基督教と日本

本多 庸一

目 次

1.     現代語訳

2.       原文文字起し

3.     解説

 

 

1 現代語訳

  基督教と日本とは東西数千里を隔て、各々何の関係もなく独立して発達したものでございます。たとえ太古に於いて日本人がユーラシア大陸の西部に在り、力ルデア、アッシリア等の近くに住居し、その思想風俗が同じだった事があると仮に空想しても、その後数千年間東西に分れて発達したので、互いに大いに異なる所があるのは怪しむに足らぬ事でございます。それでなくとも基督教の発生地であるユダヤ国は、早くその独立を失ってその民族は世界を放浪する人となり、基督教も又西洋各国を通過して新世界の米国に入りついに我国に達したということなのですから様々な感化を受け、同じ基督教であってもその通過した地方次第で多少の異なる様相を呈していることでございます。日本においても又国土こそ極東の一群島であって他国の侵略を防ぐ上で便利が多く、幸いにして数千年間独立の趣旨を全うしましたが、その思想においては既に儒教仏教の強い侵略を受け、今は西洋文明の侵略を受けつつあるということなので単純な変化ではありません。それに加え、最後の大変化、即ち明治の大進化は最も驚くべきものであって、これは図らずも数千年間世界から隔離した上に、近世紀においては鎖国という特別な事情の下に隔絶した基督教と接触する機会となり、叉親しく手を握って益友とならねばならない必要をも生じたことこそ不思議の事でございます。

 

我々日本人である基督教徒は主人として客を迎える資格を一身に具えた者であって、日本人としては主人として珍客を迎え自分の家の上に祝福を受けたいと思う。又基督教徒としては新しい国土に奇勝を探り、天国の領土を広めると共に、天の父が探しておられる無数の迷える羊を導いて安全の道に帰らせようとの大日的を達するのでございます。我々に理想的と現実的との二つの考え方があり、例えば基督教を伝えるに当り、これは天地の創り主、人類の父である神の聖なる御旨であって、神の国を建て神の栄光を顕彰しようとするため万国に伝えるのである、というのが即ち伝道の理想でございます。しかしながらこれを実行する為には、なるべく自然体で有効にその結果を得ようとすることは事業として忘れてはならない事でございます。殊に日本のような古国であって特殊の進歩発達をした国民には、その発達の起原、傾向、その中心勢力等を究め、自分が伝えようとする道と調和すべき点、その発達には、ぜひとも日本の特徴である長所などを理解して、良い実施方法を得るべきであると存じます。そして私の御話しは現実の浜辺を散歩して少し漁をすれば得られるはずのものかと存じます。

 

詳しい研究は出来ておりませんが、まず第一に、基督教が適切な熊度を以て日本に臨むときは、平和的に日本の敬神思想と調和することが仏教よりも儒教よりも便利が多いこと、並びに基督教の琢磨、いや祝福を受けなければ日本の敬神が進化せず、従って建国以来の進取的国運を進めることも出来ないことを見出すのでございます。即ち大和民族は古来敬神の道を貴び、空想理論をさ迷わないで精神界を確実に認め、神霊を人格的に考えることがございます。八百万の神と言われる事は少々幼稚な感じがしますが、最も太古の事としては怪しむにも足らない事で、イスラエルの古史においてもこの様な事があったのですから、イエスもヨハネによる福音書の10章34節以下(34-36)のように言われたことがあるので、無理に彼の人や此の人は神ではないと取り立てて論ずる必要はないでしょう。 我々はただ神の神、主の主、万国万世の人と共に最上尊崇をなすべき天の父、その父を世に(あら)わし、父をこの世に紹介して下さった救い主である神を明らかに伝えるべきで、それが専らの任務とすべき事でございます。

 

又日本古来の敬神を実行するのに関しても、罪といい(けがれ)いい、単純簡易ではあっても、その動機がとても倫理的道徳的であること、仏教などが自分の未来や生まれ変わりの禍福を中心に説いて発心を促すのとは少し様子が異なりますが、伝道の最初に、第一に道徳の責任に訴え、悔い改めて福音を信ぜよと絶叫する者に非常に類似する処があります。又諸神の摂理を信じて現在未来の区別を明確にしないで、神慮を重んじ、神威を謹んで承り、治国平天下を希望することは『御国を来たらせ給え、御心の天になる如く地にも成させ給え』と祈るところの地上天国主義と調和し易いものである事なども伝道上心強く思われる処でございます。

 

我々よりも千数百年年早く日本に伝道した仏教は、根本の教義において大和民族の信仰と調和しにくいものである為に、大変な方便を用いて本池垂跡説を利用し、諸神の宣託を捏造したり、などあらゆる面で想像外の譲歩をも行った為、遂に他国の仏教とは非常に異なった仏教を現出することになり、(はなはだ)しいのは一仏一体一向一信肉食妻帯を普通とする真宗の様な仏教らしくない者まで生じるに至りました。その苦心惨憺した事は言語に絶する次第です。我々にはこれ程まで困難して調和生存を図る必要はないと思はれるのでございます。 そうではあっても日本は既に千数百年仏教が占領する所となりました(たとえ非常に譲歩して自ら日本化したにもせよ)。その感化を日本の思想に習慣に浸透させたのです。そうして今は主人顔をして、基督教を外教と呼ぶ様な地位に立っている事なのですから、古来の日本思想のみを頼みにして、日本的仏教の存在を忘れてはならぬ事でございます。

