基督教(きりすときょう)(さん)(えき)

本多 庸一

目 次

1.     現代語訳

2.       原文文字起し

3.     解説

 

1 現代語訳

わたしたちは、十字架につけられたキリストを()(つた)えています。(コリントの信徒への手紙一 1章23節)

 

箱根の宿(しゅく)は明治四、五年の頃よりバラ教師により伝道を始められました。日本人が始めて伝道をしたのは明治七年の夏で、それは丁度横浜にある日本最初の教会が初めて各地に巡回伝道を試みた時でしたが、司会者である熊野長老もその一人で、此の箱根に伝道されました。自分は同年十一月病気保養を兼ねて一か月程当地に滞在して伝道を試みましたが、それから十八年目の今日に図らずも又今宵の集会に巡り会うこと、今昔の情に堪えられません。

箱根宿は約二十年間、毎年多少の伝道を受けました。(しか)しながら今日まで信者を多く得られなかったのは、色々の原因があるはずでしょうが、その内の一つはこれに違いないでしょう。つまり、キリスト教は難しいという事です。是はどこでも言われる同じ苦情ですが大いに間違っている事です。(なる)(ほど)、キリスト教は世界三大宗教の一つであって、(むずか)しく言えば際限もなく難しいものですが、これを他の大宗教と比較して万人の救いを得る為に教えた事、しなければならない事を調べて見れば、キリスト教は最も解り易いものなのです。誰にとっても脳髄の順序が違っていない普通の人間には一番解り易いものなのです。特に罪があって自分に罪があることを自覚している人、恩を受けていてその恩を自覚する神経がある人には容易なものなのです。この様に言っても(ある)人々はいい加減に言っていると思うことでしょう。けれどもこれは真に本当の事であって、大体学生や教師などが何でも難しく言ったり考えたりしているのは、必要よりは(むし)ろ好みから難しくしていることが多いのです。ですから、或る面から言えば、格好を付ける癖が付いたと言っても良い事があります。さて、横道をやめて、いよいよ「解り(やす)い」事についてお話ししましょう。先ず一番に来るのは、

 

一、キリスト教は解り易い事です

なぜ解り易いか?新旧約聖書だけでも六十六巻あるというのに、と思うでしょうが、キリスト教は何だ?と問う人がいたら、最も完全で最も短い答は「キリストです」と言うことです。どんなに難しく言おうとしても(これ)よりは出来ません。又解り易く言おうとするならこの表現が最も適切と言えます。しかしキリスト教は「キリストです」と言うことがなぜ解り易いことになるのでしょうか?キリスト教を知らない人にとって仏教は釈迦です、儒道は孔子ですと言う様に、矢張り解り難いことになるのではないでしょうか?いえいえ、そうではありません。此の口調はキリスト教にのみ使うべきであって仏教や儒道には使い難いのです。なぜかと云うと、仏教は釈迦が悟って説いたもの、儒道は孔子が(ぎょう)(しゅん)に学んで得た所を述べたものであって、仏教の真如(しんにょ)、儒教の忠恕(ちゅうじょ)、これらは皆天下古今が共有するものであって釈迦や孔子の外にあるものです。従ってその道は不立(ふりゅう)文字(もんじ)だの慎独格致(しんどくかくち)だのという工夫と修行とを積まなければ名目でさえも容易には知り得ないものなのです。しかしキリスト教はキリストの言行動作から成り立つものであって、この高貴な御方は確かにこの世に生れて世間の人と共に交際し、又死んで葬られ、三日目に(よみがえ)って今現在天にいらっしゃる方なので、其の一生の事を全て語るなら十日、略して語るなら三日の内に夜話にしても語り尽くして、老人も小児も皆覚えられるはずのことなのです。更に、奥深く考えるよりは正直に記憶して他人を思いやる心を以て(あじわ)いさえすれば、大切なる事は皆(さと)り得られる事々なのです。生きて大地を踏んだ人間の事を知るという点では、誰も彼も差別なく釈迦も孔子も同じ様なのですが、其の人の生涯が即ち其の道である(おしえ)であると云うことだけは、キリストに限ったことなのです。キリスト御自身も「わたし私は世の光である」、「わたしは道である、(いの)()である、真理である」と、又或る時は「わたしは(よみがえ)りである」とも言われました。そうであるからパウロもキリストの教を説くと言わないで、キリストを広く伝えると言われたのです。世間には理論や教義が出放題に出て分らない教があります。理論の上に理論、門の奥に門があって理解し難い教もありますが、キリスト教はキリストという昔も今も生きておられる方の実際の歴史から成り立っていて、其の精神をもって働くものなので、最も理解し易いものなであることは(うたがい)ないことなのです。次は、

