28 第5層「ルール」について

本多 謙(2020/5/10

 

人間が生まれ育つ経緯を観察すると、先ず赤子が母親と意思疎通の方法を覚え、幼児が周囲の人間(主に家族)と意思疎通する方法を覚え、自分を取りまく世界(床や壁や皿やスプーンなど)にどう対応するかを学習し、子供が年齢の近い子供達と意思疎通する方法を覚え、自分を取り巻く子供の社会で自分がどの様な位置を占めどの様な役割を果たすかを学習してゆくことが分かる。

 

例えば、幼児が人生で初めて同年代の他の幼児と共に居ることになってその者と玩具の取り合いをした時、この幼児は自分がその玩具を他者から取り上げるか、母親に指示されてその玩具を他者に譲るか、母親が、自分が他者より優位にある故に他者が握っていた玩具を自分の幼児に与えさせるか、またはその逆か、等々の様々な状況を通して幼児は自分の立ち位置と行動の価値観を育てて行く。平等な民主主義国、カースト制社会、個々の人種が分離した社会等を想定するなら、赤子がこれらの異なった社会の異なった価値体系、正義の体系の中で育つにつれ、その真っ白なキャンバスには様々な模様(価値体系)が描かれてゆくことが分かる。

 

人が価値体系を身に付けるということはある状況(条件)に対してどう対応するかのルールを身に付けるということだ。この“対応する“は逃げるや攻撃するや表情を変える等の身体を物理的に動かす事や、認識を改めたり情報の入力に対して異なる出力をする様に思考の論理考えを変えることも意味する。

 

哲学は個人を対象にするが、それは教養のある大人が自分という個人を社会から取り出して思弁するからであり、その思弁の限りにおいては、個人は社会から切り離された個人なのだが、その思弁の根底にあるのはその者が成長の過程で取り込んだ様々な思考の制限であり、その制限は思弁の過程においては主に言語に依る。そもそも個人を対象に思弁する事は高い知的能力を養成する教育を受けていなければ成り立たない。この意味において人間は基本的には社会的存在なのだ。だから、個人の心の世界は社会に占めている個人の心の領域でしかなく、換言すれば社会の一部なのだ。

 

個人の美意識はその個人の心の中にあるルールだが、前述した様に社会性を帯びている。倫理(社会規範)も同様だ。殺人は通常の社会では罪だが、戦争では善であり、イスラム社会や旧い日本では名誉を守る手段でもある。仲間内の決まりや集団のボスの命令や家庭内での主導権者(父、母、祖父など)の指示にどう従うかも人間が社会を構成し維持する上でのルールだ。近代国家での法律や監督官庁からの通達、裁判所の判例もルールであり、各種マニュアルもルールだ。道路交通法はこの様なルールの一つだ。これらのルールの良し悪しにより人間の群(社会)や個人は幸福になったり不幸になったりする。

 

資本主義社会には“正直”を基盤とする価値体系がある。これによって契約社会が成立する。“詭計”を美徳とする社会には資本主義は成立しない。前者の例は日本や西欧社会であり、後者の例は韓国、中国だ。例えば、車社会は運転者が道路交通法に従って自動車を正直に運転することを基盤に成り立っている。クレジットカードシステムは売り手と買い手と金融機関が価格を誤魔化さないことを前提に成り立っている。これらの分野に不正はあるがその絶対量が少ないのでシステムが崩壊しないでいる。偽札は正規の紙幣に対する“詭計”であり、これが横行すると貨幣経済が成り立たなくなる。中国では偽札が横行し、役人は嘘を報告し法律を自分の都合の良い様に運用するので国家の運営が危機に陥ってしまっている。彼らに解るのは損か得か、勝つか負けるかであって、正義か不義かでも美くしいかそうでないかではない。そうであってもそれらはルールだ。

 

ルールは言語化(成文化)されていれば分かり易いが、言語化されない“場”にもルールがある。これを“空気”とも言う。戦闘行為や企業経営などは言語化されたルールに従って行われるが、言語化されたルールを維持する基盤が失われたときや、言語化されたルールが想定していない状況にある場合、我々は空気によって行動を決める。3.11東北大震災で福島原子力発電所の発電設備が壊滅した時、東京電力は首相官邸にいる政府首脳者達の空気を忖度して対策を検討した。空気には様々な色(種類)がある。暖かい空気は人間の群の中で個人どうしが愛と善意で交流している場合であり、例えば赤子と母親とその家族の場にあるものだ。冷たい空気は例えば離婚訴訟の交渉の場にある。戦いの空気は戦場にあり、勝利の側、敗戦の側で異なっている。複数の人(人の群)が何等かの状況にある場合、そこにはその時特有の空気があり、我々はその空気に応じて行動する。

 

場の空気は個人が一人でいる時にも有効だ。何故なら個人は他者と居る時も、一人でいる時も自分の意識(及び無意識)の内に自分と社会を投影しているからだ。

 

ここまで述べて来た様々なルールが成立するにはその為の場、環境、状況が必要だ。これらはパラダイムと呼ぶ。幼児が友達と共存、戦争や戦場、離婚訴訟、ビジネスの契約等々に各々存在するルールはそれぞれのパラダイムがあってこと成立する。夫婦の間にも時間をかけて形成して来たパラダイムがあり、夫婦の生活は言語化されていない多くのルールに従って遂行される。