超絶人格 本多 庸一 目 次 1. 現代語訳 2. 原文文字起し 3. 解説 1 現代語訳 上から来られる方はすべてのものの上におられる。地から出るものは地に属し、地に属する者として語る。(ヨハネによる福音書3章31節) ナザレから何か良いものが出るだろうか。(同1章46節) この二個の聖句について「超然人格」と言う事をお話ししたいと思います。初の句は預言者の霊に充ちエリヤの職務を行いつつあるバプテスマのヨハネが、イエス・キリストに関して与えた証言であります。後の句は正直単純にして少しも情実のせいで心境を誤魔化すことが無かったナタナエルの直感的発言であります。全体的に風俗、習慣及び時代の思潮なるものは、非常に強大な力をもって人類を支配するものであります。あの薬剤店の従業員は意図して自分を薬臭くさせるのではありませんけれども、彼等は何もしないでも薬臭くなるのです。魚屋の従業員は決して自分を魚臭くするのではありませんけれども、彼等は自分が悪くなくても自ら魚臭くなるのです。彼等は薫の中に居て自分が薫るのを知らず、臭い中に居て自分が臭くなっているのを知らないのです。全ての人も皆この様なものであります。彼等はその時代の風俗、その時代の習慣、その時代の思潮の中に在って、自然と此らの支配を受けその智識もその良心も皆これに支配されて、自分でも知らない内に自分を怪しまないのであります。もし世の中に時代の風俗習慣及び思潮の支配を受けない者があるならば、この者は実に非常な人物で超然とした人格を有する者と言わなければなりませぬ。けれどもこの様な者は到底常識で理解し得るところでないのであります。そのナタナエルなる者は未だ嘗てキリストに接した事がなく、事実を基にキリストが何者であるかを考証すべき機会が無かったのです。ピリポが彼に逢って「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者達も書いてある方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」と言った時、「ナザレから何か善い者が出るだろうか」と言ったのは、即ち常識で判断したのでありまして、この様な結論に達したのは決して無理の無い事であります。 試にイエスの周囲の境遇からこれを御覧なさい。私共はどの点からこれを見ましても、彼がペテロ、ヨハネ、ユダより優るべき理由を多く見ないのであります。あるいはイエスの父母は彼等の父母に優って敬虔な善人であったと申しましょうか。疑もなくヨセフとマリヤとは共に敬虔深い人でありました。イエスは幼少のころより彼等の膝下に育てられ、その善良なる感化を受けたのであります。けれども彼等が新天地を開くべきキリストを教育すべき資格を十分に備えていたとは信ずることが出来ない。いや、彼等はイエスの言行に関して受け入れられないところが多くあったのです。彼等にはイエスの他に子女がありました。これらの子女即ちイエスの兄弟なるものを見てみましょう。我等は別に他に異った点を見ないのです。即ち彼等は普通の平凡なユダヤ人に過ぎなかったので、要するに単にその父母の感化を受けたのに過ぎなかったのであります。 当時のユダヤ人というものはどんな者であったかと申しますと、猜疑、怨恨、復讐の念が強く、驕慢であって人を軽んじ、頑冥固陋であって非常に狭隘なだけでなく、その宗教なども形式に流れて精神を失い、例えば孝道について申しますなら「もし父或いは母に向って貴方を養うべきものはコルバン、つまり礼物だと言えば父母に仕えなくてもかまわない」と言う様な次第でございました。パリサイ人は一方においてこの様に儀文儀礼に流れて、全く宗教の精神を失っておりましたが、他方には又サドカイ派というものがありまして、この宗派に属した者は無神論、無霊魂論の信者で、従って彼等は軽躁浮薄でその徳儀に関する状態は甚だあわれなものでありました。この様な時代にあってモーセが律法の中に載せた言葉、預言者らが記した言葉が、しかもナザレの様な所から現れ出ようとは常識ある者には到底肯定し難い所であります。ナタナエルが「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」と言って、ピリポの言を否定したのは当然の事であります。 