 

二、キリスト教は最も守り易いものです

という事です。多くの人が「キリスト教の教えは立派だし、清潔だ。だけれど守れないので、私はキリスト教を守って救いを得ることはできない。」と言います。これは(いま)だキリスト教の要点を解っていないからです。キリスト教は誠を守り、苦業をして自分を義とすることを求めるものではありません。キリストが人にお求めになったものは信仰です。父の慈愛を信じ、キリストの仲立ち、贖罪(しょくざい)を信じて、身も魂も御任せすることです。「心に信じて義とされ、口に言いあらわして救われるのです。」とパウロは説き広めました。しかしながら人は(なお)「その信仰こそ実に罪人にとって実行困難ではないか。」と言います。これは又大きな(あやまり)です。罪人に正義を行えと言うならそれは実行困難です。これは破産した人に負債を償えと言うのと異なりません。溺れる者に泳げといい、病めるものに自分で治せと言うなら、これは実行できないことを求めることになります。無情も(はなは)だしいと言うべきです。今大海に舟を失い向って行くべき(のぞみ)もなく泳ぐ力もない者に一隻の舟をこぎ寄せて貴方の体をこの舟に入れよ、私は貴方を救おう、と言う者があるとしたらどうでしょうか?この人に身を(まか)せる以外に何かできる事があるでしょうか?感謝の言葉を言えなくても、助けてくれた理由を問う余裕はなくとも、(ただ)一筋の生命の道を助け給えと身を(まか)せるのは信仰の救いなのです。ですから信仰は救いの一方法と言うべきではなく、唯一の方法と言わないでは居られないのです。天に(そむ)き身を怨み滅亡を選ぶ者でないのならば、信仰ほど容易なものはありません。これ以外に生きて行く道はありません。神は人が弱い事をご存知なので、人が我慢できない方法で人をお救いになるとは言わず、百術千薬が尽きた病人に唯一の薬を与えて薬の値段を払えと言わず、単に口を開いてこれを受けよと言われるのです。これより容易な(すくい)は無く、これより確かな救いは有りません。

 

