本多謙(2021/3/22) 冷戦が終わり「歴史の終り?」と思われる時もあったが、9・11以降の世界は過去の世界史の未解決の問題が顕在化している。その共通項は「敗者の復活」だ。中国共産党政府はアヘン戦争以来の屈辱から明唐時代の栄光を取り戻そうとしている。十字軍との戦争に疲弊し西欧諸国の支配に屈して来たアラブ世界が支配権を取り戻そうとしている。だが彼らの抵抗運動は成功していない。その理由を、7層構造を使って説明しよう。「敗者の復活」闘争の構造を7層モデルでアラブ、中国側対西欧側で記述すると以下の様になる。 アラブ、中国側;
西欧側;
上記の表では両者は2,3,4,5層が異なり他は同じだ。然し6,7層は、表現は同じだが内容は異なる。何故なら下位の2,3,4,5層が異なるからだ。第7層では戦闘行動を取り上げた。何故なら中国が提唱した超限戦や外交交渉を含めあらゆる外交行為は戦闘行動の前哨戦であり最終的には戦闘行為で決着がつくからだ。 阿片戦争で英国に負けた清を見た欧米列強は中国の軍事力を侮りその利権を得るべく中国の領土を切り取り始めた。元々中国は中華思想により領土という概念は無かったので、領土の喪失に鈍感だった。北洋艦隊が日本海軍に敗れた清朝はようやく彼らがどれだけ弱体かを悟り、数千人の留学生を日本に送り、日本に続いて自国を強国にする方法を得ようとした。留学生達は日本人が作った西欧の用語の日本語訳語を自国に持ち帰り自国の近代化に努めた。この動きが清朝から中華民国の建国の起点となった。 清朝は西欧諸国から購入した高価な戦艦で組織した北洋艦隊で日本海軍に対抗しようとしたが、失敗した。戦争を始めるには大義名分が必要だが、戦闘行為は大義名分が通用しないリアリズムの世界であり、組織や個別の戦闘単位の行動がリアリズムに徹しなければ負けるからだ。即ち、兵器はその操作に習熟するだけでなく、その構造を熟知し故障時には適切な代替行動を取れなければならず、戦況の報告は白髪三千丈式の誇大(虚偽)報告ではなく事実を伝えなければならず、作戦行動は名分論やあるべき論を排した現実的なもので簡明即決でなければならないからだ。軍隊を主に恫喝に使って来た中国軍の伝統的思考、誇大(虚偽)報告による誤った判断、儒教思想を背景とした膠着した組織運営、中華思想による東夷である日本軍に対する侮蔑等々が北洋艦隊の敗北を産んだと言える。 これをより高い抽象度で言えば「清軍にはリアリズムが欠如していた」と言える。リアリズムとは、ここでは「現実に何が起こっているかをありのままに認識し、それを基に適切に反応する態度」をいう。だから、兵器や兵員の損耗を迅速正確に報告しなければそれに対する適正な対策は打てない。だから、例えば兵器について通り一遍の操作方法しか知らない為に兵器が故障した時に適切迅速に対応できなかったのだ。銃や大砲に対するリアリズムがあれば、その構造、材質、爆発のメカニズムまで理解していなければならない。リアリズムの有無が日本と中国の運命を分けたと言える。リアリズムは7層構造の第1層を認識することでもある。これを無視して大砲を作ると砲身が破裂したりする。そうなれば大砲を使った戦術、戦略は崩壊する。日本軍は幕末や明治維新後の様々な戦闘を勝ち抜いてきた徹底したリアリスト達だった。 この問題は100年前の問題ではない。毛沢東は中国を世界から孤立させ、大躍進、文化大革命等の政策に失敗し、鄧小平をして中国は世界から25年遅れていると言わしめた。鄧小平はその後「韜光養晦」を外交方針として西欧や日本の科学技術を事業投資、技術輸入、スパイ活動、企業買収によって得て来た。しかし、彼らの実態は清朝の北洋艦隊時代と大差無いように見える。例えば中国は高速鉄道技術をドイツや日本から輸入し、その“改良版”を独自技術として喧伝しているが、鉄道技術は設計図を見ただけで再現できる程単純ではない。システム全体に対する深い理解と経験の蓄積がどうしても必要だ。これが無ければ類似品を作ることはできるが、技術の導入元と敵対し勝つことはできない。 