伊藤大輔牧師

伊藤牧師のプロフィール

1963年東京生まれ

1987年東京神学大学修士課程修了

南国教会、武蔵野横須賀伝道所、八王子めじろ台伝道所、

北千住教会、銀座教会、青山学院高等部、横須賀学院等を経て20154月より本多記念教会8代目牧師として着任。

 

説教とお祈り

(おことわり;以下の録音は本多記念教会の聖日礼拝での伊藤牧師の説教を教会員が録音録画したものです。録音状態が悪いところがあってもお見逃しください。なお、ここへの公開は牧師の了解を得てあります。)

 

青山学院大学での「キリスト教概論II《の講義録はここをクリック

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2023年12月31日    主日礼拝 

聖書;ルカによる福音書2章8~21節

「今日、あなた方のためにメシアが生まれた《。天使が羊飼いに告げた言葉。この言葉はこれまでもあった。天使という特別な存在が語ったとは言え、言葉は同。ただ、これで終わりではなかった。その足で、その目で、その手で確かめてこい。

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2023年12月24日   待降節 第4主日 

聖書;マタイによる福音書1章18~25節

クリスマスの物語。私たちのクリスマスの心の整え方を考えたい。ヨセフはマリアと婚約していたが、マリアの妊娠を知りマリアと縁を切ろうと決心する。人の目を気にして。ヨセフの夢の中に現れた天使はヨセフに「恐れるな《人など相手にするな、と。

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2023年12月17日   待降節 第3主日 

聖書;ヨハネによる福音書1章1~5節

クリスマス前の一週間をどのように過ごすのか。ヨハネ福音書はクリスマスの情景は描かない。それをクリスマスの出来事としている。イエス・キリストの性質を語る。初めに言(ことば)があった。言(ことば)・ロゴスここには特別の意味がある。

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2023年12月10日   待降節 第2主日

聖書;ルカによる福音書 1章5~20節

バプテスマのヨハネの誕生。ルカ福音書はこれをクリスマスの物語としている。クリスマスを迎えるのに必要だから。ヨハネ誕生の物語は聖書に親しんでいるものなら別の物語を想起させる。アブラハム、サラの物語。この夫婦にも子どもがなかった。

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2023年12月3日   待降節 第1主日

聖書;ルカによる福音書 1章26~38節

クリスマスを待つ季節。マリアの受胎告知の物語。おとめが子どもを産む。あり得ない話。これを私たちは「奇跡《と呼んできた。この上思議な話のどこに私たちの物語があるのか。この物語は私たちに問うている。あなたはマリアのようになれるか。

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2023年11月26日   生誕降臨節 第27主日 終末主日

聖書;ヘブライ人の手紙 12章1~13節

説教題「神との絆《

今日の説教は伊藤牧師ではないので説教要旨はありません。

  

 

2023年11月19日   生誕降臨節 第26主日

聖書;マタイによる福音書 27章11~26節

人はどのように生きるのか。今日の聖書の物語には様々な人の生き方が現れている。ピラト、群衆、祭司長、長老。彼らに共通しているもの。自分以外のものに心が奪われている。自分ではなくなっているものを自分だと思い込んでいる。

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2023年11月12日   生誕降臨節 第25主日

聖書;マタイによる福音書 27章1~10節

イエスは捕らえられ、死刑の判決が下された。イエスの十字架は私たちに何を告げたのか。人は何も知らない。自分が何者か、知っているつもりになっている。だが、本当は何も知らない。人は何も知らない。問題はここから。

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2023年11月5日   生誕降臨節 第24主日

聖書;マタイによる福音書 26章69~75節

主イエスの十字架が、私たちに教えてくれたこと。ペトロの物語を通して明らかになったこと。人は何もわかっていない。あなたは地の塩、世の光。主イエスはこれをペテロにも語った。自分はイエス様にどこまでも着いていく。それが何よりの喜び。