ピリポはナタナエルの言を聞いて、敢えて争う事を致しません。静かに彼に答えて「来て見なさい」と申しました。これは彼が推論するよりも事実を見るように訴えようとしたからであります。明白な事実はどんなに偏向した心をも破砕するものです。道理上からだけ論じますと、この様な時代にこの様な人物が出生すべき理由は無いのですが、事実はこれを承認せねばなりません。ピリポは既にイエスを見たのです。天来の証拠を見たのです。理屈はどうあってもこの事実は肯定するより外はないのであります。故に彼はあえて推理に訴えようとしないで事実を見るように訴えようとしたのです。彼がナタナエルに向って「来て見なさい」といったのは、つまり彼をして同一の事実を見ることでこの天来の証拠を承認させようとしたのです。 パトリック・カルネギー・シムプソン氏がその著 「基督の事実」に於いてキリストの品性を論じた箇所を見ますと、彼は四個の徳目を挙げております。即ち聖潔、仁愛、赦免、謙遜であります。此の四個の品性は今も昔も欠乏するところでありますが、殊に当時のユダヤ人に於いては最も欠乏していたのです。それどころか異邦の歴史に於いてこの様な品性を備えている者を見出す事は容易な事ではないのであります。それなのにイエスはこの時代に生れてこの四個の徳を一身に備えて居られました。これは実に驚くべき事であります。ですから私はこの四個の徳に更に一個の徳を加えたいと思います。即ち気品の高貴なる事であります。そもそも風采品格なるものは通常経歴の上で得られるものであって、一朝一夕に飾り付けて得られるものではありません。かの釈迦牟爾の様な人は王者に生れた者で、五十年の修行を積んだ者でありますので、王者を凌ぐ気品があっても敢えて忙しくする必要はないのであります。これに対しイエスは三十歳に至るまでナザレの寒村に大工の生活を為された者であります。彼が貧賤の境涯から成人し、短期間の内に世間の多くの人に仰がれただけでなく、ニコデモ、ヨセフの様な長老にさえ尊敬されるに至ったのを見れば、彼の気品を想像して理解すべきであります。そもそも謙遜柔和な者はともすれば人の侮を受け易いものです。しかしイエスは非常に謙遜柔和にして、更に反って人の軽侮を受けないだけでなく、逆に人に敬畏せられたのです。これは本当に驚くべき事ではありませんか。 次にイエスの宗教上の意見を見るなら、私共はここにも彼が高大なる超越をなしたのを見るのです。先ず始めに、イエスは神と人間の間の障壁を貫いて、父子の関係を明にしたのです。古より多くの聖賢が東西に顕われて神と人とに関する重要な教訓を与えたのであるが、未だに神が父であって吾人が子である事を明にした者はありませんでした。初めてこれを明にしたのはイエス・キリストです。彼に至って初めて神と人間の真の関係が明了になったのであります。次にイエスは選民と夷狄との隔てを廃して、悉くこれを天国の領民といたしました。大体どの国の国民も自国民を神が殊に愛し給う国民と考えて、他国民を軽蔑するものです。ユダヤ人も自分達を神の選民と称し、他国民を異邦人即ち夷狄の国民と呼んだのであります。勿論預言者達はこの誤りを打破しようと努めまして、神はユダヤ人だけの神ではなく、異邦人の神でもある事を教えたのでありますが、この思想はまだ十分に明になっていなかったのです。これを十分に明にしたのはイエス・キリストです。彼に至ってユダヤ人と異邦人の区別は全く廃棄されたのです。万民全てが神の子だとの教えが初めて明了にされたのです。精神的宗教が明にされたのも、またキリストのおかげであります。当時の宗教が儀文儀礼ばかりになってしまって、全く其の精神を失ったとのことは前に既に述べたところでありますが、キリストはこの儀文儀礼を斥けて宗教の精神を回復いたしました。というか彼は宗教に全く新な意義を与えたのです。即ち彼は「唯一ゲリジムの山だけではなく、又エルサレムだけでもなく、父を拝する時が来たのだ。今その時になった。神は霊であるから拝する者も又霊と真とを以てこれを拝すべきなのだ。」との事を教えられました。宗教はここに至って大きな進歩をなしただけでなく、新な意義を生じたのであります。安息日はユダヤ人が最も重んじたものでありましたが、これを重んずるのが過剰になり、かえって重荷となりました。