如何なる困難があっても忍ぶ事が出來ます。生活の競争の激しい中に立つても、(ひが)まずして世に處することが出來ます。神の子が我等の為めに一命を捨て給うた()(じつ)を握って居れば、如何なる處にても忍耐することが出來ます。身を殺してやると思へば強くなれます。其の獨子(ひとりご)を犠牲となし給へる神の愛に(はげ)まされて、兄弟の為に命を()てんとせば如何なる事でも出來ない事はありません。『身を捨ててこそ浮ぶ瀬もあれ』、婦人にせよ老人にせよ、愛が心に(そそ)げば思ひの外強くなくなります。如何な困難にも強くなれます。神の愛我等の心に(そそ)がれたり。我等も(また)人を愛すべし。之は現生(げんしょう)未來(みらい)の生命の大秘訣で、又福音の秘訣であります。要するに神の愛を受けて(これ)を人に輿(あた)ふれば世の波風が静まり平和の社會が出來ると信じます。

(明治四十一年十月四日、青山学院にて

 

3 解説

この原稿は明治41年10月4日(日)午前10時から青山学院で行われた説教の原稿です。この説教は導入、本体、結論で構成され、本体は4項目で要領よく纏められ、聴く者の記憶に残る様に工夫されています。

この説教は導入として自分の体験談から最近の政治経済の動向に移り、本体として、その上で日本にはどの様な宗教が必要かを4項目に分けて説明しています。それは(1)国粋の保存と啓発、(2)日本帝国の国是に副う宗教、(3)一夫一婦の勧め、(4)激しい競争や生活難に耐える、であり、その視点は欧米列強に遅れて近代化した日本を振興し生存を維持するかにある様です。結論はその様な目的そして平和な社会を築くにはキリスト教がどの様に効果的かを述べています。

この説教内容は現代の、左翼思想に染まったり、個人レベルの信仰しか語らない牧師の説教を聞きなれた人にとって珍しいでしょう。庸一にとってキリスト教は日本国の安寧と不可分のものでした。第2次世界大戦後のパックス・アメリカーナの世界の構造が19世紀的様相に逆戻りしている今日、この庸一の信仰は何度も読み直して現代に活かして頂きたいものです。