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2023年10月29日   生誕降臨節 第23主日

聖書;マタイによる福音書 26章57~68節

本日は召天者記念礼拝。先に召された先達の方々を覚える礼拝。その方々は何をなさったのか。やがてその群れに加えられる私たちは生きている間に何をしなければならないのか。並びに宗教改革記念礼拝に思いを深めたいと思います。

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2023年10月22日   生誕降臨節 第22主日

聖書;マタイによる福音書 26章47~56節

ゲツセマネの園で苦悩に満ちた祈りをイエスはする。苦き盃を取りたまえ。されど神の御心がなりますように。祈りの後、主イエスの心は定まっていた。十字架にかかる、と。この状況を引き受ける、と。私たちはイエス様から何を学んだのか。

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2023年10月15日   生誕降臨節 第21主日

聖書;マタイによる福音書 26章36~46節

ゲッセマネの園で主イエスは祈る。苦き盃を遠ざけてくれ。神の御心がなりますように。イエスが十字架にかかることで何が起こったのか。殉教者は他にも大勢いる。何故、イエスの十字架だけが特別なのか。十字架で人類が発見したものは何か。

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2023年10月8日   生誕降臨節 第20主日

聖書;マタイによる福音書 26章31~35節

主イエスの死が間近に迫っている。弟子たち。主の言葉を聞きながら、その内容を心に留めない。主イエスから咎められると、祭司のところに駆け込んで主イエスの値踏みをする。主イエスは世界を救う力があなたにはあると語り続ける。

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2023年10月1日   生誕降臨節 第19主日

聖書;マタイによる福音書 26章26~30節

主イエスと弟子たちの最後の食事。聖餐式の始まりとなった出来事。主イエスは自分の体だとパンを食べさせる。自分の血だと言ってぶどう酒を飲ませる。弟子とはイエスを食べた者たち。教会は聖餐式で主イエスを食べている。なぜ食べるのか。

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2023年9月24日   生誕降臨節 第18主日

聖書;マタイによる福音書 26章17~25節

あなたは地の塩、世の光。イエスの言葉には聖書の世界観が込められている。努力をして、塩になるのではない。光になるのではない。すでになっている。生まれた時からあなたはそういうもの。だが、人は私でないものを私だと思い始める。

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2023年9月17日   生誕降臨節 第17主日

聖書;マタイによる福音書 26章14~16節

イエスが最後にした譬え話。終わりの時、私たちは皆、分けられる。「いつ私はそのようなことをしたでしょうか。《「いつ、私があなたに何もしませんでしたか。《神は答える。お前のそばの小さい者のにしなかったことは私にしなかったことと同じだ、と。伊藤牧師の説教要旨はここをクリック

  

 

2023年9月10日   生誕降臨節 第16主日

聖書;マタイによる福音書 26章6~13節

主イエスが伝えたかったこと。私たちはズレている。ベタニアの女、主人の帰りが遅いと思い込んで勝手放題をしていた(しもべ)、花婿の到着を思い込んでいた五人の乙女。皆、ズレている。私の考え、私の予定。それが現実には通用しない。

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2023年9月3日   生誕降臨節 第15主日

聖書;マタイによる福音書 26章1~5節

イエスが最後の一週間で私たちに残した言葉。誰にでも最後は来る。その時に手遅れになることがある。備えていなければ、日常を整えていなければ。人生とは、自分とはなんだったのか。終わりの時に閃くものではない。どうすれば良いのか。

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2023年8月27日   生誕降臨節 第14主日

聖書;マタイによる福音書 25章31~46節

人生の最後。私たちは自らを問う。自分の人生とはなんだったのか。聖書はそれを「神が裁く《と言う。その時に起こること。はっきりと分かれる。満足のできた生き方。虚しさしか見出せない生き方。「裁き《はある日、突然、下されるものではない。

