10 概念の認識とその共有、伝承

本多 謙(2019/12/9

 

1本の鉛筆に対する認識は鉛筆という概念に抽象化でき、共有できる。林檎が重力の法則に従って落ちるという現象の認識も万有引力の法則に対する概念として認識し人類は共有できる。何故なら万有引力の法則の検証は地球上のどこでも、誰が行っても再現し検証可能だからだ。

 

では、清少納言が美しいと言った春の「あけぼの」の情景はどうだろうか?大抵の日本人なら共有できるだろう。朝早く起きて東の空が次第に明るんで空の色が変わって行き、それに連れて東の山裾も明るくなり、たなびいていた雲が次第に消えてゆく様を見るという体験は多くの日本人が日本のそれぞれの場所で体験しているからだ。京都は盆地であって、北には北山、西には西山、東には東山があり、朝の光は比叡山のある東山の頂きから上る。清少納言が愛でた「春はあけぼの」はその様なものだったろう。東に山が無い海岸で海原の向うから太陽が昇って来るのを見た体験をした者はその体験を基に清少納言の「あけぼの」を理解しようとする。だが限度がある。「春はあけぼの」を理解するには京都の春を体験する必要があるが、同時に京都の冬も理解せねばなるまい。京都の深々と冷え込む冬が終りそれに続く春を迎える気持ちを言葉で説明するのは難しく、体験するしかない。それには京都に長期間住むしかないがそれができる人はごく少数だろう。従って、ほとんどの読者にとって「春はあけぼの」を理解するには自身の体験を基に想像力を働かせるしかない。この様な理解は体験と想像力に依存する。

 

例えば、蜻蛉は秋の空を微風の中で浮ぶ儚げな昆虫だというのが日本人の共有するイメージだ。蜻蛉に関する詩文を読めば更にその感が深まるだろう。だが、これを英語では「dragon fly」と呼ぶ。「空飛ぶ恐竜」という意味だ。蜻蛉を見たことの無い者がdragon flyの実態を想像し、その後で昆虫図鑑を見ればその名前の通りのイメージを持つだろう。このイメージが異なれば対象に対する対応も異なって来る。即ち、この様な理由で蜻蛉という昆虫の異なる概念が異なる人々によって共有される。他の概念についても同様だ。

 

言語は人の文化を構成する物のうち非常に継承性が高い。何故なら言語は先ず共有物として保護者から幼児に与えられ、成長するにつれ個人のものとして覚えられ使われてゆくからだ。蜻蛉としてdragon flyを覚えた幼児は、蜻蛉をどう認識するかという文化の型も自分の内に採り入れたのだ。蜻蛉を蜻蛉として覚えた日本語を話す幼児はその透明な震える羽に儚さを感じるかも知れない。それは蜻蛉という昆虫を見るという行為に対して儚さという認識を他者と共有し他者から継承したことを意味する。Dragon flyにおいても同様だ。Dragonという言葉により人は蜻蛉に対しdragonの一般的な概念に類似した概念を当て嵌める。飛んでいる蜻蛉に対し人はflyしているdragonという概念を想起し、蜻蛉に対してその様な概念を当て嵌め、そのように認識する。この共有と継承の関係も蜻蛉の場合と同じだ。

 

この一連の過程(process)には或る論理(mechanism)が存在する。その論理はその者が属する文化に依存する。文化は思考の論理の原型として、基底として我々の脳裏に何の予告も無く浮んでくる。例えば、中国文化なら陰と陽の2項対立であり、西欧なら「父と子と御霊」の三位一体とその派生形としての「正反合」の弁証法であり、日本なら「万物に神が存する」という汎神論だ。ダーウィンの進化論を日本人はすんなりと受け入れ共有するが、それは、仏教の輪廻思想や神道を基にした汎神論が広く浸透しているからだ。米国では進化論に対する反論が未だ根強い。万物を作ったのは唯一の神であると聖書が教えているからだ。

 

このような論理は生育過程での教育によって個人の中に育成される。人が成長するということはその過程の間にこの論理を頭脳の思考回路に採り入れるということなのだ。人はそれから逃れることはできない。それはあたかも、聴覚を通しての言語習得の過程に似ている。赤子や幼児は保護者からの語り掛けを聞いてその意味を理解する様になり、不要な雑音は意識しない様に成長する。だから、この成長期を過ぎて外科手術で初めて聴覚を得た成人は突如聞こえて来た音の洪水に耐えられず自死に至ったり、せっかく得た聴覚を再度手術して削除したりする。聞えてくる来る音のかたまりの中から自分にとって必要な音を抽出する回路が頭脳の中に形成されていなかったからだ。

 

童話は創作物だ。どらえもんやセーラームーンは夢を想像で膨らませた創作物だ。ディズニーやアニメの様々な物語も同様だ。我々はこれらを我々の成長過程で見聞きする。その時我々はこれらの物語の創作者の世界観を受け入れる。その論理は蜻蛉をdragon flyだと理解した幼児のものと同じだ。この様にして我々は世界観を受入れ、認識し、共有し伝承する。それは神話でも宗教の経典の中の物語でも同様だ。