15 社会が共有する感性と情緒

本多 謙(2020/3/11

 

云うまでも無く、人間は動物である。人間が他の動物とどの様に違うか、似ているかという研究は行われているが、人間がヒトという動物であることを基礎にしてどの様な社会を構成すべきか、という体系だった“深い”研究はあるのだろうか?

 

勿論、我々の社会とその慣習、風俗、仕組みは人間が生まれ、成長し、親となり、子育てをし、老いて死んで行くサイクルに合わせて出来ている。多くのヒトは産院で生まれ、両親のもとで育まれ、幼稚園から大学までの教育機関で教育を受け、社会組織の一員となり、好ましい異性を得て結婚し、子育てをし、老いて死に、葬式をして墓に入る。この間身體や精神の不調があれば病院で治療を受ける。どの民族や国家もこの様な人間の生の循環を維持できるような社会システムを形成している。

 

人は動物として生れる。赤子の肉体には父親と母親からのDNAが組み込まれている。子はDNAに書かれた設計図に従って人生を生き、そして死ぬ。赤子は意識や記憶を使って外部から様々な情報を採り入れ、自己が集団の中の1つの個として生存してゆく術を身に付けて行く。この段階で、赤子は何をしたら良いか、何をすべきでないか、身の回りにある物がどの様なものか(危険なものか、安全なものか)などを理解する。赤子や幼児を観察すると、抱いて話しかけている大人(主に母親)、周囲の環境(気温、風、湿度、音など)あらゆる情報を吸収し、それを処理し、自分がどの様な行為をすれば適切か、即ち生き物としての生を全うできるかを学習しその通りに行動する。赤子どうしを遊ばせておくと、一人の赤子は他の赤子とどの様に折り合いを付けるかを学んでいるのが観察できる。これらの過程を通して動物として生れた赤子は幼児となり次第に社会性を身に付け、自己の属する社会の文化に染まって行く。認識や思考や判断の基となる感性や情緒が育まれるのも幼児期から思春期までの間である。

 

この人間の行為は以下の様にモデル化できる。

 

どの様な感性や情緒が育まれるかは体験(情報の入力)に拠る。例えば、長男を大事にする文化に長男として生まれたり、末っ子に家督を継がせる文化に末っ子として生まれればそれなりの感性や情緒が生まれる。男性と女性を区別する文化や、夜寝るとき親子が並んで寝る文化で育つ場合と子供だけ別室で寝る文化で育つ場合とは親や他人に対する距離感が異なる。例えば、8世紀に編纂された万葉集の和歌や清少納言が11世紀に書いた枕草子の「春はあけぼの」の感性や情緒を互いに理解できるには、日本の四季折々の季節のうつろいや行事を体験し、学び、育つ必要がある。

 

個人がどの様な感性や情緒を獲得するかは社会的な出来事なのだ。そして個々人の感性や情緒がどう異なるかはその生育環境がどの文化(民族や人間の群)に属しているかに拠る。人間社会を複雑にしているのは、感性や情緒は本人の自覚無しに無意識に獲得し維持されるものだからだ。人間は様々な要因により群を形成する。群は社会を構成する。この人間の群は文化を共有する。文化が違えば美と醜、快と不快の基準が異なる。この相違は群と群の間で利害関係が生じた時に争いを増幅させ、その結果群どうしは対立する群を消滅させようとすることもある。例えば戦争がそうだ。山本七平氏は「空気の研究」で日本人が日本人独特の感性によって醸成され共有された空気(その場の情緒)で大東亜戦争を開始したことを指摘されたと思う。その空気は占領軍が指導した戦後の平和教育により180度否定され、それを維持するための機構が未だ残っている。

 

目に見えない感性と情緒を社会は共有する。それは常に揺らいで取り留めない。だが、その基底にあって変らないものがある。それは何か?