特殊の民族

 

目 次

1.     現代語訳

2.      原文文字起し

3.     解説

 

 

1 現代語訳

キリストがわたしたちのために御自身を(ささ)げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から(あがな)いだし、良い(おこな)いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。(テトスへの手紙2章14節)

 

天皇陛下の和歌

罪あらば朕を罪せよ天津神民は吾身の生みし子なれば

(国民に罪があるならそれは私を罪人としなさい。日本国民は私が生んだ子供なのですから)

 

明治45年の紀元節幸にも我々の礼拝日という巡り合わせでした。この国民に最も貴重なこ記念式を荘厳る為に最も貴重な礼拝を行うというの、国運が大きく進展する事を示しています。我々が礼拝するのは、どうして我々の祖先そして我々の祖先が祭った天神でないことがあるでしょうか。又久しく西半球にのみ存在するこの天神教であるキリスト教が一種の特別な国民の紀元記念式を聖別する程になったのは、これは一つの発展であって天国を拡張する一つの表れではないでしょうか。キリストが、自分は破壊のために来たのではなくて、約束を成就し建設する為に来たのだ、ということはこういう事ではないでしょうか

 

神武天皇以前の旧い言い伝えは一種又は数種の神話となってしまう日もあるでしょう。ですが、その敬神の思想は増々輝く日があることでしょう。そうではあっても、外教(げきょう)と呼ばれることがある(わが)キリスト教こそ真正の天神を祭ることを国民に教えて、古代以来の敬神思想を全うする者ではないでしょうか。

 

神話時代の言い伝えは将来どの様になろうとも、神武天皇以来二千五百年以上の史実は実に大きなものであって、神武天皇の即位、即ち立国の紀元節は、実にこの国民生命の出発点であって、世々忘れてはならないのです。この事が確かなのは将来何世代にも亘って国体論の会議を必要としない程なのです。

 

謹んで2500年の昔を回顧すれば、歴代の先祖が九州の南辺に数代の(あいだ)力を養ない、神武天皇の代になって、孤軍を(ひっさ)げて15年の(あいだ)遠征を行い、(つい)中原(ちゅうげん)の大和に至り、今日大帝国となるべき基礎を()えて下さったことは実に讃美、感謝の至りです。これを開始したころは実に取るに足りない小さな一団であって、新たに奮族(ふんぞく)(訳者;中原の北に住む遊牧民族)が居住する中に攻め入ったことなのでの辛苦危険は言語に絶しました。イエス・キリストが身以て民の犠牲になった事にとても()ています。歴史上の治世や乱世は全て訓練でした。神武の民はイスラエルの様に単なる民ではない、大国民となったのです。これは天が深く計画なさった所に違いありません。

 

(ねがわ)はこの国民にはキリスト犠牲精神によって、神祖の遺志を継ぐのを一層高尚にさせ、善を行うのに熱心な者とならしめ、国家として特殊なだけでなく精神的道徳的に世界に比類ない者とならしめますように

(明治45年紀元節)

 

 

2 原文文字起し

キリスト我等の為に己の身を捨て(たま)ヘリ。是我等をすべての罪より(あがな)ひだし、且つ己の為に一つの民を潔め之をして熱心に善事を行はしめん為なり。(テトス書二〇十四)

 

(ぎょ)  (せい)

罪あらば朕を罪せよ天津神民は吾身の生みし子なれば

 

明治四拾五年の紀元節幸にして我等の禮拝日適逢(てきほう)せり。此の國民(もっとも)貴重なる此の記念式を荘厳(もっと)も貴重なる禮拝をてするを得るは(これ)國運進張の(しるし)なり。我人(われら)禮拝する(いずくん)(れつ)()(ならびに)我等の租先(そせん)の祭れる天神にあらざらんや。又久しく西半球にのみ存在する此の天神教なるキリスト教は一種の特別なる國民の紀元記念式を聖別するに至れるは、(これ)(また)一発展にして天國(かく)(ちょう)(いっ)(ちょう)にあらずや。基督は我は破壊の為に来らずして成就建設の為め(きた)れりとは(かか)る事あらずや。

 

神武()(ぜん)(きゅう)()(でん)は一種或は数種の神話となり(おお)する日もあらん。されど()の敬神の思想は彌々(いよいよ)輝くの日あらん。(しか)れども(なお)時に外教(げきょう)と呼ばるヽところの(わが)基督教こそ眞正の天神を祭ることを國民に教へて、上古の敬神思想を全うする者にはあらざらんや。

 

神代(かみよ)遺傳(いでん)はいかになり行くとも、神武已来(いらい)二千五百有余年の史實は實に大なる者にして、神武天皇即位即ち立國の紀元節は、實に此の國民生命の濫觴(らんしょう)にして、世々忘るべからず。千代に八千代に國體(こくたい)論の會議(かいぎ)を要せざるなり。

 

謹んで二千五百餘年の(いにしえ)を回顧すれば、列租九州の南邊(みなみべ)(すう)(だい)(あいだ)力を養ひ、(じん)()に至り、孤軍を(ひっさ)げて十五年の(あいだ)(せい)(りょ)(ふく)し、(つい)中原(ちゅうげん)の大和に至り、今日大帝國となるべき基礎を()()給へること實に讃美感謝の至りなり。其の(はじめ)は實に(びょう)たる一團(いちだん)にして(あらた)奮族(ふんぞく)の住居せる中に攻め入りたることなれば()(しん)危険言語に絶す基督が身以て民を(あがな)へる()()たることなり。歴代治亂(ちらん)(みな)練磨なりき。神武の民はイスラエルの如く(たん)に民にあらず、大國民となれり。是れ天の深く(はか)り給ふ所なるべし。

 

(ねがわ)は此の國民には基督犠牲精神を添へて、神祖の遺志を継ぐに一層高尚ならしめ、善をなす熱心なる者とならしめ、國家的に特殊なるのみならず精神的道徳的に天下に比類なき者とならしめんことを。

(明治四十五年紀元節)

 

3 解説

この原稿は「本多庸一先生遺稿」の142頁に収録されています。日付は明治45年紀元節となっております。紀元節は2月11日です。この1か月後の3月庸一は長崎で天に召されます。庸一の後に続くキリスト者への遺言の様にも聞こえます。

 

この遺言は左翼思想家や活動家には到底受け入れられないでしょうが、極東の島国の民が欧米列強の侵略を排除しいかにして独立を保とうとして奮闘したかという当時の時代背景を理解すべきでしょう。例えば日露戦争において日本は成人男子が10人に一人の割合で犠牲になりました。この「日本が独立を保つための精神的支柱として基督教があるべし」は今日でも失われてはならないでしょう。