24 第1層「科学(物質)」について

本多 謙(2020/4/17

 

第1層はOSIの7層構造モデルでは“物理層”だが、本書の本多モデルでは“科学”層になっている。人間が生きる世界の最も基礎になるのが第1層であり、それは物質だ。どんな芸術作品も物質が基になっている。例えば、絵画は塗料、音楽は音波、文学は紙とインクという物質が基になっている。これらの基が無ければ絵画も音楽も文学も成り立たない。宗教行事には祭壇や蝋燭という物質を使っている。人間の思考は電気信号だし、そもそも肉体という物質が無くなれば人間はその精神を含めて存在できない。これを端的に表すのが戦闘行為である。武器で敵の存在の基盤である肉体を破壊すれば敵はその精神や霊も含めて消滅する。どんなに崇高な精神の持主でも病原菌や武器で肉体を損壊すれば死んで消滅する。霊が残ると云うかも知れないが、その存在認識の確かさは先に述べた一本の鉛筆程にも確かではないので論じる程ではない。霊が残るとすれば、生き残った人々の記憶と(無)意識においてである。

 

例えば、物性物理はこうした物質の構成要素に関する現象を解明しようとする学問だ。物質の構成要素を最も簡明に記述し多くの人が知っているのが元素の周期律表だ。物質の性質に関する知見が増えればそれは産業を変える。例えば半導体に関する知見は半導体産業を興し人々の生活を変え、レアアースの代替品に関する知見は中国のレアアース禁輸攻撃から日本を救った。例えば、“燃焼”は物が酸素と化合する化学反応だが、この反応が急激に発生する場合を爆発と呼ぶ。爆発のメカニズムは明らかになっていないが、燃焼という現象を利用したエンジンは現代社会の基盤を作っている。

 

人間の肉体はもちろん周期律表に記述されている元素から成り立っている。脳科学は最先端の研究領域であり未知に満ちているが、人間の精神生活の多くの部分のメカニズムが解明されてきており、解明される分野は更に拡大する。神の啓示や悟り等の精神活動も電気信号系の動きと捉えられる。精神病の治療薬はこうした電気信号系の異常を正常に戻す為のものだ。人間の精神など斯かる物質の現象に支配される脆く儚いものなのだ。

 

科学的知見は科学的方法論により得られる。科学的方法論以外の方法では科学的知見は得られない。科学的方法論の特徴は(1)モデル化、(2)反復実証可能、(3)論証可能(誰でも論理的に納得させられる)、(4)積み上げ可能、だ。これらの基礎になるのが、自己の思い込みを排除して発生した現象をありのままに認識するという、客観性を維持するという態度であり、客観性に重きを置く価値観だ。民族の文化には、自分の心象や感情が全てで、これによって他者に自己の盛儀を主張したりするものがある。この種の文化では科学は成立しない。コンピュータのプログラミングを経験した人なら納得すると思うが、自分の書いたプログラムは“作者の意図通り“には動かない。”書かれてある通り“に動く。両者の間には乖離がある。自分の書いたプログラムを数日後に読むとそのプログラムは何をするものなのか分からなくなっている。人間の考えることは斯様に儚く頼りないものなのだ。自分の知覚や思考を絶対化せず謙虚に事実が何だったかを確認し、それを共有することにより良い社会を作れる。多くの事実は物質の在り様で説明できる。犯罪の証拠や遺跡の遺品の様に。

 

社会科学や経済学はモデル化により社会に発生する事象を説明しようとしているが、それを使って同じ事象を再現できないので、科学ではない。しかしながら、科学技術が社会を豊かにしたという大成功により科学的アプローチが社会で広く支持されるに至り、社会科学的理論が世界を変えた事実がある。マルクスの資本論での主張は多くの人に支持され、共産主義国家がそれにより成立したが、その主張の間違いは共産主義国家が破綻するまで証明されなかった。経済学では経済現象を説明、予測する様々な理論が提唱されたが、経済学は同じ理由により科学では無いので、どの理論が正しいのかの論争が続いていて収束していない。

 

科学に対する概念として芸術がある。芸術の一例として俳句を挙げる。俳句は21文字で完結する詩だ。21文字に盛り込める内容は限られているので、その前後に説明文が付き、詩の理解を助ける。例えば芭蕉の「奥の細道」は紀行文であり、その中に俳句が収められていて、読者は紀行文の説明により俳句の背景が分かり、俳句そのものを鑑賞できる様になっている。俳句は心象風景を記述するだけであり、鑑賞者はその心象風景を想像と共感を通して追体験しようとするだけだ。多くの芸術作品がその領域内にある。鑑賞者は作者の意図した心象風景に近い心象風景の像を自分の心の中に作るだけであり、それ以上ではない。

 

ロイ・ジェームスという芸能人が1960年代に活躍していた。彼はトルコ人だが日本で生まれ育ち完璧な江戸っ子言葉を話し、ラジオ放送などでパーソナリティーを演じていた。本人も心は日本人だと思っていたことだろう。興味深いのは彼の死因だ。記録では彼は喉頭癌と肺病で死んだことになっているが、実際は極めて稀な難病で死んだ。これは遺伝子に関わる病気であり、トルコ人でもこの病名で死ぬ例はまれであり、トルコ人に特有の、日本人には無い遺伝子が原因していた、ということが彼の死亡時に話題になった。ロイ・ジェームス氏は、心は日本人だったが、肉体と遺伝子はトルコ人のままで、その死は彼の肉体(物質)の特性に依っていた。この条件はロイ・ジェームス氏のみならず、世界中のあらゆる人に適用される。例えばエイズ・ウイルスに対する抗体を遺伝子情報として持っている者はエイズでは死なない。父親と母親から受け継いだ遺伝子の組み合わせで、病気も趣味も嗜好も知能も大きく影響される。

 

人間は父親と母親から受け継いだ遺伝子の組み合わせで、病気も趣味も嗜好も知能もそれに大きく影響される。人は生まれながら同じではない。(遺伝子は情報だが物質としては塩基の配列だ。)一部の芸術家は他者が持たない能力を生得的に持っている為に特別の訓練無しに又は少しの訓練で他者がとうていなし得ない芸術活動を成し得る。これは芸術家が他者と異なる肉体(物質、神経網の構成など)をもって生まれたことを意味する。この生得的な機能を発揮できれば芸術家として、科学者として、政治家として成功できる。

 

才能に関係無く、正常な男性なら誰でも共通に成長に従って特定ホルモンの分泌が始まり、睾丸が大きくなり思春期を迎え、それなりのパターンの行動をする。女性も同様だ。斯様に人間は一生自分に与えられた肉体(物質)の条件に支配される。