理想に旅するの旅程 本多 庸一 目 次 1. 現代語訳 2. 原文文字起し 3. 解説 1 現代語訳 工事中 2 原文文字起し 愛する者よ、我ら今神の子たり、後いかん未だ現われず。その現れん時には、必ず神に肖んことを知る。 其は我らの真状を見るべければなり。(ヨハネ第一書三章二節) 我れこれらの望を既に得たりというに非ず、亦すでに全うせられたりと云うに非ず、或は取ることあらんとて、我ただ之を求む。キリスト之を得させんと我を捕え給えるなり。兄弟よ、我れ自ら之を取れりと云うにあらず、惟この一事を務む。即ち後ろに在る者を忘れ、前に在る者を望み、神キリストによりて上に召して賜う所の褒美を得んと標準に向いて進むなり。(ピリピ書三章十二―十四節) 右はヨハネとパウロとが理想に向って進行する思想を明言したる者なり。我が青年兄弟姉妹も亦理想の旅をなす者にして、今や旅程中の或峠を越え又は津を渡り、又は関門を通過するに逢えり。焉ぞ一種異常の感なきを得んや。日暮れて道遠しとは老年の嘆なれども、青年は早暁征馬を駆るとでも言うべし。誰も彼も皆旅の世を渡る者なれども、地球と共に唯物理的の旅程を辿る者と、遥かに理想の発達を望みて意識的に倫理的に進行する者とあり。 一定の計画なき事業到着点の定まらぬ旅行程怪かる者はあらじ。我卒業生諸氏はヨハネ、パウロに劣らぬ高尚完全なる理想を懐かるる事として、偖て如何なる注意と覚悟とを以て此の旅程を進むべきやは、吾人の今朝考えんと欲するところなり。 (一)如何なる旅装をなし何の護身具を帯ぶるやを記憶し、応分に身を処せざるべからず 天路歴程のクリスチャンなる旅人は、義の護胸を当て信仰の盾を取り、救いの冑を着て、聖霊の剣を提げたりと云う。左れどより古き青年ダビデは一枝の杖と石投とを携えて戦場にまで出でたりと云う。基督は其の使徒に履や杖までも携うることを禁じたり。いかにも単純なる旅装と云うべし。旅装の繁閑は其の代其の時其の身分の事情による事として爰に記憶すべきは自己は如何なる旅装をなし居るやにあり。即ち自己を知ることなり。知りて能く之を制することなり。理想に向って進まん趣旨に適する様に自らを制せざるべからず。自制必ずしも消極的の傾向のみに留まるべからず。気を鼓し勢を作るも又自制なり。而して過分の自制に陥らずして、適宜に到来せる機会あらば可成一度相応の難事に当り見ることを心懸くべし。当難練磨謙虚誠実にして之に処する時は如何に己れの弱きを知るのみならず、同時に幾分か己は取るところあり、自ら信ずるに足るべきものあるを看出さん。是れ実に快心の事にして進取敢行の意義を助長すること寡からざるなり。 (一)
周囲を択ぶことを慎むべし――良友の必要 常に鄭聲を聞き常に残忍なることを見、常に軽佻浮薄の交際を重ぬる等、必ず人心を腐敗せしむる事疑うべからず。去れば善き境遇に善き感化あるは疑うべからずと雖も、安全なる周囲必ずしも安全にあらざることを期せざるべからず。埃田の古話之を証し、後代の実歴史亦之を繰返して余りあり。要は凶賊裏に住居すれば如何なる堅城も一旦に陥るべし。 (三)長途の興奮力――功名心 長時日の旅行には興奮力を要す。其の有効なる一動力は功名心なりとす。惟其の真偽を判知して選択を正しうせざるべからず。倫敦のシチーテムプルのキアムベル氏曰く「今時の最大危険は人々の功名心に過ぐるに非らずして、功名心の不良なる形式を用うるにあり」と。聖詩に曰く「われなんじに感謝す。我は畏るべく奇しくつくられたり」(詩篇百三十九篇十四節) 此の奇しき性を稟けたる人間其の賦与者の為めに賦与せられたる天性の全幅を発展して理想に到達せんと欲するが如きは功名心の聖なる者大なる者高き者というべし。