 

日本の仏教は真に日本仏教なので、原始仏教又は東洋の他国にある仏教と同一視して欧米人の批評を演繹的に採用するのは的外れの事が多くある様でございます。但し基督教との相違点は、主として神の存在の意義、人間の罪の意義にあると思われます。基督教は人格的な神霊を明らかに認識して、人間には各自責任ある道徳上の罪があることを主張するのですが、仏教では真に神仏は自分の心の外に在る様に、又無い様に、とにかく人格の存在者を客観的に確認することに困難を感じる様でございます。又罪業は過去現在未来、困縁応報の考えと離れないものであって、人々が独自に道徳上の責任を有するというだけでなく、いや、むしろ責任上の事というより物理的な原因結果の考えが強い様でございます。現世の道徳上の規律においては基督教も仏教も共にこれ程までの相違もあるはずもなく特に禁酒は仏教の大戒でありますれば、今世に禁酒を主張する基督教は此の点に於いて仏教の親族と申しても善い位、いや、本家が下ろした看板を別家が掲げたと申しても良い事でござぃます。そうではあっても道徳の観念に於いて詳細に考えれば、仏教には全体の大勢から来るところの利害損得の考えが公議正道の考えよりは強いのではないだろうかと見える点がない訳でもありません。基督教にしても利害の考えは勿論無い訳ではありませんが、キリスト教では公義を貴び真実を重んずる勢いが、利害損益の念を聖化してそれを霊界高尚においての損徳としている事でございます。

 

この様に概説しましたが振り返って見れば、我々は我々の理想の神威を拡充し、人霊の救済を唱えなくても、日本固有の信念を啓発し、仏教が与えることが出来なかった重要点の不足を満たすだけであっても、我々が日本の為にその精神界に入り込み、その道徳界に広く主張すべき余裕があり、いや、必要があることを容易に見出す事でございます。

 

以上の通りですから物事の性質上我々の伝道は容易に行なわれるはずの様ですが実際はそうではなく、それが困難であるのはどんな理由があるのでしょうか。これには種々の理由がありますが、まず第一には開国以前殆んど三世紀間、基督教対日本の歴史、即ち切支丹宗門禁制の事があります。そもそもこの関係には色々込み入った事があるはずですが、当時の伝道側の事のみを察すれば、少なくとも二つの心得違いが有ったらしく思われます。

 

イ、 その態度は天啓を用いて人教を征し、文明を用いて野蛮を服するという征服的態度を取ったことでしょう。当時は戦国時代であって民衆にも無学な者が多数いたので、この態度で或る処まではやって退()けたのでしょうが、何といっても無宗教無政府の野蛮ではなかったのです。その態度が識者の癇癪に触れた例が必ずや多かったことでしょう。

ロ、政治の臭みを帯びたこと。世界統一を本旨とするローマ法皇朝の下に立ち、イスパニヤという侵略的政府を後に控へた宣教師共が新たに欧州で失った勢力を東洋にて回復しようとする熱心さが、日本国の起源も国体をも無視したのは怪しむに足りません。当時は戦乱の世とはいっても信長によってやや統一の夜明けの光を見るに至り、秀吉において太陽が東の空に昇り、家康において全く太陽が昇った様に、仮にも国権国安に妨害があると認められることがあれば到底存在を望むことができなかったのです。そもそも天下に多くの国民があるといっても日本の様に大国であってその発達した組織がこの様に単純で強固な国は滅多にありません。日本も始めは征服された所なのですが、その勝利者である天皇の御家が非常に盛大だったので征服の効果が徹頭徹尾全く一つの家の様であり、以来国土開拓の業も皆御家(おいえ)の勢力になり、その民族の首脳と多くの人民は皆(こう)(とう)流れなので真に一家の趣がありました。他の古国の様に山を隔てれば人種が異なり、川を越えれば方言が違うという類ではないのです。ですからこの国土に国外から入り込もうとすると、社会的にあれ精神的にあれ、この固有性に衝突しない様に注意しなければ思わぬ障害がたちまち起るでしょう。切父丹時代の布教者は恐らくこの辺りの留意が浅かったのでしょう。こうして長く禁制されたものなので人民の感情に深くしみ込み、鎖国攘夷の思想と共に養われて理非善悪の研究が絶えず、今日でもなお悪感情が人心の底に潜伏して何となく耶蘇(やそ)いであるのは争われないのが実情でございます。

 

以上は開国以来より古く存在して、現に新しい障害となりますが、今新しい邪魔(じゃま)となる誤解を1,2挙げれば、

 

甲、 民主主義の個人主義が盛んに賞賛されている西洋で行われた基督教なので、猶一層深く考えると、合衆共和国である米国で最も盛んで、且つ日本の伝道に最も力を用いたのは米国なので、基督教と合衆国の政治とを無意識に同一視する者があります。又未だ社会の事に経験ない青年が米国に遊学して、共和政体こそ天理人道に合う無二で完全な理想的政体だと考え、これを唱える者も稀には無い訳ではないので、この誤解が生まれるのです。

 

乙、 無責任な社会主義者が基督教の産物と誤解されるのも又一つの困難です。

 