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2023年8月20日   生誕降臨節 第13主日

聖書;マタイによる福音書 25章14~30節

イエスが最後の一週間に残した言葉。人は分かっていないこと、ふたつ。いつ神に会うのか。自分が何者なのか。続けて言われた。「分からないままでは済まされない《。その備えをしなければならない。それを自分以外の言葉に怯えて忘れていく。

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2023年8月13日   生誕降臨節 第12主日

聖書;マタイによる福音書 25章1~13節

イエスの最後の一週間の言葉。10人の乙女たちが各々ランプを持ち、花婿の到着を待つ。5人は予備の油があり、他の5人にはなかった。ランプを灯して共に花婿の到着を待つ。花婿の到着が遅れ、到着した。ランプは油切れで消えそうになる。

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2023年8月6日   生誕降臨節 第11主日   

聖書;マタイによる福音書 24章45~51節

神と出会う日が来る。その時、私たちはどうすればいいか。二人の(しもべ)の話。主人が家を出る時、(しもべ)に管理を任せる。良い(しもべ)、家来たちの面倒をちゃんと見た。悪い(しもべ)、家来を蔑ろにして、好き勝手した。主人が帰ってくる。

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2023年7月30日      生誕降臨節 第10主日

聖書;マタイによる福音書 24章36~44節

最後の日。神の前で、自分は何者であったかを語る。その時、私は神の御心にかなっているのか。その時は誰にも知らされていない。他者に心があっては見つけることができない。最後の日に語るべき言葉。あなたは地の塩、世の光。

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2023年7月23日      生誕降臨節 第9主日

聖書;マタイによる福音書 24章32~35節

イエスの最後の一週間。自らの最後を迎えるにあたり、「最後《とは何かをイエスは語る。最後を迎えるにあたりイエスが勧めているもの、「区別《。滅びるもの、滅びないもの。その「区別《をつけること。それが最後を迎えるにあたっての心備え。

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2023年7月16日    生誕降臨節 第8主日

聖書;マタイによる福音書 24章15~31節

真っ暗な時が来る。私たちの人生の中で、経験する真っ暗なこと。家族、学校、職場、地域、国家、世界が経験する真っ暗なこと。そこについて語っていると受け止める方が主イエスの思いに促している。真っ暗な時にどうすればいいのか。

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2023年7月9日   生誕降臨節 第7主日

聖書;マタイによる福音書 24章3~13節

イエスは最後の一週間、世界の終わりについて語り出す。ひどいことが起きる。そこから誰も避けられない。イエスが弟子たちに告げたと。避けられない現実で人がまずしなければならないこと。惑わされるな。

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2023年7月2日   生誕降臨節 第6主日

聖書;マタイによる福音書 24章1~2節

死の危険が迫っている直前、イエスは全てが終わることを平然と語る。イエスの活動の始め。神から与えられたあなたならではのものがある。だが、それを見出すものは少ない。イエスはこの思考を否定する。

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2023年6月25日   生誕降臨節 第5主日

聖書;マタイによる福音書 23章37~39節

イエスの最後の一週間。エルサレムでファリサイ派と対峙する。イエスとファリサイ派の違い。世界観の違い。ファリサイ派の世界観。世界は恐ろしいところ、怖いところ。一方のイエスの世界観。神が「良い《と言った世界。この世界は良いところ。

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2023年6月18日   生誕降臨節 第4主日

聖書;マタイによる福音書 23章23~36節

イエスはファリサイ派、律法学者を手厳しく批判する。イエスから見てのファリサイ派と律法学者。見えるものは大事にするが、見えないものには心を配らない。これは彼らだけの特徴か。見えるもの、見えないもの。この違いは何か。

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2023年6月11日   生誕降臨節 第3主日

聖書;マタイによる福音書 23章13~22節

イエスとファリサイ派。同じ言葉を共有し同じ聖書を大切にしている。ところがファリサイ派はイエスについて神を冒涜していると言い、イエスはファリサイ派について行いが伴わないと言う。両者は全く異なる行動をとる。何が違うから分かれるのか。