三、キリスト教の修業は容易に実行できます

貴方はもうキリスト教を知り、もうその教を信じました。ですが、どの宗教に修業が無いでしょうか、(つとめ)が無いでしょうか。キリスト教の人が常に「道徳を高尚にし、品行を正しくせよ、キリストを理想として進め」など言っておりますが、平凡な人には分り(にく)い事が多いと普通の求道者が一般に苦情を唱えるところです。殊に此の三年(ばかり)は理想品性なんどいう堅苦しく聞き慣れぬ言語が講壇からこぼれ落ちるので、普通の人にはこれ迄のキリスト教とは違ってはいないかと思われる様子もちらりほらりと見えるのは誠に気の毒な次第です。キリスト教徒の修業はこの様に難しいことがあってはなりません。神様を人間に(あら)わす為に、キリストは「天に(ましま)す我らの父よ」と教えられ、又御自身は人間の主人であることを御承知なさいました。天下に父の無い人、君の無い人がいるだろうか、とは古人が申した事ですが、欧米は()(かく)我が日本では父という言葉と君という言葉程誰でもよく知るものはないでしょう。天にある神様を親として孝を(つく)せ、十字架に()けられた(すくい)(ぬし)を自分の殿様とし御主人として忠義を尽せよと言えば、誰でも直ちに合点が行き、忠孝の二字に慣れた有難い感情も湧き()ること、さして骨の折れることではありません。理想や品性は(わか)らずとも日本固有の親に孝、君に忠という心を大切にして、明け暮れ此の父上さまの御恩を忘れまいと祈り、夏の日も冬の夜も御主人の御(ため)には陰日向(かげひなた)なく忠勤を励んで、御主人がこの世に居られた日に示された善い手本を眼前に置き、(よわき)を助け貧しきを(あわれ)み、御国(みくに)の境を広めようと力を尽せば、これこそ誠にキリスト教徒の修業であって、此の外は皆此の修業を助ける方法なのです。ですからキリスト教の修業と言っても別に(かけ)(はなれ)れたものではなく、キリスト御自身がお教えになった様にこの世の忠孝を当て嵌めてこれを実行すれば、世の孝悌(こうてい)忠信(ちゅうしん)(訳者注;真心を尽くし、誠意をもって目上の人に仕える事)も自然と清く高くなり、世の道徳が甦生(こうせい)して神の御国に(かな)うものとなるでしょう。神の御心と人の心とが(あい)通うことは、善き親子や君臣の相信じて疑わず、互に其の好むことを知り(いと)うことを知って善き交りをなす様になるでしょう。その様になれば当人達は意識しなくても、学者達は(はた)からこれを見て理想は云々其の品性は斯々(かくかく)と評価するでしょうが、当人達にはやはりその評判は分らないでしょう。実行が既に行き届くなら評判はどうでも構わない事です。さあ此の霊山の兄弟姉妹方、世の偽物の知識人の真似をして無用の頭痛を起こすよりは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブの様な身分の低い男と共に、素直に飾りない心で、栄光のキリストを拝みましょう、(あが)めましょう。

 

この一篇は明治二十四年箱根夏期学校の終りに於て、箱根宿の人々の為に開いた説教会にて語った大要を後に憶い出して筆記したものです。箱根では「キリスト教」と云う題で話しましたが、今三易の二字を加えて、説話の大体を知り易いようにしました。

(「本多庸一先生遺稿』8-13頁)

 

2 原文文字起し

我らは十字架に()けられし基督を()べ伝う。(コリント前書一章二十三節)

 

箱根の宿(しゅく)は明治四、五年の頃よりバラ教師により伝道を始められたり。日本人が始めて伝道をなししは明治七年の夏にて、(あたか)も横浜なる日本最初の教会が始めて各地に巡回伝道を試みし時なりしが、司会者なる熊野長老も()の一人にて此の箱根に伝道せられたり。自分は同年十一月病気保養 (かたがた) 一箇月程当地に滞在して伝道を試みしが、(それ)より十八年目の今日に図らずも又今宵の集会に巡り会うこと今昔の情に堪えざるなり。

箱根宿は約二十年間、毎年多少の伝道を受けたり。(しか)れども今日まで信者の多く起らざるは、色々の原因あるベけれども、其中(そのなか)の一は(これ)に相違なかるべし。(すなわ)ち基督教は六箇(むずか)しいと云う事なり。是は何処(いずこ)も同じ苦情なれども大いに間違って居る事なり。(なる)(ほど)基督教は世界三大教の一にして、六箇(むつか)しく云えば際限もなく六箇しいものなれども、之を他の大宗教に比べて万人の救いを得る為に教えたる事、せねばならぬ事を調べ(みれ)ば、基督教は最も(やす)き者なり。誰にても脳髄の順序が違って居らぬ平常の人間には一番易きものなり。(こと)に罪ありて罪あることを知れる人、恩を受けて恩を感ずる神経ある人に容易なるものなり。()く申しても(ある)お方々はいい加減にいうていると思うでもあろう。けれども是は真本の事にて、全体書生や教師などが何でも六箇しくいうたり考えたりして居るのは、必要よりは(むし)ろ好みから六箇しくして居ることが多くある。(ゆえ)に一方から申さば、おつな癖が付いたというても善い事がある。()て横道をよして(いよいよ)(やす)い事を申さんに、先ず一番に来るは、

 