丙、 近ごろ欧米に遊ぶ者が次第に多くなって来たので、彼の国にて有名無実な教会を見るか、叉は絶えて精神界の事に注意せず、欧米都市の暗黒界のみを観察し、いや(むし)ろ楽しんで帰る者が宗教の勢力を無視して悪く評する者がいます。

 

丁、 国民精神が勃興するに当り、知らず知らずの内に偏狭で傲慢な意識も又増長し、外国より来る一切の物を蔑視するに至る弊害がない訳ではありません。

 

戊、 世間の人心は今正に利益を求めており、それは水が低い方に流れる様なものです。快楽を求め身分不相応な贅沢をしたいと願う勢いは大河の流れが止まる所を知らないのに似ている。基督教はその性質としてこの傾向に迎合することはできません。

 

己、 前項の様な大勢なので、偶々(たまたま)宗教を求める者もその動機はやや高尚な利益にあります。余り労しないで日的を達成しようとするのは現世紀の人心の趨勢です。そうではあっても基督教はこの欲望を(みた)そうとするには余りに高潔にして淡泊で、又とても遠回りです。

 

庚、 同じ趨勢の中の一つの大きな渦なのですが、普通の人は概して宗教を世渡りの助けとする点で(はなは)だ急です。即ち病気商売から勝負ごと等に至るまで直ちにこれを加持祈祷参詣苦行等に訴えてその効果を得ようとします。神社にしても、仏寺にしても、かりそめにもこの種の広告を行って一時的に多少の繁盛を(きた)さない者は稀です。その大成功者はこれまでにも各所に多くあります。この点で最近最も著名な者は天理教でしょう。基督教はこの点において余りに無頓着で、余りに無能力です。昔の切支丹宗は早く日本人のこの傾向を見て取り何等かの奇術を施したのでしょう。これが当時比較的伝道が進捗(しんちょく)した一因であって三百年後まで魔法邪術と誤解された理由でしょう。日本の神仏各派も幾分かこの臭味(くさみ)を帯びてその宗運を維持しなかった者はいません。ただ一つ真宗に至ってはその臭味が無いようです。しかもその繁栄は(かえ)って他の御利益を(しの)ぐ感があります。特殊だと言っても良い。 そうであれば御利益を現金にしなくとも信仰の仕方によっては繁栄に至る道が無い訳ではないと言えます。

 

以上は(もっぱ)ら基督教と外部との関係を見ました。未だ全てを論じたとは言えませんが、概要はこの位にして内部を少し見てみたいと存じます。

 

一、日本の伝道は今までに五十年と申しますけれども、少し伝道の結果が見えて、一小教会が横浜に組織されましてから(わず)37年4ヶ月(明治42年9月迄にて)でございます。この間に8万余りの新教信徒、新旧三大派合計では概数20万余りが帳面表でございましょう。その中で最も伝道者の数が多いのは新教派ですが、大小40ばかりに分かれている事ですので到底統一も協同も出来るものでございません。これは我らの敵である魔軍の為には最も都合の良い陣立てで有りましょう。(ただ)これは欧米でもその通りであって困った事の様ではあるけれども、どうにかこうにか各々役に立っているようでございます。日本ではこれからどうなりましょうか分りませんが、この弊害を成るたけ少なくする様にしなければならぬ事でございましょう。不孝中の幸に日本に於いて我らの競争者否霊界の優勢者である仏教は勿論神道にも随分分派があります。 日々に多くなるという次第なので我々の分派も余り不思議ではないように見えている事でございます。果たしてどうなれば良いのやら分らない事ですが、今の所では成るべくその中の大なる者が成るべく大きくなり、その間の(へだた)りを可成(かなり)近くして応援が出来(やす)い様にするのが緊要でしょう。(まれ)には最も強大な一派が大いに努力して他の大小派の占領地を併呑(へいどん)してしまったなら、立派に統一が出来るだろうと思い、又は論ずる人もあるかも知れませんが、これは所謂(いわゆる)議論であってどんな夢想家でも今の日本の基督教社会に実行できるはずの事とは思えないでしょう。万一そんな風の事が今後起るとすれば余り議論など(やかま)しくしない人物が出て来て不知(しらず)不識(しらず)の間にその勢を制する事もあろうかと想像される事でございます。(ただ)その様な夢を当てにしては大間違いなので、各教派が自分の立場を踏み締め大勢(たいせい)を考慮してなるべく歩調を整える様にすれば、主が突然来られた時に、恐らく幾分か御(とが)めを(ゆる)やかにする事も出来ようかと考える事でございます。

 

二、狭い幼弱(ようじゃく)な教界に広い欧米の写真を見る様な兼合いもございます。(はなは)だ少数ではあっても旧神学もあれば新神学もあり時々貴重な新聞の(すう)(ぺーじ)を論戦場と致します。勿論(もちろん)多数の読者は何と言って居るやらサッパリ理解できず、そんな所を(ぬき)にして新聞の読み所が少ないと不満を言います。教会政治も大概欧米の見本が(そなわ)って居りますが、ここに一種の変り物は教会を厭う連中でございます。その中には真面目で実直な態度で献身的な霊性的な人々も割合にいる事は一時的に教勢を拡大するには十分でしょうが、今の日本の大勢を観察すれば出来るだけ各教会を助けて強固なものとし、発展の実力を養うべきことに気付いて然るべきであるのに、教会が未だ発達していないのに(勿論弊害もあるでしょうがほとんどは中より生じたのではなく外より持込んだ者が多いでしょう)、(しき)りに教会を攻撃したとしても結局益となることは無いでしょう。(ただ)破壊に終って憐人の一人を亡羊とするだけでしょう。

