22. 価値体系を構成する

(本多 謙 2020/4/16)

 

中国は様々な形で外国から技術を採り入れ宇宙産業にも進出している。彼らのその動機は中国の覇権であり、「宇宙がどうなっているかを理解したい」などという興味、情動からは無縁なものに見える。宇宙に進出するという事業が日本や欧米とは全く違った価値体系で進められている。一方は他者が開発した技術を使って軍事的覇権を達成することを目標としてそれに関連する様々な事象に優先度を付け(体系化し)、他方は「神が想像した宇宙の仕組みはどうなっているか」というロマンとビジネス・フロンティアの探究であり、それに関連する様々な事象に優先度を付ける(体系付する)。単純化すれば、前者の基礎になるのは覇権の交代を繰り返してきた歴史から体に染みついた生き残る為の行動の体系であり、後者の基礎になるのは唯一神の作った世界の秘密を解き明かしたいという中世以来連綿と続いた行動体系だろう。非キリスト教国である日本の場合は戦国時代以来の好奇心と功利心だ。これらの行動にはどれも複数の価値観が絡み合っており、価値体系と呼んで良かろう。

 

科学的方法論において真理の探究には直観が必要なことは広く知られている。この直観による仮説はそれに続く多くの実験によって検証され証明される。太陽が地球の周囲を回転しないことは多くの観測によって実証された。(地球を中心に全宇宙が回転しているという論はさて置く。) しかし実証不可能なものはどう扱ったら良いのだろう。例えば、“自分の(または彼の)人生には価値はあるか?”、“オムライスはカレーライスより美味しいか?”は実証不可能だ。だが、“自分にとって自分の親(子供)と彼の親(子供)とどちらが重要か”の回答は決まっている。これについてアンケートと取ればその回答に有意性があることは明らかだろう。誰にとっても“自分の親(子供)“は”彼の親(子供)“より価値がある。価値の基準点を(あるいは視座を)”自分にとって“、”自分の属する群(コミュニティー)にとって“、”自分の属する民族にとって“、”自分の属する国家にとって“に移動することにより様々な価値は順序付けられ、構成され、体系化される。

 

だが価値体系は時代により、社会の変化に応じて変質したり消滅したりする。例えば「忠と孝」は共に中世日本の重要な価値だった。「君に忠たらんと欲すれば孝ならず」という相克は価値体系の整合性に関するものだった。この問題は大東亜戦争前まで多くの日本人の主題だった。戦後この主題は口にされることは無くなったが、日本人の無意識下に「私に対する公への極端な忠誠や信頼」という形に変形して残っている。

 

2010年ころからLGBTという言葉が聞かれるようになった。これはLesbian, Gay, Bisexual, Transgenderを短縮したものだが、性的少数者の権利を守ろうという運動のもので、ボーボアールにも遡る。欧米では共産主義の失敗が明らかになった後この運動が様々に変態していった。ネオコンもその1つだ。あるグループは性器を含む身体に関する教育を幼児や児童に行う教育運動を行ってきたが、LBGTもその流れにある。LGBTは視聴率が稼げるのでマスコミで何度も取り上げられた。ボーボアールがサルトルと共に1966年日本を訪れ日本の女権拡張論者達と会談した折、女史は「堕胎できることが自分たち運動の最大の目標だ」と言ったところ日本側の参加者にはがっかりした者が多かった。堕胎は日本では既に認められている権利だったからだ。女権に関しては日本の方が先進国だった訳で、日本の女権論者は先進国フランスから教えて頂くというスキーム(scheme)が壊れてしまったからだった。事実、江戸時代には女性でも親の資産の相続ができたくらいだから同時代のフランスより女権はずっと強かったのだ。だが、マスコミは視聴率、政治家は票欲しさにLGBT政策を推進し、今やLGBTに沿わない公式発言はできなくなった。つまり、価値観というのはこの様に様々な主張の勢力争いを経て社会に定着するのだ。

 

価値体系には系譜がある。つまり、ある時代の価値体系はそれ以前の時代の価値体系のどれかが基になり、それが変形したり変質したりして伝播する。ある価値体系は地理的に離れた所の人が持ってきて広めたり、それについて記述した文書がテキストとして別の場所に運ばれて伝播する。価値体系のどの部分が伝播するかは価値の受け手に与えられた情報に対する「受容体」が存在するかどうかで決まる。受容体があれば或る価値に対して理解や共感や感動が受け手に生ずる。受容体が無ければ与えられた情報は消滅する。これが個人だけでなく複数の個人で発生すればその価値と価値体系は別の人の群に伝播し新たな価値体系の系譜が出来上がる。ドイツで発生した共産主義がロシアに伝わったという現象の構造はこの様であった。宗教の伝播も同様だ。

 

この伝播の媒体は主に言語だ。絵画や音楽も伝播の媒体に違いないが、これらは従だ。言語による価値体系は歴史的に形成され、言語の中に記録され、人々が共有する。神話や経典を読めばその源流が推察できる。