一、基督教は知り易い事なり

何故に知り易いか、新旧約聖書ばかりでも六十六巻あると云うにと思うべけれども、基督教は何ぞと問う人あらば、最も(まった)き最も短き答は基督なりと申すことである。いかに六箇しく言わんとしても是よりは出来ず。又易くせんとせば最も之を適当とすることなり。しかし基督教は基督であれば何故に知り易きや。知らぬ人には仏教は釈迦なり、儒道は孔子なりと云う様にて、矢張り知り難きことならずや。否々然らず。此の口調は基督教にのみ用うべくして仏教や儒道には用い難し。何故と云うに仏教は釈迦が悟って説いたもの、儒道は孔子が(ぎょう)(しゅん)に学んで得たる所を述べたるものにて、此の真如(しんにょ)彼の忠恕(ちゅうじょ)、皆天下古今の共有にて釈迦か孔子の外にある者なり。(しこう)して其の道は不立(ふりゅう)文字(もんじ)だの慎独格致(しんどくかくち)だの云う工夫と修行とを積まねば名目(ばか)りにても容易に知り得ぬものなり。然るに基督教は基督の言行動作より成立つものにて、此の高貴なる御方は(たし)かに此の世に生れて世人と共に交際をなし、又死して葬られ、三日目に(よみがえ)りて今日天に(いま)す御方なれば、其の御一生の事をば(ことごと)くいえば十日、略していえば三日の内に夜話にしても語り尽くして、老人も小児も皆覚え得らるるべきことなり。()つ又奥深く考うることよりは正直に記憶して他人を思いやる心を以て(あじわ)いさえすれば、大切なる事は皆(さと)り得らるる事どもなり。生きて大地を踏みたる人間の事を知るは、誰れも彼も差別なく釈迦も孔子も同じ様なれども、其の人の生涯が即ち其の道である(おしえ)であると云うことだけは、基督に限りたることなり。基督御自身も「我は世の光なり」、「我は道なり、(いの)()なり、(まこと)なり」と、又或る時は「我は(よみがえ)りなり」とも言い給えり。さればにやパウロも基督の教を説くといわずして、基督を()べ伝うとはいえり。世には理となく義となく出放題にして分らぬ教あり。理の上に理、門の奥に門ありて知り難き教もあれども、基督教は基督なる(いにしえ)も今も生きて居らるる方の実歴史より成りて、其の精神をもって働くものなれば、最も知り易きものなること(うたがい)もなきことなり。次は、

 

二、基督教は最も守り易きものなり

という事なり。人は多くいう、基督教の(いましめ)は立派なり、清潔なり。(しか)し守れざる故に、私は基督教を守りて救いを得ること能わずと。是れ(いま)だ基督教の大要を得ぬ故なり。基督教は誠を守り苦業をして自ら義とせらるることを求むるものにあらず。基督の人に求め給うところは信仰なり。父の慈愛を信じ基督の中保(ちゅうほ)贖罪(しょくざい)を信じて、身も魂も御任せ申すことなり。「心に信じて義とせられ、口に言いあらわして救わるるなり」とパウロは説き広めけり。(しか)れども人は(なお)いう、其の信仰こそ実に罪人の難ずる所なれと。(これ)(また)大なる(あやまり)なり。罪人に義を行えといえばこそ難ずるなれ、破産人に負債を償えというに異ならず。溺れしものに泳げといい、病めるものに自ら(いや)せといわば、是れ皆為し得ざることを求むるなり、無情も(はなは)だしと云うべし。今大海に舟を失い向い行くべき望もなく泳ぐべき力もなき者に一隻の舟をこぎ寄せて汝の身を此の舟に入れよ、我汝を救わんと云う者あらばいかん。此の人の()めに身を任すより外に何の(すべ)かある。謝するに言葉はいい得ずとも由縁(ゆえん)(ただ)(いとま)はなくとも、(ただ)一筋の生命の道助け給えと身を(まか)するは是れ信仰の救いなり。されば信仰は救いの一方というべからず、唯一法といわざるべからず。天に(そむ)き身を怨み滅亡を選ぶものにあらざるよりは、信仰ほど易きものはなかるべし。是れより外に行くべき道はあらじかし。神は人の弱きを知り給えば、人の得堪えぬ方法にて人を救い給うといわず、百術千薬の尽きたる病人に唯一薬を遣わし給いて薬の(あたい)を払えといわず唯口を開き之を受けよと()り給えり。之より易き(すくい)はなし、之より(たし)かなる救いはなし。