 

基督教界内における大小種々の注意事件はまだまだ(かず)(おおく)あるでしょうが、今一々(いちいち)尽くすことはできず、(これ)からもっと頼母(たのも)しく思う事を一二述べて見ましょう。

 

伝道界に立ち働く内外人を通じて伝道の困難なことは(思ったよりは)、忍耐持久合同協力の必要性が認められた様な(おもむき)があります。これは誠に喜ばしい事でございます。自分の立場の実相が分って参りました事は(さいわい)でござぃます。明治13年国会が開く頃までに日本の大勢が基督教に傾くだろう等妄想しても余り馬鹿らしい事と思われなかった時もあります(勿論我々の仲間の我田引水論であって教外の人からは嘲笑されたに違いない)。さて、その様な時期もとっくの昔に過ぎて、日清戦争も済み日露戦争も首尾よく終って日米戦争の噂とまでなっても、未だ基督教は今日の通りである。そうであっても人々が余り退屈しなくなった。顧みれば基督教が、今日に比べれば無学無宗教同様なローマ帝国に勢力を得るまでには三百年ばかりかかっている。仏教が日本に深く広く根を下すには矢張(やは)り二三百年もかかり、今日の様に全国各戸に関係を得るに至ったのは切支丹事件が機会となって政治的に出来たので、開教後千年ばかりの後である。我が党はその真中に世に並びなき悪歴史を持ちながらおめず臆せず入り込むのである。面倒なこと親しみ難い事は決して不思議の事ではない。どうしても西洋臭い事を(まぬが)られない事は言うまでもありません。それが急に親しい交際が出来ないと言って気を落すのは、こっちが無理であるという所に皆気が付いて来たのは大いなる進歩である。又十五年前にこれ等の事に気が付いたとして大いに意気込み、(しき)りに外国人と分離することを急いだ仲間もあって一問題となりましたが、これも又大いに熟してやはり内外の力に協同する必要を認め、平穏にその道が開かれて来たのは、これも一進歩であると存じます。

 

余り長くなりますからこの位に切り上げますが、この講演は伝道に任ずる姉妹方を主としてなすものなので、婦人伝道について一言申します。

 

婦人の事は分りが悪いものなので釈迦に説法の嫌いがありますが、男子の眼で見る所では婦人方は感情が鋭敏で能く物事に気が付くから、事によると男子よりも余計に慷慨(こうがい)(訳者注;怒り嘆く)する様に見えることがございます。教会の事についても色々慷慨(こうがい)する、不平が出来ます。慷慨(こうがい)や不平は元来理想あって出来るものであるからこれがあるのは頼もしい事です(理想なくして出来るのはおこぼしとでも言うべく、慷慨(こうがい)などと言う文字を当て嵌めるのは勿体ない事でございます)。そうは言ってもこれが余り過ぎると、聞く人をも思う自分をも失望させ、いつも曇り勝ちにて本当の(はたらき)が出来ない様になります。神様の御用を勤めるのに朋輩や国体の事が癇癪にさわると言っていつもまずい顔をしている様では忠勤は出来ません。人の怠慢を(とが)めるよりはその人に勤勉を(すす)める事が用いられやすいものでございます。人の無慈悲な点を責めるよりは慈善の事業に誘う方が余程有効なものでございます。姉妹方が引き受けられる婦人は特に議論よりは感情で動く人になり、実行上にその心情を訴えることが最も有効です。神様は男子に腕力をお与えになり女子には涙をお与えになりました。涙の力は大いなるものでございます。願わくは皆様の涙に強大なる力を与え給わんことと切に祈る次第でございます。

 

(明治42年9月聖経女学校創立15年記念講習会にて講演する筈だったが、病気のために出席できず、後で学報に掲載したもの。)

 

 

2 原文文字起し

基督教と日本とは東西藪千里を隔て、(おのおの)何の関係もなく獨立に発達したものでございます。假令(たとえ)太古に(おい)て日本人が大陸の西部に在り、力ルデア、アッシリア等に近く住居し、其の思想風俗を同じうしたる事あり假想(かそう)するも、後數千年間東西相分れて発達せしことなれば、(たがい)に大いに異なる所あるは怪しむに()らぬ事でございます。(いわ)んや基督教の発生地なる()(だや)国は、早く其の獨立を失ひて其の民族は世界的浪人となり、基督教も亦西洋各國を通過して新世界の米國に入り(つい)に我国に達せしことなれば種々なる感化を(こうむ)り、同じ基督教にてもその通過せる地方次第にて多少の異彩を放つて居ることでございます。日本とても亦國土こそ極東の一群島にして他の侵略を(ふせ)ぐに便利多く、幸ひにして數千年間獨立の趣旨を全うしたれども、其の思想上には既に儒教佛教の強き侵略を受け、今は西洋文明の侵略を受けつヽあることなれば一通(ひととおり)の變化ではない。(しこう)して最後の大變化即ち明治の大進化は最も驚くべきものにして、此れが図らずも藪千年間隔離したる上に、近世紀間は鎖國と云ふ特別なる事情の下に隔絶せる基督教と接觸するの機會となり、叉親しく手を握りて益友とならねばならぬ必要をも生じたるこそ不思議の事でございます。