易姓革命思想の中国では五千年間王朝交代の度に先代王朝を全否定し虐殺が繰り広げられ、人々は生存競争の為その場しのぎの弁舌に終始し、リアリズムを基礎に科学技術を研究発展させるどころではなかった。中国は紙、火薬、印刷術、羅針盤を発明したが、その後の戦乱や異民族の侵略などによる殺戮の為文明を継承すべき人が大量死し、文明を継承できなかった。例えば、三国志の時代の後人口は10分の1に減少した。ほぼ無人の中原を科学技術に疎い異文化の騎馬民族が征服した。隋、唐、後代の清などがそうだ。彼らは古代以来の科学技術を継承発展させなかった。毛沢東が興した文化大革命も中国が地方で細々と続けて来た文化を根絶やしにした。中国は五千年のある時点でリアリズムの文化を失い、今も回復していない。 ヘレニズム文化、ギリシャ文化を継承し回教圏として8世紀に爛熟した文化をもたらしたアラブ世界は11世紀から十字軍により攻撃され、それに疲弊しきった。十字軍による惨禍の影響でイスラム法学者達はイスラム教の教義の解釈を変質させた様に見える。即ち教義が抽象論に偏りリアリズムが失われた様だ。その為アラブ世界の科学技術は停滞しそれが今日まで続いている。だから、今はウサマ・ビン・ラーディンの様に西欧世界の科学技術を使って反米活動をしたりする。この教義の解釈の変化を見直そうという動きがある様だ。例えば、女性が被るブブカなどは砂漠の放牧民の習俗に過ぎないのにそれが全アラブ世界の戒律の様に扱われるのは間違いであり、コーランはその様なことは全く要求しておらず、後世の宗教家達が勝手に決めたものだという見直し運動が現在サウジアラビアなどで起こっていると聞く。 アラブ世界にとって十字軍は野蛮人だった。アラブの繊細な神経は北欧、西欧から攻め込んで来た野蛮人たちの暴力攻撃に耐えられなかったのではないか。似たようなことは古代中国にも発生した。中原の民は周辺の野蛮な遊牧民に占領されリアリズムを失った。 アラブ人達の科学技術に対する哲学はイタリアを中心とする西欧世界に持ち込まれルネッサンス活動の源泉となった。その後西欧世界で科学技術が発展し、アラブ世界では停滞した。その結果戦闘力に勝る西欧世界(主に英米仏)はアラブ世界との戦争に勝利し、彼らの領土と資源を自分達の都合の良い様に作り変え収奪システムを導入した。例えば、石油産業の利権構造はこの様にして成立した収奪システムの上に成立している。中東で産出する石油は産出国の指導者を豊かにしたが、それ以上に西欧の資源分配システム(企業)に巨大な力と利益を産みだした。 以上述べた中華圏とアラブの2つの文明世界の停滞の原因になったのは「リアリズムの欠如」だが、その帰結として「科学技術を自己再生産できなくなった。何故なら彼らの行動原理が観念論だけの哲学になったからだ。概念をいくつも組み合わせ、それを何層にも積み上げた観念の構築物の中に人々は住み1つのcommunity(又はsociety)を形成できるが、暴力的な野蛮人との生存競争には役に立たない。 科学技術が再生産できなければ、例えば必要な硬度を持つ真球(完全に球な金属の珠)を造れなければ使用に耐えるベアリングは作れず、車輪の軸受けも作れず、新幹線も作れない。作れなければそれを輸入せざるを得ず、輸入に頼っている限り製造国の支配下にあることになる。李克強首相が「中国はボールペンの芯も作れないのか」と嘆いたことは周知の事実だ。日本は「科学技術を再生産」できたので今日の繁栄を得たがそれは、近くは安土桃山時代から、遠くは奈良時代から続く科学技術と経済の歴史の帰結だ。例えば法隆寺の五重之塔の耐震構造がそうだ。 観念論に偏すれば兵力が衰え国力も衰える。だから米軍はベトナム戦争以来弱くなって来ている。中国は権謀術策が横行しリアリズム文化を取り戻していない。戦闘の勝敗や産業の盛衰は科学技術をどれだけ自家薬籠中のものにできるかで決まる。だから最近の米中対立は米国の勝利で終わり、長期的には米国は衰退するだろう。 この稿では文明圏の盛衰が何で決まるかについて語ったが、それは我々現代に生きる個人個人がどういう思考で(文化で)判断し行動するかという問題でもある。 |