21 価値観の形成

本多 謙(2020/4/12

 

人の価値観はどの様にして形成されるのだろうか?

 

例えばフェミニズム。古代哲学や宗教は成人男性のものだった。新約聖書には、宗教(この場合はキリスト教)についてわからないことがあったら家に帰って夫に教えてもらいなさいと書いてある。聖書の経典は全て男性が書いたものだ。僧院の経営は男性の僧侶が行い女性の尼僧はそれを補助する。古代ギリシャに賢い女の話は出て来るが、プラトンやソクラテスなどの哲学者は皆男性だ。ダンテもゲーテもヘーゲルもサルトルも皆男性だ。

 

日本女性がフェミニズムの先進国として崇める欧米は実は男性優位の社会だ。例えば英語には日本語の「母なる大地」に近い意味でfathers landと言うのがある。19世紀までは女性が小説を書くなんて有り得ないことで、「嵐が丘」を書いたエミリー・ブロンテはエリス・ベルという男性名の筆名を使っていた。その後のフェミニズムの成長を支えた環境は栄養や医学などの生育環境の改善により乳幼児の死亡率が下がり、その為に女性の生涯の妊娠と出産の負担が減ったことにあるのではないかと推察する。

 

時代が少し下って20世紀、サルトルの恋人だったボーボアールが「女性は女性として生まれるのではない。女性として作られるのだ。」と言った。この主張は世界のフェミニストを勇気付けたが、現代の心理学や脳科学の進歩は、「女性は女性として生まれ、女性として育つ」ことを証明した。ボーボアールは間違っていたのだ。どうしてこうなったか?発端は、ボーボアールに初潮が訪れた時の彼女の両親らから受けた仕打ちが不快だったことが彼女の自伝から解る。ボーボアールが日本の様に娘に初潮が訪れた時に赤飯を炊いて祝ったり雛祭りの節句の風習がある環境に育っていたなら、そして事前に初潮に関する充分な情報が与えられていたならば彼女は自分を惨めに感じることは無かっただろう。

 

ボーボアールの不快感の裏には、男性は正当な人間であって女性は劣った性だという聖書に基く価値観が無かっただろうか?Manは“人間”を意味するが、Womanは“結婚した女性”を意味する。女性は結婚して初めてManに比するものになるというのがこの言語に隠された意味なのだ。この様に、日常使う言語の裏には価値観が秘められており、その価値観は改めて言語化されることがなくとも我々の無意識に入り込み、我々個人の価値観を形成する。あるいはボーボアールの様にそれに反する価値観を形成することもある。言語は群が共有するものだからその価値観は個人が属する群(集団)の価値観でもある。人は生まれるとその育つ群の価値観の海の中で育ち、その過程で自己の生存が有利になるように自分の価値観を形成し、人生の海を泳ぐ術を身に付ける。

 

欧米のフェミニズムはボーボアールが持っていた男性優位の価値観がベースになっている。この価値観から、社会に出て男性に伍して又は男性以上に働いて初めて女性は全うな人間になれるという論理が導き出され、それを正義とする女性の知的エリート達はそれを実現するに相応しい社会システムを作ろうとする。飛び抜けて知能が高く、体力と知力に恵まれた女性の成功モデルが理想の女性として喧伝されると凡庸な女性はそうなりたいと願い、そうなる様に努力する。だがそれによって平凡な女性たちは何を得たか?仕事の緊張による生理不順、不妊、孤独、自殺の増加、母になれないで一生を終わる恐怖ではなかったか?男女同権という観念から演繹して男女の同一労働同一賃金という社会システムを構築すると、それは人の雄と雌という相違を無視し、その犠牲になる者が現れる。群の価値観の系は人を幸福にも不孝にもする。どの様な価値観の社会を構築するかによって幸福な(不幸な)者の数は増えたり減ったりする。例えば男女は異なるという事実から演繹して異なる社会システムを作ることもできて、そちらの方が幸せな社会かも知れない。

 

“その後の心理学や脳科学の進歩は、「女性は女性として生まれ、女性として育つ」ことを証明した。”ことは何を意味するのだろうか?この証明はどの様にして行われたのだろうか?多数の実証実験によって得た情報から帰納法を使って導きだしたのだ。この科学的方法論はそれによって導き出される結論が、個人が直観によって得た理解(結論)に優先することを意味する。ボーボアールの“男性が歴史的に直観によって積み重ねて来た人間というものの価値体系”に反発した直観から演繹して得た主張(結論)は間違いだったのだ。そうであるのならば、女性は女性として生まれ育つのだから女性として生き易い社会システムを求めるべきではないか?例えば男女が社会の役割を分担する日本のシステムを。