即ち彼等が安息日に関して設けた規則というものは非常に煩瑣なもので、安息日が人の為に設けられたものであるか、人が安息日の為に設けられたものであるか分らぬ様な次第でありました。この様な状態でキリストは彼等の安息日に関する間違った考えを打破し、安息日は人の為に設けられたものであって、人が安息日の為に設けられたものではないと言う事を明にされました。大体これ等の事は何れも当時の教の思潮を超越する事で、時代の産物という事はできません。ですが、これだけでなく、彼は遂に自分の身を献げて万民の為に犠牲に供せられました。古来何物かの犠牲を神に献げる事は、人類の宗教心が禁じる事のできない事と思えまして、各国民皆この風習を備えていたので、ユダヤ国民のも又牛羊を神に献げて罪の贖を行って来たのであります。それなのにイエスはご自分の身を献げて万民を贖い、世界中の人々が再び牛羊を犠牲とする必要を永遠に無くしたのであります。この様な事は到底通常の人間が出来得る事ではありません。この行為に関する倫理道徳の原理、信条の基礎となるべきものに至っては、今ここで一々之を挙げる事は出来ません。要するにイエスの一生の高貴なる生活と斬新な思想とは、実に預言者イザヤが「天が地よりも高いように、わたしの道はあなたがたの道よりも高く、わたしの思はあなたがたの思よりも高い」と言った様に、超世脫俗でありました。到底ナザレ風の産物ではない、否、在来の人間の精華としては余りに高くあります。是は実に神霊が充ち溢れたものであって、ヨハネが言う様に「天から来て万物の上に在るもの」であります。是は即ち神人であります、神子であります、超然たる人格であります。 終りに臨んで、吾人は今日我国の国風、俗習及び時代の思潮如何を反省しなければなりません。私共は素より我が国民と憂歓を共にすることを厭わないだけでなく、又これを栄とするものであります。けれども私共は何時までもナザレの人であってはならないのです。換言すれば私共は時代の陋習邪俗に支配され感化されてはならない。たとえ国民の思想が堕落し風紀が弛廃する事があっても、私共はこれに浸染してはならぬ。否、私共は超世脱俗というより寧ろ世間を天国の美風に浸染させるよう努めなければならないのです。願わくは、私共は各々超然とした人格を仰ぎ、これに私淑して又自ら超然たる人格の人になりたいものであります。 (明治三十九年八月、青山に於る説教筆記) (「本多庸一先生遺稿」一五―二一頁 2 原文文字起し 天より来るものは万物の上に在り、地より出づるものは地につき、其の言う所も地の事なり。(ヨハネ伝三章三十一節) ナザレより何の善き者出でんや。(同一章四十六節) 此の二個の聖句に就いて「超然人格」と申す事をお話し致したいと思います。初の句は預言者の霊に充ちエリヤの職務を行いつつあるバプテスマのヨハネが、耶蘇基督に関して与えたる証言であります。後の句は正直単純にして少しも情実の為めに心境を掩われざるナタナエルの直覚的発言であります。凡そ風俗、習慣及び時代の思潮なるものは、非常に強大なる力を以て人類を支配するものであります。夫の薬店の小僧は敢て自らを薫らせるのではありませんけれ共、彼等は功なくして自ら薫るのです。肴屋の丁稚は決して自ら臭くするのではありませんけれ共、彼等罪なくして自ら臭くなるのです。彼等は薫の中に在りて自ら薫るを知らず、臭き中に在りて自ら臭きを知らぬのです。 凡ての人も皆此の如くであります。彼等は其の時代の風俗、其の時代の習慣、其の時代の思潮の中に在りて、自ら此等の支配を受け其の智識も其の良心も皆之に支配せられて、自ら知らず自ら怪しまぬのであります。若し世の中に時代の風俗習慣及び思潮の支配を受けざるものがあるならば、是れ実に非常なる人物で超然たる人格を有するものと云わなければなりませぬ。けれ共此の如きは到底常識の理解し得る処でないのであります。夫のナタナエルなるもの未だ嘗て基督に接したる事あらず、事実の上より基督の何者たるやを考証すべき機会に逢わなかったのです。ピリポが彼に逢うて「我ら律法の中にモーセが載せたる処、預言者等の記しし所の者に遇えり。即ちヨセフの子ナザレのイエス也」といいし時、「ナザレより何の善き者出でんや」と申したのは、即ち常識より判断したのでありまして、此の如き結論に達したのは決して無理ならざる事であります。 試に耶蘇の周囲境遇より之を御覧なさい。