カーライル曰く、功名心に二種あり。甲は全然非難すべき者にして、乙は賞賛すべき又免れ難き者なり。単に己を他人の上に輝かさんとする私欲より来る者は下劣卑陋の者と見做すべく、「汝己れの為めに大いなることを求むるや、之を求むるなかれ」(エレミヤ書四十五章五節)。而して予猶お謂う、各自天賦の量に準い自家を発展するは妨圧する能わざるの傾斜なり。是れ適当にして避くべからざる者なり。人間の義務にして義務中の義務なり。地上に於ける人生の意義を略叙すれば当に斯の如くなるべし。「自家を開展し其の能力を活用すべし」と。是れ各人の為めに必要避くべからざるものにして吾人存在の第一法なり。「天命謂二之性一率性謂之道(てんのめいはこれをせいといひせいにしたがふこれをみちといふ)」も亦此の謂乎。 (五)熟考と速決の慣習を作るべし 熟考と速決とは偏配すべからざる者なり。物事は熟考せざれば其の精に至る能わざれども人生の行事は他に連関すること多し。己れ自らの勝手に任せがたし。是れ速決実行の要ある所以なり。而して猶予の時間ある日には勿論熟考を加うべし。苟且に附するの陋習を避けざるを得ず。亦既に決して実行しつつあるものにも、能く省察熟考を加えて改むべき者あらば之を改むべきなり、此の二者相待ちて成功をなすべし。然らざれば常に悔い多し。 諺 に曰く「毫厘の差千里の謬」、是れ熟考の要と速決の要とを含有するものなり。 (六)沈勇を養うべし 人生の旅行を偏に動物的に考えても、有形無形の敵に対する勇を解するなるが、倫理的に理想的には尤も大なる勇気を要するなり。利害の外に義不義を判じ、人の見ざる処に独を慎むこと極めて陰匿せる者ながら、自ら欺くこと甚だ易くして、之に対して良心の指示に服すること沈勇を用うるの大機会なりとす。 旅程の初めは将来の為めに勇気を養うの便利あるのみならず、現にその要甚だ多し。ヨシュアのモットーは「心を強くして且つ勇め」なり。尋常の徒歩旅行には三日目を最も難儀とする如く、初めの打出しには困難多し。尚引続き風雨山川の難行が行く程顕れ来る。勇往邁進不撓不屈を以て自重するに非ざれば半途堕落の例指屈するに遑あらず。 (七)旅程の初期には屡ば奇道をなすも益あるべく、半ば已後は可成変化を慎むべし 三十五、六までは職業を換えて試験をなすも善からんなれども、四十に近づきては可成一定して其の方針を変ぜざるをよしとす。時の模様により、地位には変化ありとも、業体は可成経験の有る者を固持するを成功の便利とす。 (八)常に理想を見失わぬことを勤むべし 北斗の位地は四季毎に変ずるも、其の手が北極を指すこと常に変ずることなし。人事変化多し。火を以て火を救うことあり、平和の為めに戦う事あり、苦痛を治するが為めに苦痛を興すことあり。一旦反対の方向に向うがごときも、其の目的は常に見失うことなきを要す。後ろにある物を忘れ前にある者を望みて、常に目を放さざるを要するなり。 吾人の理想を完全するは遠きを期せざるべからず。理想に接するは現在時々刻々に及ぶべき丈の力を以て取り得べき丈の程度に於て絶えずこれを行うべし。而して各人品性の理想必ずしも同一なること能わざるべしと雖も、最も要するところは其の完全なること活発なる感化を与うるものにあり、慰藉奨励を与うる者にあり。是れ古今の人所謂知性上の理想に満足せずして、深く宗教の信操に入り、神的霊的本尊を信奉して始めて満足する所以にあらずや。 (明治三十九年三月二十五日、青山学院卒業説教筆記) (『本多庸一先生遺稿」三一五-三二〇頁) 3 解説 |