吾人日本人たる基督教徒は主客の資格を一身に(そな)へたる者にして、日本人としては主人として珍客を迎へ(おの)が家の上に祝福を受けんと欲す。又基督教徒としては新しき國土に奇勝を探り天國の領土を廣ると共に、天父の(たず)ね給ふ無數の迷へる羊を導いて安全の道に(かえ)らしめんとの大日的を達するのでございます。吾人(われら)に理想的と(じつ)(さい)的との二様の考へ様あり、(たと)へば基督教を(つた)ふるに當り是は天地の主宰人類の父たる神の聖旨にして、神の國を建て神榮を顕彰せんが為め萬国に傳ふるなり、とは是れ傳道の理想でございます。然るに之を實行(じっこう)せんが為めには、可成(かなり)自然的にして有効に(その)結果を得んことは事業として忘るべからざる事でございます。殊に日本の如き古國にして特殊の進歩發達をなせる國民には、其の發逹の起原傾向()の中心勢力等を究め、我が伝へんと欲する道と調和すべき(てん)、其の發達には是非(ぜひ)とも我道の特殊なる長所を要する(てん)(など)を察して、實施(じっし)の良法を得べきことと存じます。そして私の御話は實際的の濱邊(はまべ)(しょう)(よう)して少しく(あさ)り見る(はず)と存じます。

(くわ)しき研究は出来て居りませんが、先づ第一に基督教が適當なる熊度を以て日本に臨むときは、平和的に日本の敬神思想と調和することの佛教よりも儒教よりも便利の多きこと、(ならび)に基督教の琢磨否祝福を受けなければ日本の敬神が進化せず、(したが)つて建國以来の進取的國運を進むることも出来ぬことを(みい)出すのでございます。即ち大和民族は古來敬神の道を貴び、空想理論に彷徨(ほうこう)せずして精神界を確実に認め、神霊を人格的に考ふることがございます。八百萬(やおよろず)の神と申す事ちと幼稚なるに似たれども、最も太古の事としては怪むにも足らぬ事、イスラエルの古史にても如斯事(かくのごときこと)ありたれば、イエスもヨハネ(でん)の十章三十四節以下(三四-三六)のごとく(のたま)ひしことありたれば、(なまじ)ひに彼や(これ)は神にあらずと(あげつ)らふには及ぶまじ。 吾人(われら)(ただ)神の神、主の主、萬國萬世の人と共に最上尊崇を為すべき天の父、其の父を世に(あら)はし父を其の世に紹介し給ふ救主なる神を明らかに傳ふべきを専務とすべき事でございます。

又日本古来敬神の実行上に関しても罪といひ(けがれ)と云ひ單純簡易にはあれども、其の動機の(すこぶ)る倫理的道徳的なること佛教(など)未来後生の禍福を(もっぱ)らにして発心を促すとは(やや)(おもむき)を異にして、傳道の劈頭(へきとう)第一に道徳の責任に訴へ悔い改めて福音を信ぜよと絶叫する者に(はなは)だ類似する處あり。又諸神の摂理を信じて現在未来の区別をキワドクせず、神慮を重んじ神威を(かしこ)みて治國平天下を希望することは『御國を来らせ給へ、御心の天になる如く地にも成させ給へ』と祈るところの地上天國主義と調和し易き者なる事(など)も傳道上心強く思わるる處でございます。

吾人よりも千有餘年早く日本に傳道せる佛教は、根本義に(おい)て大和民族の信仰と調和しがたき者なるが故に、非常なる方便を用ゐて本池垂跡説を利用し、諸神の宣託を捏造したり(など)至らざる虞なく意外の譲歩もなしたる為、遂に他國の者とは非常に(ことな)れる佛教を現出するに至り、甚しきは一佛一體一向一信肉食妻帯を普通とする眞宗の如き佛教らしくなき者まで生ずるに至れり。其の苦心惨憺たる事言語に絶する次第なり。吾人には斯程迄(かほどまで)困難して調和生存を(はか)るの必要なしと思はるるのでございます。 然れども日本は既に千有餘年佛教の占領する所となれり(假令(けりょう)(編者;たとえ)非常に譲歩して自ら日本化したにもせよ)。其の感化を日本の思想に習慣に浸潤せしめたり。(しこう)して今は主人顔をして、基督教をば外教と称する様な地位に立ちたる事なれば、古来の日本思想のみを頼みにして、日本的佛教の存在を忘れてはならぬ事でございます。

日本の佛教は真に日本佛教なれば、原始佛教又は東洋の他國にある佛教と同一視して欧米人の批評を演繹的に採用するは的外れの事が多くある様でございます。(ただ)し耶佛の相違点は主として神の存在の意義、人間の罪の意義にあると思はれます。基督教は人格的の神霊を明かに認識して、人間には各自責任ある道徳性の罪あることを主張するけれ(ども)、佛教にては眞に神佛は吾心外に在るが如く又無きが如く兎角(とにかく)に人格の存在者を客観的に確認すること困難を感ずる様でございます。又罪業は過去現在未来困縁果報の考と離れざる者にて、諸人各自に道徳上の責任を有する者に限らず、否(むし)ろ責任上の者と云ふより物理的に原因結果の考が強い様でございます。現世の道徳上の規律に於ては耶佛ともに左まで相違もあるまじく特に禁酒は佛教の大戒でありますれば、今世に禁酒を主張する基督教は此の點に於て佛教の親族と申しても善い位、否本家が下ろした看板を別家が掲げたと申しても善い事でござぃます。然れども道徳の観念に於て仔細に考ふれば、佛教には全體の大勢から来るところの損得利害の考が公議正道の考よりは強きにはあらずやと見ゆる者なきにあらず。基督教とても利害の考は勿論なきにあらざれども、其の公義を貴び眞實を重んずるの勢力が、利害損益の念を聖化して霊界高尚の損徳たらしむる事でございます。

