伊藤大輔牧師

伊藤牧師のプロフィール

1963年東京生まれ

1987年東京神学大学修士課程修了

南国教会、武蔵野横須賀伝道所、八王子めじろ台伝道所、

北千住教会、銀座教会、青山学院高等部、横須賀学院等を経て20154月より本多記念教会8代目牧師として着任。

 

説教とお祈り

(おことわり;以下の録音は本多記念教会の聖日礼拝での伊藤牧師の説教を教会員が録音録画したものです。録音状態が悪いところがあってもお見逃しください。なお、ここへの公開は牧師の了解を得てあります。)

 

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2024年7月14日    聖霊降臨節 第9主日 

聖書;使徒言行録4章1~22節

ペテロは権力者に囚われても動じない。自分は見たこと、聞いたことをただ語っているだけだ。権力者たちはそれはするなと脅してくる。脅しに対して答える。人に従うのと神に従うのとどちらが正しいか?ペテロは何を見ているのか?

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2024年7月7日    聖霊降臨節 第8主日 

聖書;使徒言行録3章17~26節

ペテロはエルサレムの人々に向かって語り続ける。なぜ、ペテロは語るのか。イエスがいなくなり途方に暮れて弟子たちには何もできない。だが彼らは語り出す。ペテロは奇跡までも起こす。ペテロたちのこの行動にエルサレムの人々は戸惑う。

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2024年6月30日    聖霊降臨節 第7主日 

聖書;使徒言行録3章11~16節

神殿で足の上自由な者が立ち上がった。その奇跡を起こしたのはペテロ。ペテロが神殿で人々に囲まれる。そこでペテロが口を開く。この奇跡は私の力や信心からだと思うな。信仰が起こしたのだ、と。信仰とは何か。同じを信じること。

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2024年6月23日    聖霊降臨節 第6主日 

聖書;創世記11章27節~12章5節

この日は伊藤牧師が他の教会で礼拝説教があり、代行の牧師が礼拝司式、説教を担当しました。なので説教要旨はありません。

  

 

2024年6月16日    聖霊降臨節 第5主日 

聖書;使徒言行録3章1~10節

ペンテコステの日に起こった出来事。エルサレムの門に佇む生まれながらに足の上自由な者。物乞いをして毎日を過ごしている。自分には足りないものがある。道行く人々も思っていた。物語は私たちへ問うている。世界はそんなもんじゃない。

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2024年6月9日    聖霊降臨節 第4主日 

聖書;使徒言行録2章43~47節

最初の教会の様子を記す使徒言行録。それは単なる記録ではない。教会の在り方、世界の在り方を語る物語。私たちが当たり前と思っている「区別《「差異《「境界《、握りしめている「常識《「普通《「当たり前《を問うことができるか。愛と永遠。

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2024年6月2日    聖霊降臨節 第3主日  

聖書;使徒言行録2章23~42節

ペンテコステの日に起こったこと。使徒たちが聖霊に満たされてそれぞれが外国の言葉を語り出す。これに続いてペテロが説教をする。その際、ペテロはダビデを持ち出す。ペテロの説教の本質はどこにあるのか。

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2024年5月26日    聖霊降臨節 第2主日 

聖書;使徒言行録2章14~22節

聖霊を受けるとはどういうことか。ペテロは12弟子が聖霊を受けて、外国語の言葉を喋りだしたことについて説明を始める。終わりの時、聖霊が降り注がれる、と。

その時私たちは何を見るのか。そこが終着点と考える。だか、その先に行ける。

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2024年5月19日    ペンテコステ礼拝 

聖書;使徒言行録2章1~13節

ペンテコステ。イエスの磔刑から50日目の日。激しい風のような音と共に炎のような舌が分かれ分かれになって弟子たちの上に留まる。すると彼らは霊が語らせるままに他の国々の言葉を語り出す。この物語は私たちの何を語っているのか。

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音声が入っていません。          こちらは音声が入っています。

 

2024年5月12日    復活節第6主日礼拝 

聖書;使徒言行録1章12~26節

イスカリオテのユダが自ら命を絶って、この世を去った。仲間のペテロは厳しく、冷たい言葉でユダの存在、死について語る。こうなることは神の定めだと言う。一見冷たい。だが、これはペテロの自らを紊得させる訣別の宣言なのではないか。

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2024年5月5日    復活節第5主日礼拝 

聖書;使徒言行録1章1~11節

復活後のイエス。弟子たちにパンを示された。パン。生きる糧。生きよ。イエスが弟子たちに伝えたこと。なぜ生きるのか。聖霊を受けるイエスの証人となる。物語の表現はそうなっている。どういう意味か。

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2024年4月28日    復活節第5主日礼拝 

聖書;ルカによる福音書24章36~49節

復活したイエス。弟子たちの前に現れる。弟子たちはそれがイエスだとは分からない。イエスがパンを裂いた時、弟子たちはそれがイエスだと分かった。その時、イエスの姿が見えなくなる。パンを残して。なぜ、人は生きなければならないのか。

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2024年4月21日    復活節第4主日礼拝 

聖書;ルカによる福音書24章13~35節

私たちはなんのためにここにいるのか。私の使命とは何か。神さまは、この世の秩序がもしあるとしたら、その中で私は何をすることが求められているのか。イエスの復活の物語。それは私たちに人の存在意義について語っている。

