本多 謙 (2020/5/20) 前項では第7層「サービス行為」の例として宅急便、食事の提供、鉛筆で書くことを挙げた。これらは人間が行う行為(action)の例だ。第7層にはどんな人間の行為も含まれる。そしてどんな人間の行為もこの7層モデルで説明できる。 例えば戦争はこの7層モデルで以下のように説明できる。 戦争の7層モデル
現代の兵器は“圧倒的な破壊力を見せ付けることにより敵から対抗心を奪う”ことを最優先に開発されるのであって、敵を殺すのが主目的ではない。敵の兵器に対抗するには類似の兵器を開発するニーズが生じ、開発の進展が均衡すると“破壊力の圧倒的な差を維持すること”が困難になり、“終わりなき開発競争が国力の疲弊を招く”という問題が発生する。原子爆弾は“圧倒的な破壊力を見せ付ける”ニーズの為に開発されたが、その破壊力を見せ付けるには敵に対してそれを試用せざるを得ず、広島と長崎に原子爆弾が落された。米国とソ連は原子爆弾と戦争の為のシステムの開発競争を続け、ソ連はその為に疲弊して国が瓦解したが、一方、原子爆弾の超破壊力はそれが威嚇程度にしか使えないという戦闘行為のパラダイム転換を産み、戦闘行動の主体はミサイルやコンピュータ+ネットワークによる攻撃に移った。この様に、第7層の目的の為に第6層以下が状況の変遷により変化してゆく。 形而上学(例えば哲学)の研究という“第7層「サービス行為」”に必要なのは思考する頭脳だ。顕微鏡のレンズが汚れれば鮮明な像を結べないように、コンピュータに電流が流れなければ情報処理できないように、脳に新鮮な血液が流れなければ我々は思考できない。高度な思考をする為には脳の中に高度な論理回路(ニューロンとシナプスの情報処理網)が無ければならないし、大量の情報を記憶として蓄積していなければならないし、その為には大量の情報を読んだり見たり聞いたりしておく必要がある。その為には、昔は人と会って議論し、書物を読むしかなかった。コンピュータとインターネットの発展はこの様な情報処理を飛躍的に効率化し続けている。現代の研究者にとって第1層は、「鉛筆などの伝統的ツールの他に、情報検索やシミュレーションや様々なコンピュータ+ネットワークシステムなどだ。第2層は「研究成果をあげる必要があるというニーズ」、第3層が「方法論や関連する諸学説などの研究のための技術」”、第4層が「最新の研究課題、研究所や学会などから構成される研究の為のパラダイム」、第5層が「研究活動と研究者の行動の為の様々な有形無形のルール」、第6層が「第1から第5層が連携し総合されて研究活動を可能にするサービス基盤」となる。 第5層は「ルール」であり、第4層は「パラダイム」だ。これを桂離宮とベルサイユ宮殿という例で説明したい。どちらも建築物と庭園で構成されている。桂離宮は日本の詫び寂びを代表し、ベルサイユ宮殿は欧州の理念先行の美意識を代表する建築物で、どちらも17世紀に建築された。(桂離宮が“東洋の”と言うのは適当ではない。桂離宮は中国にも朝鮮にも、タイにもベトナムにも無いものであり、“日本という文明圏”独自のものだからだ。)これらがどの様なものかは説明の要は無いだろう。もし、桂利休の茶室をベルサイユ宮殿の庭園の一角に置いたらどうなるだろうか?もし、桂離宮の建物の円形の窓をベルサイユ宮殿の鏡の間に付けたらどうなるだろうか?あるいは、ベルサイユ宮殿の猫足のスツールを桂離宮の部屋の中央に置いたらどうなるだろうか?それは、違和感という言葉以上に、桂離宮、ベルサイユ宮殿の世界を破壊するものとなり、即刻撤去されるべきものとなるだろう。なぜか?両者のルールとパラダイムが全く異なり、互いに相容れないものだからだ。どちらも17世紀に建てられた美意識の壮大な構築物であり、人工物であり、独自の美的価値観を主張している。その建築物の一部として付加されるものはその美意識の「パラダイム」と「ルール」に従っていなければならない。 桂離宮のパラダイムは桂離宮だけで孤立している訳ではない。室町時代の禅宗の美意識を継承し、安土桃山時代の詫び寂びへの美意識転換を経て洗練されて行って辿り着いた美意識のパラダイムに従っており、その美意識は桂離宮において最も特徴的に表れるに至ったものだ。「ルール」はこの「パラダイム」の上に成り立つ。例えば、茶室の設計には様々なルールがあり、庭石の置き方には独自のルールがあり、それに則って建てられ又造営されなければならない。茶室の茶会では亭主が客に茶菓を供するルールが厳密に定められており、両者はそのルールに従って動作することにより茶席という場が生まれる。ベルサイユ宮殿でも、宮中の作法(ルール)細かく決められていた。 日本の屋内での所作は座って行うことが前提になっており、欧州では立って行うことが前提となっている。これはパラダイムが違うということだ。この違いは建物の天井の高さに影響している。日本の家屋の天井の高さでは座って何事かをする場合適当な空間が頭上にあって息苦しくならないが、立って部屋を移動する場合、天井が頭上近くにあり、いささか息苦しい場合がある。これは桂離宮、ベルサイユ宮殿のみならず現代我々の住む家屋の天井の高さを比較すると良く分かる。即ち、“立って生活する”と“座って生活する”というパラダイムの違いが建物の設計上の“決まり事”(ルール)を決めていると言える。 ベルサイユ宮殿や桂離宮で行われる儀式やパーティーは人間の行為であり、第7層「サービス」である。それの基盤になるものが第6層「サービス基盤」である。これは例えば、廊下や部屋の様な空間を仕切る設備であり、行為の状況に対応した衣服だったりする。 |