()く概説して首を(めぐ)らせば、吾人は我理想の神威(かく)(じゅう)人霊救拯(きゅうじょう)を唱へずとも、日本固有の信念を啓発し佛教が(あた)ふる事能はざりし重要點の不足を(みた)すのみにても、吾人が日本の為めに其の精神界に入込(はいりこ)み其の道徳界に馳謳(ちく)すべき()(ゆう)あり、否必要あることを容易に(みい)出す事でございます。

以上の如くなれば物の性質上吾人の傳道は容易に行はるべき様なれども実際は(しか)らず、其の困難なるは如何(いか)なる(ゆえ)にや。(これ)には種々なる事あれども、先づ第一には開國以前殆んど三世紀間、基督教対日本の歴史(すなわち)切支丹宗門禁制の事なり。(そもそも)()の關係には色々込み入りたる事あるべけれ共、当時の傳道側の事のみを察すれば、少くも二つの心得(ちがい)が有ったらしく思はれます。

イ、其の態度は天啓を以て人教を征し文明を以て野蛮を服するの征服的態度を取りしならん。當時は戦國にして士民にも無学者多數なれば、此の態度にて或處(あるところ)まではやって退()けたるべきも、何を申すも無宗教無政府の野蛮にはあらざるなり。其の態度が識者の癇癪にさはりしもの必ず多かりしなるべし。

ロ、政治の臭味を帯びしこと。世界統一を本旨とせる(ロー)()法皇朝の下に立ち、イスパニャなる侵略的政府を後に控へたる宣教師共が新たに欧州に失へる勢力を東洋にて回復せんとする熱心が、日本國の起源も國體をも(かん)()せるは怪しむに足らざるなり。当時は戦乱の世といへども信長によりて(やや)統一の暁光(ぎょうこう)を見るに至り、秀吉に於て旭日東天に朝し、家康に於て全く(かく)となれるが如きに(いやし)くも國権國安に妨害ありと認めらるることあらば到底存在を望むべからざるなり。(そもそも)天下に國民多しといへども日本の如く大にして其の発達組織の如斯(かくのごとく)單純鞏固(きょうこ)なる者比類(まれ)なり。日本も(はじめ)は征服せられたる處なれども、其の勝利者たる(スメラ)(ミコト)の御家が非常に盛大なりければ征服の効徹頭徹尾全く一家の如くなり、爾来(じらい)國土開拓の業も皆御家(おいえ)の勢力に成り、其の民族の首脳と多數は皆(こう)(とう)(ながれ)なれば眞に一家の趣あり。他の古國の山を隔て人種を異にし川を越えて方言違ふの(たぐい)にあらざるなり。故に此の國土に國外より入り込まんには、社會的にあれ精神的にあれ、此の固有性に衝突せざる事を注意せざれば思はざるの障礙(しょうがい)(たち)どころに起るべし。切父丹時代の布教者(けだ)し此の邊の留意(あさ)かりしならん。()くて長く禁制されたる者なれば人民の感情に深くしみ込み、鎖国攘夷の思想と共に養はれて理非善悪の研究に(いとま)なく、今日といへども(なお)悪感情の人心の底に潜伏して何となく耶蘇(やそ)嫌ひなるは爭はれぬ實情でございます。

右は開國以来より古く存在して、現に新しき故障となるが、今新しき邪魔(じゃま)となる誤想の一二を挙ぐれば、

甲、民主主義の個人主義盛んに(しょう)(どう)せらるる西洋に行はれたる基督教なれば、猶一層深く思へば合象共和國なる米国に最も盛んにして且日本の傳道に最も力を用ゐたるは米國なれば、基督教と合衆政治と無意識に同視する者あり。又未だ社会の事に経験なき青年者が米國に遊学して、共和政體こそ天理人道に合する無二完全の理想的政體なりと考へ之を唱ふる者も稀にはなきにあらざれば、此の誤想を来す者なり。

甲、 乙、無責任なる社會主蓑者が基督教の産物と誤想せらるヽも又一つの困難なり。

乙、 丙、近時欧米に遊ぶ者次第に多くなり来りたれば、彼國にて有名無實なる教會を見るか叉は絶えて精神界の事に注意せず、欧米都市の暗黒界をのみ観察否(むし)ろ楽みて帰れる者が宗教の勢力を無視して悪評をなす者あり。

丙、 丁、國民精神の勃輿(ぼつこう)するに當り不知不識(しらずしらず)狭隘(きょうあい)倨傲(きょごう)の念も(また)増長し、一切外國より来る者を蔑視するに至れるの弊なきにあらず。

丁、 戌、天下の人心今正に利に(おもむ)くこと水の底きに()くが如し。逸楽(いつらく)を求め奢侈(しゃし)(した)滔々(とうとう)として停止する處を知らざるに似たり。基督教は其の性質として此の傾向に響應(きょうおう)すること(あた)はず。