私共は何れより之を見ましても、彼がペテロ、ヨハネ、ユダより優るべき謂れを多く見ないのであります。或いは耶蘇の父母は彼等の父母に優りて敬虔なる善人であったと申しましょうか。疑もなくヨセフとマリヤとは共に敬虔深き人でありました。耶蘇は幼より彼等の膝下に育てられ、其の善良なる感化を受けたのであります。けれ共彼等が新天地を開くべき基督を教育すべき資格を十分備えたりとは信ずることが出来ない。否彼等は耶蘇の言行に関して多く了解せざる処があったのです。彼等には耶蘇の外他の子女がありました。試に此等の子女即ち耶蘇の兄弟なるものを見るに、我等は別に他に異りたる点を見ないのです。即ち彼等は尋常一様の猶太人に過ぎなかったので、要するに単に其の父母の気習を受けたるに過ぎなかったのであります。 当時の猶太人なるものは如何なる者であったかと申しますれば、猜疑、怨恨、復讐の念に富み、驕慢にして人を軽んじ、頑冥固陋にして甚だ狭隘なるのみならず、其の宗教の如きも形式に流れて精神を失い、例えば孝道に就て申しますれば「若し父或は母に向いて汝を養うべきものはコルバン、即礼物なりと云えば事えずともよし」と申す様な次第でござりました。パリサイ人は一方に於て此の如く儀文儀礼に流れて、全く宗教の精神を失って居りましたが、他方には又サドカイ宗なるものがありまして、此の宗派に属したものは無神無霊魂の信者、従って彼等は軽躁浮薄でその徳儀上の状態は甚だあわれなものでありました。此の如き時代に方りましてモーセが律法の中に載せたる処預言者等の記しし処のものが、而かもナザレの如き処から顕われ出でようとは常識あるものの到底首肯し難き所であります。ナタナエルが「ナザレより何の善き者出でんや」といいて、ピリポの言を否みたるは至当の事であります。 ピリポはナタナエルの言を聞いて、敢て争う事を致しません。静かに彼に答えて「来りて見よ」と申しました。是れ彼は推論よりも実験に訴えんとしたからであります。明白なる実験は如何なる偏頗心をも破砕するものです。道理上からのみ論じますれば、此の如き時代に此の如き人物の出生すべき理由はないのですが、事実は之を承認せねばならぬ。ピリポは既に耶蘇を見たのです。天来の証拠を見たのです。理屈はどうあっても此の事実は首肯するより外はないのであります。故に彼は敢て推理に訴えんとせずして実験に訴えんとしたのです。彼がナタナエルに向って「来りて見よ」といったのは、則ち彼をして同一実験によりて此の天来の証拠を承認せしめんとしたのです。 パトリック・カルネギー・シムプソン氏が其の著 「基督の事実」に於て基督の品性を論じた者を見ますと、彼は四個の徳目を挙げております。即ち聖潔、仁愛、赦免、謙遜であります。此の四個の品性は古今に欠乏する処でありますが、殊に当時の猶太人に就ては最も欠乏して居たのです。況や異邦の歴史に於て斯る品性を備えて居る者を見出さん事は容易の事でないのであります。然るに耶蘇は此の時代に生れて此の四個の徳を一身に備えて居られました。是れ実に驚くべき事であります。而して私は此の四個の徳に尚一個の徳を加えたいと思います。即ち気品の高貴なる事であります。凡そ風采品格なるものは通常経歴上得らるるもので、一朝一夕に修飾し得らるるものではありませぬ。夫の釈迦牟爾の如きは王者に生れたもので、五十年の修行を積んだものでありますれば、其の王者を凌ぐの気品ありしも敢て忙しむに足らぬのであります。然るに耶蘇は三十歳に至るまでナザレの寒村に大工の生活を為されたものであります。彼が貧賤に起り、忽ちにして天下與衆に仰がれたるのみならず、ニコデモ、ヨセフの如き長老にさえ尊敬せらるるに至りしを見れば、彼の気品を想見すべきであります。凡そ謙遜柔和なるものは稍もすれば人の侮を受け易きものです。然るに耶蘇は非常に謙遜柔和にして、而して曾て人の軽侮を受けざるのみならず、却て人に敬畏せられたのです。是れ豈に驚くべき事ではありませぬか。 次に耶蘇が宗教上の意見を見れば、私共は此処にも彼が高大なる超越をなせるを見るのです。先ず第一に耶蘇は神人間の障壁を徹して、父子の関係を明にしたのです。古より多くの聖賢が東西に顕われて神と人とに関し重要なる教訓を与えたのであるが、未だ神の父にして吾人の子たる事を明にした者はありませんでした。初めて之を明にしたのは耶蘇基督です。彼に至って初めて神人間の真関係が明了になったのであります。