 

三、基督教の修業は為し易し

既に基督教を知れり、既に其の教を信ぜり。(しか)れども(いず)れの教か修業なからん、(つとめ)なからん。基督教の人にも常にいう、道徳を高尚にし品行を正しくせよ、基督を理想として進めなど、平人には分り(にく)き事多しとは普通求道者の一般に苦情を唱うるところなり。殊に此の三年(ばかり)は理想品性なんどいう堅苦しく聞き慣れぬ言語が講壇からこぼれ落ちるので、普通の人には是迄の基督教とは違っては居らぬかと思わるる様子もちらりほらりと見ゆるは誠に気の毒の次第なり。基督教徒の修業は左様に六箇(むつか)しきことには(これ)あるまじ。神様を人間に(あら)わす為めに、基督は「天に(ましま)す我らの父よ」と教えられ、又御自身は人間の主人であることを御承知なされた。天下誰か父なき君なきの人あらんやとは、古人の申した事なるが、欧米は()(かく)我日本にては父と申す言葉と君と申す言葉程誰もよく知るものはあるまじ。天にある神様をば親として孝を(つく)せ、十字架に()けられし(すくい)(ぬし)をば(おのれ)の殿様とし御主人として忠義を尽せよと申さば、誰も直ちに合点が行き、忠孝の二字に慣れたる(あり)がたき感情も湧き()づること、さして骨の折れることにはあらざるなり。理想や品性は(わか)らずとも日本固有の親に孝君に忠という心を大切にして、明け暮れ此の父上さまの御恩を忘れじと祈り、夏の日も冬の夜も御主人の御()めには陰日向(かげひなた)なく忠勤を励みて、御主人の世に()し給いし日に示されし善き手本を眼前に置き、(よわき)を助け貧しきを憐み、御国(みくに)の境を広めんと力を尽さば、これぞ誠に基督教徒の修業にして、此の外は皆此の修業を助くるの方法なり。されば基督教の修業とて別に(かけ)(はなれ)れたる者にあらず、基督御自身が教え給えるごとく此の世の忠孝を移して之を実行すれば、世の孝悌(こうてい)忠信(ちゅうしん)も自ら清く高くなり、世の道徳が甦生(こうせい)して神の御国に(かな)うものとなるべし。神の御心と人の心と(あい)通うこと善き親子や君臣の相信じて疑わず、互に其の好むことを知り(いと)うことを知りて善き交りをなすが如くになるべし。(かか)れば当人どもは知らずとも、学者達は(はた)から之を視て理想は云々其の品性は斯々(かくかく)と評判をすべしといえども、当人共には矢張り其の評判は分らぬなるべし。実行既に行届かば評判はどうでも構わぬ事なり。いざ此の霊山の兄弟姉妹方、世のえせ物じりの真似をして無用の頭痛をなさんよりは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブの如き(しず)の男と共に、素直に飾りなき心もて、栄光の基督をば拝み申さん、(あが)め申さん。

 

此の一篇は明治二十四年(はこ)()夏期学校の終りに於て、函根宿の人々の為に開きたる説教会にて語れる大要を後に憶い出して筆記せるものなり。函根にては「基督教」と云う題にて話したれども、今三易の二字を加えて、説話の大体を知り易からしむ。

(「本多庸一先生遺稿』八-一三頁)

 

3 解説

 この文は庸一が東京英和学校校長に就任した翌年43歳の時のものです。キリスト教に馴染みのない箱根の地元の人々にキリスト教をどうやったら受け入れてもらえるか、メッセージングの工夫が随所に見られます。

例えば「殊に此の三年(ばかり)は理想品性なんどいう堅苦しく聞き慣れぬ言語が講壇からこぼれ落ちるので、普通の人には是迄の基督教とは違っては居らぬかと思わるる様子もちらりほらりと見ゆるは誠に気の毒の次第なり。」は現代の牧師や宣教師にも通じるでしょう。自分を偉く見せようとする説教が聴衆をキリスト教から引き離しているのは明治時代も今も変わりません。