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2023年6月4日  生誕降臨節 第2主日

聖書;マタイによる福音書 22章41~46節

イエスは律法学者、ファリサイ派の人々を手厳しく批判する。彼らの何が悪いのか。彼らの性格を端的に表すならば、聖書を大切にしていた人々になる。それのどこがいけないのか。主イエスに言わせると彼らは人のことばかりを気にしている。

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2023年5月28日  生誕降臨節 第1主日 

聖書;使徒言行録 2章1~13節

ペンテコステ。旧約の預言者が、主イエスが、目指しているものが実現した日。弟子たちに聖霊が降り注がれ、彼らが他国の国の言葉で語り出す。「こちら《と「あちら《の世界が始まった。だが、これはその後、世界中で問われている続けている。

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2023年5月21日  復活節第7主日 

聖書;マタイによる福音書 22章41~46節

「あなたたちはメシアについてどう考えているのか。誰の子どもか《質問をされたファリサイ派の人々が答える。「メシアはダビデの子だ《と。そこでイエスはダビデが歌った詩を引用する。このやりとりは何を読者に告げようとしているのか。

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2023年5月14日  復活節第6主日 

聖書;マタイによる福音書 22章34~40節

答えは「ひとつ《。イエスに論争を仕掛けるものたちの世界観。これに対して主イエス。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に《と答える。複数の男性と結婚した女性の問いにも「復活の時には心配するな《と答える。答えは一つではない。

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2023年5月7日  復活節第5主日 

聖書;マタイによる福音書 22章23~33節

ファリサイ派、ヘロデ派、サドカイ派。彼らはイエスと論争する。彼らの論調の方が実は私たちにしっくりくる。夫と死に別れ夫の弟達と再婚した女性。彼らが復活したら誰が夫になるのか?だが「とんだ勘違いをしている《とイエスは言う。

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2023年4月30日  復活節第4主日 

聖書;マタイによる福音書 22章15~22節

理想主義者のファリサイ派。現実主義者のヘロデ派。両者がイエスに詰め寄る。「税金を紊めることは律法にかなっているのか?《理想と現実。折り合いのつけられない話を彼らはイエスにぶつける。どちらを選んでも片方から批判される。

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2023年4月23日  復活節第3主日 

聖書;マタイによる福音書 22章1~14節

王様は息子の婚礼の支度が整ったので使いを出す。祝いの時、喜びの時。招かれたものたちは今日は忙しいと誘いを断る。王様は神様。招かれたものたちは私たち。私たちはいつ神様の誘いを断ったのか。

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2023年4月16日  復活節第2主日 

聖書;マタイによる福音書 21章33~46節

先週迎えたイースターの意味を探るため受難週の物語に聞いていく。イエスが生涯の最後の一週間で語った物語。ぶどう園の主人と農夫の話。家つくりのプロの大工、この世界で成功していると思っている者の捨てた石が一番大切だった。

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2023年4月9日  復活節第1主日 イースター礼拝

聖書;マタイによる福音書 28章1~10節

復活を信じるとはどういうことか。イエスの復活の一週間前、弟子達はエルサレムに入る時イエス様は王様になると思い、自分たちも相応しい位が与えられると思っていた。だがイエスが神殿で商人を追い出したあたりから雲行きが変わってきた。

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2023年4月2日  受難節第6主日 棕櫚の主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 21章28~32節

イエスの最後の一週間。エルサレムでイエスは祭司長、律法学者たちを批判する。大事なことを疎かにしている、悔い改めが分かっていない、と。ぶどう園を営む親子の譬え話で。

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2023年3月26日  受難節第5主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 21章23~27節

イエスの最後の一週間。祭司長、律法学者とイエスの間に緊張が増していく。民はイエスが入城すれば大騒ぎし神殿ではこの者の言葉に耳を傾ける。祭司長たちはイエスに詰め寄る。「なんの権威でここで語っているのか《