次に耶蘇は選民と夷狄との隔てを廃して、悉く之を天国の領民といたしました。凡そ何れの国民も自国民を以て殊に神の愛し給う国民と思惟して、他国民を軽蔑する者です。猶太人の如きも自ら神の選民と称し、他国民を呼んで異邦人即ち夷狄の国民と称したのであります。勿論預言者等は此の誤謬を打破せんと勤めまして、神は独り猶太人の神なるのみならず、又異邦人の神たる事を教えたのでありますが、此の思想は尚十分に明になって居らなかったのです。之を十分に明にしたのは耶蘇基督です。彼に至って猶太人異邦人の区別は全く廃棄せられたのです。万民悉く神子たりとの義が初めて明了にせられたのです。精神的宗教の明にせられたのも、亦基督に依ってであります。当時の宗教が儀文儀礼の末に流れて、全く其の精神を失ったとのことは前既に述べたる処でありますが、基督は此の儀文儀礼を斥けて宗教の精神を恢復いたしました。否彼は宗教に全く新なる意義を与えたのです。即ち彼は「唯にゲリジムの山のみに非ず、又エルサレムのみにも非ずして、父を拝する時来らん。今其の時になれり。神は霊なれば拝する者も亦霊と真を以て之を拝すべき也」との事を教えられました。宗教は爰に至って大なる進歩をなしたのみならず、新なる意義を生じたのであります。安息日は猶太人の最も重んじた者でありましたが、之を重んずるの甚しき、却って重荷となりました。即ち彼等が安息日に関して設けたる規則なるものは非常に煩瑣なるもので、安息日が人の為めに設けられたものであるか、人が安息日の為めに設けられたものであるか分らぬ様な次第でありました。是に於て基督は彼等が安息日に関する謬見を打破し、安息日は人の為めに設けられたる者で、人は安息日の為めに設けられたるものでないと申す事を明にせられました。凡そ此等の事は何れも当時教の思潮に超越する事で、時代の産物という事は出来ません。唯に是れのみでない、彼は遂に其の身を献げて万民の為めに犠牲に供せられました。古来何物かの犠牲を神に献ぐる事は、人類の宗教心の禁ずる能わざる処と見えまして、各国民皆此の風習を備えて居ったので、猶太国民の如きも亦牛羊を神に献げて罪の贖を為し来ったのであります。然るに耶蘇は其の身を献げて万民を贖い、天下万世をして再び牛羊を犠牲と為すの必要なからしめたのであります。此のごときは到底通常の人類の為し得べき処ではありません。若し夫れ倫理道徳の原理信条の基礎となるべきものに至りては、今一々之を挙ぐる事は出来ません。要するに耶蘇一生の高貴なる生活と斬新なる思想とは、実に預言者イザヤが「天の地よりも高きが如く、我が道は汝等の道よりも高く、我が思は汝等の思よりも高し」と申したが如く、超世脫俗でありました。到底ナザレ風の産物ではない、否在来人間の精華としては余りに高くあります。是れ実に神霊の充ち溢れたるものにして、ヨハネのいえる如く「天より来り万物の上に在るもの」であります。是れ即ち神人であります、神子であります、超然たる人格であります。 終りに臨みて、吾人は今日我国の国風俗習及び時代の思潮如何を反省せなければなりませぬ。私共は素より我国民と憂歓を共にすることを厭わざるのみならず、又之を栄とするものであります。けれ共私共は何時までもたといナザレの人であってはならぬのです。換言すれば私共は時代の陋習邪俗に支配され感化されてはならぬ。仮令国民の思想堕落し風紀弛廃する事あるも、私共は之に浸染してはならぬ。否私共は超世脱俗寧ろ世をして天国の美風に浸染せしむるよう努めなければならぬのです。願くは私共各々超然たる人格を仰ぎ、之に私淑して又自ら超然たる人格たるを得たきものであります。 (明治三十九年八月、青山に於る説教筆記) (「本多庸一先生遺稿」一五―二一頁) 3 解説 この説教は本多庸一先生遺稿 第一編 一般説教及教訓 におさめられているもので、明治39年8月、庸一58歳の時のものです。この年庸一はメソジスト三派合同のため渡米していますから、指導者として油の乗った時の説教と言えましょう。内容から見てこの説教はキリスト教をある程度知っている者が対象のようです。論旨は明快で些末の宗教論に陥らず、一般聴衆の腑に落ちる表現になっています。「自ら超然たる人格たるを得たきものであります。」という結びの表現は特にそう言えます。明治期のクリスチャンの言葉として現代のクリスチャンは覚えておくべきでしょう。 |