17 知性と言語

本多 謙(2020/3/31

 

人は思考する時、言語を使う。これは感性や情緒を基に感じる時でも数式や論理の処理を思考する時でも同じだ。人は顕在意識において言語を使って思考を具体化し、客観化し、それを加工して自己の思考の論理を深めて行ったり、自分が何をどの様に感じたり認識したりしているかを明確にする。これは知性の働きだ。

 

乳児が成長するビデオを見ていると、彼らは声を出して自分の欲しい物やどう扱って欲しいかを主張する。これは言語ではないが言語の源(源言語)と言っても良いだろう。彼らの脳細胞が成長するに従い彼らは言語を話しだす。これを母語と呼ぶ。(母語と母国語は異なる。)母語を話して保護者と会話するにはそれなりの筋肉と筋肉を適切に動かして話させる神経と記憶の系が発達していなければならない。だがその前に乳児は母語を聞いて単語や意味を理解できていなければならない。乳児は母語を獲得する前の源言語を発している間どの様な知性を働かせて源言語を使っているのだろうか?詳細は心理学者の研究に拠るが、筆者には彼らが既に好き、嫌い、恐れ、安心などの概念を持っている様に見える。

 

乳児は幼児に成長し、彼らが使う母語は単語から文章に進化する。文章は単語を文法に従って繋げたものだ。だが文法は既存の言語の規則性を分析し、その構造を記述したものだ。言語が先で文法は後からできたものだ。乳児や幼児は保護者との会話や本やテレビなど様々な媒体から自然に母語を習得する。従って母語は社会的なものだ。例えば80が20の4倍だという表現はフランス人でなければ使わない。80はフランス語ではQuatre-vingtという。Quatreは4、vingtは20を意味する。

 

人は一生母語の発音体系から抜け出せない。成長した後どんなに外国語の発音をネイティブの様に発音しようとしてもそれはどこか母語のニュアンスを残したものだ。なぜなら人は母語を習得する過程で得た発音のための筋肉と神経系は一生残るからだ。同様に、人がこの過程で得た文法を使いこなす神経系は無意識と肉体の中に深く記憶され、一生残る。例えば、フランス人にとって80が20の4倍でありその様に話し書くことは無意識の行為になる。これはローカルな文化の刷り込みであり人は一生それから抜け出せない。

 

或る言語のある単語に相当する単語が別の外国語にあるとは限らない。例えば明治時代の日本の知識人は西洋から輸入した単語に新規の翻訳語を創作して翻訳を行った。民主主義、人民、共和国、倶楽部などがそれである。これらの翻訳語(創作単語)は元の単語の意味領域が容易に想像できる様に作られた。し、どんなに工夫して作った翻訳語でも、それは原語の単語の意味とは異なる。例えば“倶楽部”は英語のclubの良くできた訳語だが、日本人はその言葉の歴史的背景を知らないから、その単語の理解には多分に推測を加えざるを得ない。母に相当する英語はmotherだが、母がどんなものかは日本と英米では異なるから母と訳されたmotherを読んで原語の意味を理解したと思ってはならない。

 

文章は言語の構造に従って作られる。この作られた文章を意識化することにより我々はその思考を発展させ、改変し、その新たな思考を文章化する。従って言語の構造は思考の枠組みとなり、思考の広がりを限定する。言語構造は人間の思考の無意識の前提条件を規定する。言語は本来民族に属するものだから、言語は民族の思考空間を規定する。言語には厳密な構文に従って文章を組み立てる言語、構文という概念が殆ど無い膠着語(日本語)、どんな名詞も男性と女性に分かれる言語、音声を文字化した言語(アルファベット)、視覚を文字化した言語(漢字)、など言語の種類により我々の思考空間(知性の系)は制限される。

 

例えば、英語でいうI love you.はフランス語ではJe t’aime.と言う。この語順はI you love.だ。主語が最初に来るのはどちらも同じだが、英語ではloveという主語の動作がそれに続き、次にその対象であるyouが来る。それに対してフランス語ではloveの対象であるyou(te)が来てその後にlove(aime)が来る。フランス語では自分とその対象を明確に提示し、その後で両者の関係性を明示する。これは言語の持つ思想だ。そしてこの思想は無意識の暗闇から意識の明るみに浮かび出る文章表現を作り出す。Je t’aime.I love you.と訳して間違いではないが、この1つの文章はある思考空間から別の思考空間の表現に遷移している。

 

英語のI love you.に相当する日本語表現は「愛してる。」だろう。ここにはloveという動詞しか無い。主語のIも目的語のyouも無い。これで通じるのだから日本語はとても効率的と言える。この表現が通じるのは会話の相手や読者が主語と目的語を忖度して補うからだ。この様に、相手の意図を忖度して補い相手との関係性を良好に平穏に保とうとするのが日本語の知恵であり多くの日本人の文化なのだ。他方英語やフランス語の文化では主語を真っ先に明示して自分の意図を主張する。相手と折り合う為には双方の主張の隔たりの中間点の何処かを落しどころとして合意するからだ。

 

この基本的な日欧の文化の相違を理解しないと国際紛争が起こる。例えば日本は最近国際捕鯨委員会(International Whaling Commission, IWC)を脱退した。日本が自国の捕鯨の正当性を論争できなかったからだ。その後日本は鯨の捕獲量を増やすどころか更に捕獲量を大幅に減少させた。IWCに残った各国からの批判を恐れたからだ。日本人が外国語を習っても日本語を母語とするその担当者の文化は日本のもののままだから文化の異なる相手の意図を忖度し相手の思考空間(知性の系)に表現を添わせてしまう。その結果論戦(Debate)に負けてしまうことになる。負けない為には論争の勝ち方を別途身に付けなければならない。

 

知性は言語の基礎の上に構築される。これは人造言語である数式やプログラミング言語でも同様だ。