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2023年3月19日  受難節第4主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 21章18~22節

信仰が山を動かすと主イエスは言う。何を言っているのか。信仰とは何か。物語は空腹のイエスがイチジクの木に近づいたところから始まる。過越の祭り、春の出来事。イチジクに実がなっているはずがない。なぜイチジクは春に実を付けていないのか。

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2023年3月12日  受難節第3主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 21章12~17節

信仰を持つ。その生活をして起こるべきことは何か?成長。それが起こってこそ信仰生活。成長はどう確かめられる?主イエスはエルサレムに入り、神殿で商売をしているものを追い出し、同じ神殿で足の上自由なもの、目の見えないものを癒された。

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2023年3月5日  受難節第2主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 21章1~11節

十字架への一週間、イエス様の最後の時が始まる。入城に際し主イエスは二人の弟子を遣わし、誰かに呼び止められたら「主がお入用なのです《と言え、と教えてロバを取って来させる。この話は読者に何を伝えようとしているのか。

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2023年2月26日  受難節第1主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 20章29~34節

「願い《とは何か。私の願いはなぜかなわないのか。自分勝手な思いを表すことが「願い《なのか。二人の盲人が主イエスに願い出る。見えるようになりたい、と。二人の弟子が願い出た。イエス様が王位につく時、私たちを一番にしてください、と。

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2023年2月19日  公現後第7主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 20章20~28節

人はどうしたら幸せになれるのか。二人の息子が主イエスの弟子になっている母が願い出る。イエス様が王になる時に自分の息子たちを一番近くに置いてください。

心を自分に取り戻すのに手遅れはない。いつでも私は本当の心を取り戻せる。

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2023年2月12日  公現後第6主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 20章17~19節

金持ちの青年が主イエスに聞いたこと。「先生、永遠の命を得るにはどうしたら良いですか?《。 「永遠の命《。このテーマに対しての結び、それは「十字架にかかり復活する《。 テーマ設定と結び。この言葉に隠されているものは何か。

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2023年2月5日  公現後第5主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 20章1~16節

朝早く働いたものも、夕方から働き始めてものも同じ賃金。天の国とはこういうものだと。お金の多寡が自分の大きさになっている。お金が多かろうが少なかろうが、私とは関係のないもの。それが、いつしか区別がつかなくなっている。

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2023年1月29日  公現後第4主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 19章23~30節

幸福になるのにはどうしたら良いのか。「手放せ《と主イエスは勧める。だが人はできない。掴んでいるものが自分だと思っているから。富のあるものが幸せになるのは難しい。それならば誰が幸せになれるのか。神にはできる。神は何をするというのか。

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2023年1月22日  公現後第三主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 19章16~22節

「永遠の命を手に入れるにはどうしたら良いですか。《一人の青年が主イエスに尋ねる。なぜ、私に尋ねるのか。分かっているはずではないのか。掟を守れば良い。青年は答える。どの掟ですか。「殺すな、姦淫するな、偽証するな、・・・・《。

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2023年1月15日  公現後第二主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 19章13~16節

マタイ福音書には子どもを大切にするイエス様の言葉が二回出てくる二回の間に挟まれたいくつかの出来事。ここにイエス様が考える「子ども《が記されているのではないか。なぜ大人は子どものようになれないのか。

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2023年1月8日  公現後第一主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 19章1~12節

ファリサイ派の人々;「モーセが言っているように離縁状を渡せば、離婚していいんですよね《。 主イエス;「神が合わせた者を人が離してはならない《。 弟子たち;「だったら結婚などしない方がましです《。 男女はそういうものではない。

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2023年1月1日  新年礼拝

聖書;ヨハネによる福音書 1章1~5節

初めに言があった。人は言葉で自分を確認し世界を整理していく。全てのものは言葉で表わせる。では「言葉《そのものはなんと表現するのか。他の言葉で代用できないもの「言葉《。私たちは世界をどのように見て、どのように理解をしているのか。

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