1.     はじめに

本多謙(2019/9/27版)

 

きっかけ

数年前、弟の裏切りの為に心に煩悶が生じ、そのため糖尿病になり、苦悩の為に仕事にも支障が生じ、そのために一層過酷な仕事をすることになり、過労が高じて狭心症を患い、心臓手術をすることになった。その日、病院に向かって歩き始めたが、20メートル程歩くたびに心臓が痛くなって立ち止まり、じっとして心臓の鼓動を遅くして痛みが収まるのを待ってからまたそろそろと歩き出し、病院にようやくたどり着いた。私は直ちに車椅子に乗らされ、ベッドで絶対安静にさせられたが、なおも病院で仕事を続けようとしたら医者に「そんなこと続けたら死にますよ。」と言われた。あと2,3日来院が遅れていたら救急車ではこばれていただろうと医者は言った。幸い、心臓手術は成功し、私は死なないで済んだ。

 

私は病院へ向かう途中で意識を失い、そのまま死んでいたかも知れなかった。私が死んでいたら、家族が定型通り葬式をし、私の遺品を整理し、私の骨がどこかの墓に葬られ、数年後には私の記憶人々の記憶からも消え去っただろうことがまざまざと想像できた。「なるほど、自分が死ぬとはこういうことであるか」と、他人ではなく自分の未来の体験として死を考えたことであった。

 

手術のあと、未だ死ぬには早いという気持ちもあったので、心臓病と糖尿病の治療に専念することにし、自分が創業したIT企業の社長も辞め、神経を擦り減らす一切から距離を置き、心を出来るだけ安らかにして運動する生活を1年ほど続けたら血糖値が劇的に下がり、「あと何年かの余生をどのように生きようか」と考えられるようになった。 そこで、自分が本当にすべきこととして選んだのがekyoukai.orgを多くの人に役立つようにすること、自分の世界観を書き残すこと、本多家の長男として本多家を正常化することだった。

 

理由

自分のこれまでの思索を纏め世界観を書き残すというのは、頭の中に乱雑に散らかって整理されないままに残っている思索の記憶の断片を拾い集めて組織化し文章化する苦しい作業だったが、自分がどんな考え方をする人間なのかを死ぬ前に鏡に映して自分がどんな姿をしているのか見てみたいという興味があったからかもでもある。この作業は手術後心に余裕ができたころから始まり、1年間ほどで原稿用紙300枚程度の原稿という形になり、自分の世界観の概要がだいぶ見えてきたと思うにつれ書き加えなくなったまま放置されたままになっていた。

 

自分としてはそれで一応気が済んだのだったが、この論考は、「元来人を救うために成立した宗教が原因で人類はなぜ戦争してきたのだろうか、解決策はないものだろうか」、と考え続け、「その原因は宗教間で共通に使える尺度(目盛、template)が無いためにcommunicationが成立しない/し難いことにある」ということに思い至り、「それならその共通の尺度はどんなものだろうか」と考え続け、自分なりのアイデアを記述したものであったので、放置したままにすることはいささか気掛かりでもあった。そこで、これを今一度読み直し、新たに各所を加筆修正してekyoukai.orgに載せようという気になった。

 

東西冷戦が終わり、サミュエル・ハンチントンが「歴史の終わり」を書き人類の歴史は節目を迎えた後も歴史の歩みが続き、フランシス・フクヤマが「文明の衝突」を出版した様にその後も世界が様々な問題を抱え、民族間、文明間、宗教間の紛争が次の世代に引き継がれようとしていることを思うとき、自分のこの作業が、人間の(政治的、経済的、文化的、動物的等々)あらゆる行動の背後にあるメカニズムを明らかにし、「歴史の終り」の後に現出した宗教間、民族間の争いを解決する参考にならないだろうかとも考えたからだ。

 

それに加え、日本ではキリスト教徒が人口の1%に満たない理由を説明しその対処法を提示したいという思いもあった。

 

思い起こせば、「存在」という概念に気が付いたのは中学一年の時、理科の勉強をしている時だった。太陽から地球に向かう光は地球の表面に「存在」する空気の層を通ることによって屈折するのだった。この時の私のこのテキストの理解は、「光が空気を通過することによって曲がる」のではなく、「意志の無い唯の物体である空気が“存在して”そこにあるだけで太陽からの光を曲げてしまう」というものだった。さらに私の思惟は「存在することに何の意味があるのだろうか」などと広がっていき、更に「存在とは何か」「認識とは何か」「時間とは何か」、「言語とは何か」、「形而上と形而下はどう関係しているか」「神とは何か」等々に広がっていった。

 

大学2年の時(1971年)中学生、高校生の間に考えて来たことを組織立てて纏めてみようと思い立った。これは頭の中に乱雑に散らかって整理されないままに残っていた思索の記憶の断片を拾い集めて組織化し文章化する苦しい作業だった。そしてこの作業の結果の一部を「認識から創造へ」という小文に纏めて大学の学科誌に載せた。この小文は比較的良く構成されたと思われたので、それを基に更に思索を深め、翌年「認識と時間、神」という小文を同じ学科誌に載せた。これらの論考を現在読んでもその内容を否定しようと言う気にはならない。中学生、高校生の間の様々な思索がその後の、現在に至る私の世界観を構成し、それが現在まで継続しているのは、ある種不思議な感じがする。そういうわけでそこで大学2年時に纏めた「認識から創造へ」を再掲し、この論考集の論述の開始点としたい。

 

ところで、この論考集の論述は絵画を描くようになるだろうと思っている。それは、絵画を描く時は先ず全体をスケッチし、画面の構造を確認し修正しながら絵画の部分々々部分を少しずつ描き足して行く様に、先ず論述の構造を想定して部分々々をある程度記述し、全体の構造を見ながら各部分の表現を修正し、補足し、削除し、あるいは新しく章を起こす、という方法だ。従って、目次を提示してあるが、これは数年前のものなので今後変わるかも知れない。また一旦掲載した論考も後日更新するかも知れない。この場合末尾に版の識別用日付を残しておくことにする。

 

以上