松本正弘氏手紙

 

以下は宮之原和人さんが兄右近さんの消息を松本正弘氏に尋ねたその返信です。松本氏は第二十二野戦気象隊本部勤務隊長でした。

 

 

拝復

 

兄上 宮之原右近氏について 私の知る限りについてお知らせ申し上げます。

 

私が宮之原右近中尉に最後にお会いしたのは昭和十九年の九月二十日頃と思います。当時私はマニラの第二十二野戦気象隊本部勤務隊長兼第三中隊長として比島全般の気象情報の統括責任者として、又中部比島の中隊長として 又 二十二野気の先任将校として勤務しておりました。

 

昭和十九年九月十八日戦況とみに悪化し戦史にいうダバオ誤上陸事件があり、二十二中隊はマニラとの唯一の通信手段である地二号無線隊を破壊し山中に退却する事件がありました。誤報と判明し、又ダバオ公会堂の中隊本部に○○部隊に気象情報の技○が主要任務でしたが 宮之原中尉は豊富な知識をもって 立派に任務を果して戴き感謝していた次第です。

 

宮之原中尉は ご承知のとおり熱心なクリスチャンで、終始聖書をたづさえ「いかり」を表に出さず○喜をもって人に接しておりました。

 

おそらく人として こんな立派な人はないと私は確信しております。

 

十九年八月以降の状況は私も知ることは出来ませんが、終戦後収容所で偶然出あった二十二中隊の准尉の忠岡君の話によると 栄養失調による戦病死と聞いております。

 

私としては惜しみある人材を失ったと思っている次第です。と同時に 余りにも高潔な人格故に部下が近より難く 又 生死を共にする部下を得ることがなく一人孤独に亡くなったのではないか考えている次第です。

 

今回十数年振りに当時の状況を振りかえります時に 色白に○生 貴公子然たる青山学院出の宮之原君を思う時、なつかしさと無念さで胸が一杯で、ご遺族の〇様始め皆さま何と申し上げようも御ざいません。

 

以上のような次第でありますので、比島全域に分散している気象部隊の責任者の一人として最後の状況を詳細にお知らせ出来ない事情を御容赦願いたいと存じます。

最後に宮之原君の御めい福と皆様のご健康をお祈りします。

乱筆多謝      12/19

 

 

 

注;上記は手書きの文面を文字入力したものです。文体、送り仮名等は出来るだけ原文のままに留めましたが、句読点を適宜加えてあります。難読文字にはその文字の複写を挿入しました。私の誤読が無いとは言えませんので、以下の複写を参考にご覧ください。