39 文化の発生・成立・継承

本多 謙 (2020/10/19

 

文化が風土によって形成されると述べたのは和辻哲郎だった。柳田国男は民俗学の視点からそれを説明している。だが、文化は風土だけによって形成されるものではない。

 

文化は歴史によっても形成される。日本は地震が多い。大規模地震が発生する度に何らかの被害が発生し、人々はそれから社会を再興する。阪神・淡路大震災では6千人以上が死んだ。関東大震災では死者・行方不明者は10万人を超えた。地震に伴う津波も数年の感覚で発生する。1000年前の貞観大地震に続く東日本大震災では2万人が死・行方不明になった。東日本大震災級の地震は数十年に一度は起っている。風土の一部と言っても良いだろうが、台風は毎年日本に来襲し大きな被害を残す。伊勢湾台風では5千人以上が亡くなった。これらは全て歴史的事件であり体験だ。

 

人は、そして人のコミュニティー、更に民族は経験から学習し、その学習を社会資本として、文化として蓄積する。東日本大震災で日本人は必ず繰返される津波という災害にどう対処すべきかを民族としての学習を新たにした。東北地方の太平洋岸の住民には、津波が来たら誰彼構わず真っ先に近くの高所に上がれという文化が根付いた。

 

地震も台風も津波も、天災は誰にでも、富貴の如何に関わらず一様に降り掛かる。その災害からの再興には全員が一致して事に当たる。こうした体験から人々は人間皆平等という思想を学び、共有し、それが文化として定着した。

 

更に、災害の度に日本人は何等かの被害を受けそれから生活を立て直してきた。これらの歴史的経験から日本人は壊滅した社会を再興する方法を学び、それが文化として定着した。人は老いて死ぬが子孫が新しく生まれる。この子孫は社会資本即ち様々な歴史的蓄積(資料、記念物、都市の形状等)に触れることにより、そして教師などの指導者からの話を聞くことにより学習してゆく。即ち、民族の文化を身に付けて行く。文化の継承は指導者がどの様に指導するかに依るところがある。

 

だから日本は米軍の空爆によりほとんどの歳が焦土と化し1千万人が被災しても素早く産業や社会を再構築できたのだ。だが、大東亜戦争に敗れた日本はその歴史上初めての外国による占領を体験した。この未曽有の歴史的体験により日本人は様々な学習をし、文化がそれに従って変容した。文化へ経験により変容する。

 

地震も台風も滅多に無い地域では日本の様な平等や自力での社会復興の文化は生まれない。千年以上他国に隷属していれば猶更だ。一方、中国大陸の様な馬賊文化の土地では一部の権力者が農民や都市の平民から富を収奪し、時には彼らを食料にもする。権力者にとって彼らの生死は些事なのだ。中華人民共和国では今でも共産党が農民や都市の平民や企業の富を搾取し続けている。映画「七人の侍」では盗賊たちが収穫の終わった村を襲撃し収穫物を強奪しようとする。現代中国の千人計画の元はこの発想だ。この馬賊に千年以上収奪され続けた民には信頼により社会を構築するという文化が無く、恨みの感情しかない。この様に過去数千年のあいだに 醸成された民族の文化即ち思考様式は牢固として変え難い。何故なら「その様に考えることが当然」だからだ。外国からの新思潮も民族の伝統的思考様式に変換される。

 

国際サッカー試合の後日本の若者達が会場の(ごみ)拾いをしてから帰るのがネットで評判になっている。このニュースを見た海外の若者もそれを見習っているそうだ。どうしてこの様な文化が発生し定着したのだろうか?

 

日本の義務教育過程では教師は教室や学校の諸設備の掃除は生徒たちが自主的に係を決めて(組織立って)行う様児童達を指導する。掃除が上手にできて教室などがきれいになれば気持ち良いし、皆で力を合わせて1つのことをやり遂げれば達成感もある。この経験が、若者達がサッカー会場で塵拾いする直接的な動機だろう。更に、一般家庭でも塵の持ち帰りや分別が普及している。この社会的背景がサッカー場で塵を持ち帰る若者達の心理的負担を減らしているだろう。先生の指導もあるだろうが、生徒たちが皆自主的に役割を決めて掃除をするという行為の背後には、社会を維持する費用は皆平等に負担し合おうという文化がある。この様な文化は群(国家など)の指導者(教師など)の指導で助長される。

 

若者達はサッカー会場で塵を持ち帰ろうとした。即ち塵を持ち帰るという行為を事前に経験していたからであり、美意識の観点から試合終了後のサッカー会場がそうすべき環境にあると判断したからだろう。その美意識は文化として周囲の者と共有し自然に掃除できる環境にあったからだろう。塵袋は自宅に常備してあり、それをサッカー会場に持ってくればサッカー会場で塵を拾ってその中に入れ、袋を会場に設置してあるゴミ箱に放り込むだけで済む。それはコンビニに設置してあるゴミ箱に塵を入れるのと大差ない体を動かす行為だから、肉体的にもすんなり行えることだった。

 

斯様な考察を7層モデルに当てはめると以下の様になる。

 

サッカー場で掃除して帰る文化の7層モデル

番号

層名

具体例

サービス行為

塵を集めてゴミ箱に入れる又は持ち帰る

サービス基盤

ゴミ袋、ゴミ箱、サッカー場

ルール

イベントの後は会場を掃除して帰ろう

パラダイム

学校や家庭での掃除活動や塵の持ち帰り

技術

ゴミ袋、ゴミ箱などの製造技術、配置方法、ゴミ収集システム

ニーズ

施設の維持管理

科学(物質)

ゴミ袋、ゴミ箱、サッカー場など

 

この様に整理すると、文化は7層に現象として現出するが、その為には第4層のパラダイムが整備され、その上で第5層のルールが具体的な形で形成されることが分かる。第2層の施設の維持管理に対するニーズはどの様な施設でも必要な、普遍的なものであり、塵の持ち帰りに特有なものではないし、その為の第3層の技術も同様だ。この文化の核心は第5層のルールであり、それを成立させるのは日本に広く普及している清潔な環境に対する日本人の美意識とその歴史である。

 

この美意識の無い文化もあり得る。掃除の様な卑しい仕事は下層階級の専業とする文化だ。この文化も第1から第7層の構成要素はほぼ同じだ。第5層のルールの部分だけが異なる。文化の違いと一口に言うがそれは第5層部分だけの違いと言って良い。

 

文化の一例を考察した。この様な文化の例は、地理的なもの、歴史的なものが無数にある。名刺の交換の様式や、合議制や、大部屋形式のオフィスや、住居に入る時は履物を脱ぐや、正座の様式や、箸の使い方や、和服の着こなしや、その他無数の例がある。この無数の例が要素となって1つの文化の系を構成する。

 

この文化系の集合が文化圏を構成し文化圏の集合が文明圏を構成する。関西や関東は各々文化圏を構成する。日本は日本語を核心とした1つの文明圏である。