戊、 己、前項の如き大勢なれば、(たまた)ま宗教を求むる者も其の動機は(やや)高尚なる利益にあり。可成(かなり)労せずして日的を達せんとするは現世紀人心の趨勢なり。(しか)るに基督教は此の欲望を(みた)さんには餘りに高潔にして淡泊なり、又(はなは)だ廻り遠きなり。

己、 庚、同じ趨勢中の一大渦なれ共、普通人は概して宗教を世渡りの助勢となすに於て(はなは)だ急なり。即ち病気商賈より勝負ごと等に至るまで直ちに之を加持祈祷参詣苦行等に訴へて其の効果を収めんと欲す。神社にもせよ、佛寺にもせよ、(いやし)くも此の種の廣告をなして一時多少の繁盛を来さざる者稀なり。其の大成功者は従來各所に多し。(しこう)して近時(もっと)も著名なる者は天理教なるべし。基督教は此(てん)に於て餘りに無頓着なり餘りに無能力なり。昔時(せきじ)の切支丹宗は早く日本人の(この)傾向を看取して何等か奇術を施ししならん。()れ當時比較的傳道の進捗(しんちょく)せし一因にして三百年後まで魔法邪術と誤信せられりし所以(ゆえん)ならん。(わが)神彿各派も幾分か此の臭味(くさみ)帯びて其の宗運を維持せざる者なし。(ひとり)眞宗に至って其の臭味なきが如し。(しこう)して其の繁榮(かえっ)て他の御利益を(しの)ぐの感あり。異とするに()れり。 ()すれば御利益を現金にせずとも信仰の仕方にては繁榮に至るべき道なきにあらざるべし。

以上は(もっぱ)ら基督教と外部との關係(かんけい)を見たるなり。未だ(つく)せりとは云ふ(あた)はざれども、大概(たいがい)此の位にて少しく内部を瞥見(べっけん)せんと存じます。

一、日本の博道(でんどう)(ここ)に五十年と申しますけれども、少しく博道の結果が見えて一小教会が横濱に組織されましてからは(わず)かに三十七年四ヶ月(明治四十二年九月迄にて)でございます。此の間に八萬餘の新教信徒新舊三大派合計では概數貮拾(にじゅう)余萬の帳面表でございませう。(しこう)して(もっと)も伝道者の數多きは新教派なれども、大小四拾(ばか)りに分れて居る(こと)(ゆえ)到底統一も協同も出来る者でございません。是は我當(われら)の敵たる魔軍の為には(もっとも)都合善き(そなえ)(だて)で有りませう。(ただ)し是は欧米でも其の通りで有つて困つた事の(よう)ではあるけれども、どうかこうか(それぞれ)役に立つて居るやうでございます。日本では是からどうなりませうか分らぬけれども、此の弊害を成るたけ(すくな)くする様にしなければならぬ事でございませう。不孝中の幸に日本に於て我薹(われら)の競争者否霊界の優勢者なる佛教は勿論神道にも随分分派がある。 日々に多くなると云ふ次第故我々の分派も餘り不思議でないやうに見えて居る事でございます。(はた)してどうなれば善いのやら分らぬ事ながら、今の處では成べく其の中の大なる者が成るべく大きくなり、其の間の(へだた)りを可成(かなり)近くして應援(おうえん)が出来(やす)き様にするが緊要なるべし。(まれ)には最も強大なる一派が大いに努力して他の大小派の占領地を併呑(へいどん)して仕まったなら、立派に統一が出来るだらうと思ひ又は論ずる人もあるか知らんなれ共、是は所謂(いわゆる)議論であってどんな夢想家でも今の日本の基督教社會に實行せらるべきことヽは見えぬであらう。萬一そんな風の事が向後(こうご)興るとすれば餘り議論(など)(やかま)しくせぬ人物が出来て不知(しらず)不識(しらず)の間に其の勢を制する事もあらん()と想像せらるる事でございます。(ただ)し左様の夢を當てにしては大間違なれば、各教派自分の立場を踏み締め大勢(たいせい)(かんが)みて成るべく歩調を整へる様に致さば主の(にわ)かに来り給はん時に、恐らく幾分か御(とが)めを(ゆる)やかにする事も出来よう()と考へる事でございます。

二、狭き幼弱(ようじゃく)なる教界に廣き欧米の写真を見る様な矩合(かねあい)ございます。(はなは)だ少數ではあれども(きゅう)神学もあれば新神學もあり時々()しき新聞の(すう)(ぺーじ)を論戦場と致します。勿論(もちろん)多數(たすうの)読者は何と言うて居るやらサッパリ分り申さず、そんな處をば(ぬき)に致して新聞の讀み處少きをこぼします。教會政治も大概欧米の見本が(そなわ)って居りまするが、こヽに一種の變り物は教會を厭ふ連中でございます。其の中に真面目に律義なる事にて献身的なる霊性的なる人々も割合にある事は大いに一時を諷するに足る事なれども今の日本の大勢を(かん)ずれば出来る(だけ)各教會を助けて鞏固(きょうこ)なる者となし、發展の實力を養はしむることに勘付いて然るべきであるのに、其の未だ發逹せざるに(勿論弊害もあらんなれども大方は中より生じたるにあらずして外より持込みたる者多からん)、(しき)りに之を(たた)きたりとて所詮(しょせん)益を為すことあるまじ。(ただ)破壊に終りて一の憐の亡羊を生ずるのみなるべし。

