右近さんの最後を知る緒口と現在までの経緯

 

宮之原右近さんの部下である伯野氏が戦後直ぐ小田原の教会を訪問しその老婦人に右近さんの戦死を知らせ遺髪を届けてくださった。宮之原一家は牧師である父親と小田原の教会に住んでいたが父親の召天後郷里の弘前に疎開していた。この小田原の教会牧師は宮内俊三氏だったかも知れない。宮内氏は右近さんの妹哲子さんと結婚し、哲子さん召天後小田原で牧師をしていた。宮内さんはこの知らせと遺品を弘前の遺族に届けてくださった。

 

一方、右近さんの青学の同窓で陸軍配属部隊の同年生である上田国太郎氏が右近さんの妹元子を探し当ててくださった。このころ元子は結婚して仙台に住んでいただろう。

 

和人さんが1960年福島に墓参に参った(宮之原家の墓は福島にあった)時この事を(多分母親のまりさんから)聞き、上田さんに手紙を書き、上田さんから気甲四会の例会への出席を許され、それを通じて右近さんが指揮していた第二十二野戦気象隊第二中隊を知る人々から様々な資料を頂けることになった。

 

注;以下資料のコピー1から10は紙のコピーの整理番号で、この右近さんに関する資料の表示順とは関係ありません。