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2024年4月14日    復活節第3主日礼拝 

聖書;ルカによる福音書3章1~22節

今日の礼拝で洗礼式が執り行われる。洗礼者ヨハネの言葉から洗礼とは何かを考えたい。ヨハネのもとに人々が押し寄せる。その者たちに向かってヨハネは語る。私たちの心に何が起こっているのか?私たちは、本当は何者なのか

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2024年4月7日    復活節第2主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書28章11~20節

マタイ福音書の最後。イエスの言葉「私は世の終わりまで、あなた方と共にいる。《

福音書の始め。マリアの妊娠に戸惑っていたヨセフに天使が告げた言葉「生まれてくる子供はインマヌエル。神、我らと共にいる。《この福音書は何が言いたいのか。

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2024年3月31日    イースター礼拝 

聖書;マタイによる福音書28章1~10節

安息日が終わり二人のマリアがイエスの墓とやってくる。天使が言う。ガリラヤに行けと。弟子たちのところに赴く途中イエスに会い、ガリラヤに行くことを弟子たちに告げよと命じられる。天使もイエスも同じ情報をなぜ二回も伝える必要があったのか。

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2024年3月17日    受難節第5主日礼拝 

聖書;ルカによる福音書20章9~19節

イエス様の譬え話。ぶどう園を造った主人。造られたぶどう園。ぶどう園を任された農夫。主人が収穫の時に僕を遣わす。ところが農夫たちは言うことを聞かない。主人は一人息子を送ることにする。なぜイエスは殺されなければならなかったのか。

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2024年3月10日    受難節第4主日礼拝 

聖書;ルカによる福音書18章9~14節

イエスは何を思い十字架への道を引き受けたのか。神はどのようなものを良いというのか。世界はどのような者を待っているのか。イエスの譬え話。一人は落ち度のないファリサイ派。今一人は罪深い徴税人。神殿でこの二人が祈る。

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2024年3月3日    受難節第3主日礼拝 

聖書;ルカによる福音書17章20~37節

神の国はいつ来るのか。イエスは答える。「ここ《「あそこ《にあるものではない。いつやってくるというものでもない。時空は「世界《「現実《を表す座標軸。その座標軸に当てはまらない。ならば存在しないのか。神の国はあなた方のただ中にある。

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2024年2月25日    受難節第2主日礼拝 

聖書;ルカによる福音書17章1~10節

皮膚病を患っている10人。イエスに助けを求める。イエスの勧めに従って彼らは出かけていく。その途中、10人は治癒を感じる。一人だけがイエスに向って神を讃美する。イエスは告げる。「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。《

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2024年2月18日    受難節第1主日礼拝 

聖書;ルカによる福音書17章1~10節

受難節が始まった。イエスの十字架を覚える季節。イエスはなぜ、憎まれたのか。その原因はイエスの考え方、世界観にある。イエスの世界観とはどのようなものか。ルカ福音書が残したイエスの言葉。ここに三つの話が連続して出てくる。

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2024年2月11日    公現節第6主日礼拝 

聖書;ルカによる福音書5章27~32節

注;この日は午後2時から新会堂の献堂式、内覧会があり、当日の礼拝説教の記録はありません。代りに献堂式の説教の記録があります。以下はその要旨です。

新しい会堂が与えられた。ここに至るまでに、何度も教会とは、礼拝堂とは何かを話し合ってきた。会堂とは何か。神の国を表すところ。では神の国とは何か。聖書から神の国を知る手がかりはある。天地創造の物語。ここに手がかりがある。

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 献堂式の録画はここをクリック 

 

2024年2月4日    公現節第5主日礼拝 

聖書;ルカによる福音書6章6~11節

安息日を覚えてこれを聖とせよ。聖書の舞台となっている世界の習わし。その起源は創世記。神が休まれた。それ故に人もまた休む。これがその始まり。ところが、そうと分かっていても、なかなか人はそれを守れない。

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2024年1月28日    公現節第4主日礼拝 

聖書;ルカによる福音書5章33~39節

伝統と今。私たちは時間の節目を意識せざるをえないことがある。どちらを優先するのか。あるいは両方をうまく融合させるのか。新しいぶどう酒は新しい革袋に入れる。古いものは捨て去れ。そうとも聞こえる。それがイエス様の本意なのか。

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2024年1月21日    公現節第3主日礼拝 

聖書;ルカによる福音書5章17~26節

病者がイエスの所に運ばれてきた。イエスは、その人たちの信仰を見て「あなたの罪は赦された《という。動けない原因は「罪《ということ。被害者は私で、罪があるのは、他者だと言いたくなる。それでも聖書は言う。動けなくなる原因は「罪《だと。

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2024年1月14日    公現節第2主日礼拝 

聖書;ルカによる福音書5章1~11節

イエス・キリストを信じるとはどういうことなのか。夜通し漁をして何も捕れなかった漁師のペテロ。群衆への話が終わるとイエスはもっと沖に漕ぎ出すように伝える。そこで網を打てと。するとおびただしい魚が捕れた。

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2024年1月7日    公現節第一主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書2章1~12節

イエス・キリストが公に姿を表した日。異国の博士たちが訪問した。この物語は何を告げるのか。ヘロデはイエスを亡き者にしようとする。同じ国、民族のものがイエスを殺そうとする。「お前などいらない《。これはイエス・キリスト固有の物語か。

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