基督教界内に於ける大小種々なる注意事件猶(かず)(おおく)あるべしと(いえど)も、今一々(いちいち)(つく)すこと(あた)はず(これ)より頼母(たのも)しく思ふ事をーニ述べて見ませう。

傳道界に立ち働く内外人を通じて傳道の困難なること(思うたよりは)、忍耐持久合同協力の必要を認められたるが如き(おもむ)きあり。是れ誠に喜ばしき事でございます。自分の立場の實相が分って参りました事は(さいわい)でござぃます。明治廿(じゅう)(さん)年国会の開くる頃までに日本の大勢が基督教に傾くならん(など)妄想しても餘り馬鹿らしき事と思はれ無かった時もあります(勿論(わが)(なかま)の我田引水論にて教外人からは嘲笑せられたに違ひない)。()て其の時期も(とっ)くの昔に過ぎて、日清戦争も済み日露戦争も首尾よく(おわ)りて日米戦争の噂とまでなりても、未だ基督教は今日の通りである。(しか)(ども)人々が餘り退屈しなくなった。(かえりみ)れば基督教が、今日に比すれば無学無宗教同様なる羅馬(ローマ)帝國に勢力を得るまでには三百年(ばか)りかかって居る。佛教が日本に深く根帯(ねおび)を下すには矢張(やは)り二三百年もかかり、今日の様に全國各戸に関係を得るに至ったのは切支丹事件が機會となって政治的に出来たので、開教後千年(ばか)りの後である。我黨(わがとう)は其の真中に世に並びなき悪歴史を持ちながらおめず臆せず這入(はい)り込むのである。面倒なること(したし)(あし)き事決して不思議の事でない。(いわ)んや()うしても西洋臭き事を(まぬが)れざるに於てをやでございます。其れが急に親しき交際が出来ぬとて気を落すのは、こっちが無理であると云ふ處に皆気が付いて来たのは大いなる進歩である。又十五年前に(これ)()の事に氣が付いたとて大いに意氣込み、(しき)りに外國人と分離することを急ぎたる仲間もありて一問題となり()りしが、是も亦大いに熟して矢張内外の力に協同するの必要を認め、平穏に其の道が開かれ来れるは亦これ一進歩なりと存じます。

餘り長くなりますから此の位に切上げますが、此の講演は傳道に任ずる姉妹方を主としてなすものなれば、婦人傳道に就いて一言申します。

婦人の事は分り悪きもの故に釈迦に説法の嫌あれ共、男子の眼で見る處では婦人方は感情が鋭敏で能く物事に氣が付くから、事によると男子よりも餘計に慷慨(こうがい)する様に見ゆることがございます。教会の事に就いても色々慷慨(こうがい)する、不平が出来る。慷慨(こうがい)や不平は元来理想あって出来るものであるから是あるは頼母しき事である(理想なくして出来るのはおこぼしとでも可申(もうすべく)慷慨(こうがい)(など)云ふ文字を(はさ)めるは勿体ない事でございます)。さりながら是が餘り過ぎると、聞く人をも思う吾をも失望させ、いつも曇り勝ちにて本當の(はたらき)が出来ぬ様になります。神様の御用を(つとむ)るに朋輩や國體の事が癇癪にさはるとていつもまずい顔をして居る様では忠勤は出来ません。人の怠慢を(とが)むるよりは其の人に勤勉を(すす)むる事が用ゐられやすきものでございます。人の無慈悲なることを責むるよりは慈善の事業に誘ふこと餘程有効なるものでございます。姉妹方の引受けらるる婦人は特に議論よりは感情で動く人になり、實行上に其の心情を訴ふること(もっと)も有効なり。神様は男子に腕力を(あた)へ給ひて女子には涙を與へ給へり。涙の力は大いなる者でございます。(ねがわ)くは皆様の涙に強大なる力を輿へ給はんことと切に祈る處でございます。

 

(明治四十二年九月聖經女學校創立廿五年記念講習會にて講演すべき筈なりしも、病気のために出席叶わず、後學報に掲げしもの)

 

 

3 解説

この演説原稿は明治42年(1909年)9月の聖經女學校創立廿五年記念講習會の為に用意したものですが、学報(青山学院学報?)に掲載されたもので、本多庸一遺稿集130頁以下に収められているのを文字起ししたものです。現代人が読み易い様に振り仮名を付けています。出来るだけ旧字体を再現しましたが、ワープロに無い字は同意の文字字で代用しました。

 

この原稿は庸一が明治45年に召天する3年前、60歳の時のものです。1909年10月には「宣教開始50年記念会」があり、そこで庸一が講演していますから当時の庸一の頭の中が窺えます。妻貞子は矯風会などで活躍しており、その関係で女学校での講演を引受けたのかもしれません。女性の社会活動に理解はあったのでしょうが、原稿を読む限り女性観は素朴であったようです。

 

庸一が挙げた基督教布教の問題点は今日も言えるものがありますが、現代は特に戦後の社会主義教育やGHQの政策の影響もあり複雑化している様です。現代のクリスチャンにも読んで頂き、勃興期の日本のキリスト者が追い求めたものを確認して頂きたいと思います。