伊藤大輔牧師 伊藤牧師のプロフィール 1963年東京生まれ 1987年東京神学大学修士課程修了 南国教会、武蔵野横須賀伝道所、八王子めじろ台伝道所、 北千住教会、銀座教会、青山学院高等部、横須賀学院等を 経て2015年4月より本多記念教会8代目牧師として着任。 説教とお祈り (おことわり;以下の録音は本多記念教会の聖日礼拝での伊藤牧師の説教を教会員が録音録画したものです。録音状態が悪いところがあってもお見逃しください。なお、ここへの公開は牧師の了解を得てあります。) 2020年12月27日 降誕節第一主日礼拝 聖書;ヨハネによる福音書 2章1―5節 「言によって世界ができた」 ヨハネのクリスマスの物語。世界は、人は「言」によってなった。この「言」は光となって闇の中に輝き、闇は光を理解しない。闇は「言」が造ったものではない。世界とは何か。闇とは何か。 2020年12月24日 クリスマス・イブ礼拝 聖書;ルカによる福音書 2章8―21節 皇帝の命によりユダヤの民は住民登録をするために故郷に帰らざるを得ない。 強いられた状況。不安と不平が渦巻く。この世界で私たちはなにをすればいいのか。クリスマスの物語は告げている。黙ってみろ、と。 2020年12月20日 待降節第4主日礼拝 聖書;ルカによる福音書 2章1―7節 言葉。自分を守る。自分を捨てる。クリスマスに生まれた方は生涯それを行った。捨ててどうなるのか。永遠と出会う。黙る。最も大事なものが近づいてくる。 2020年12月13日 待降節第3主日礼拝 2020年12月6日 待降節第2主日礼拝 聖書;イザヤ書 59章12―20節 2020年11月22日 待降節第一主日礼拝 聖書;イザヤ書 2章2―5節 アドベントにはイザヤ書が読まれる。主イエスの生涯とイザヤ書は何が重なっているのか。イザヤ書はおよそ100年の時間を費やされた書物。時間が変わっても変わらないものを知っている。 2020年11月22日 終末主日礼拝 聖書;イザヤ書 53章4―6節 神の裁きを身代わりになって受けてくれる者。そういうものがいないと世界は前に進まないとイザヤは考える。身代わりになる。自分は裁かれる理由はないがそれを引き受ける。 2020年11月15日 聖霊降臨節第25主日礼拝 聖書;創世記 12章1―3節 私たちにも経験がある。自分の場所だと思っていたところから追い出される。愛するものと別れざるをえなくなる。暗い道に、寂しい道に放り出される。その道でうずくまるのも私たちの選択。だが聖書はその先を語る。 2020年11月8日 聖霊降臨節第24主日礼拝 聖書;創世記 11章1―9節 2020年11月1日 聖霊降臨節第23主日礼拝 聖書;ヨハネによる福音書 13章1―8節 主イエスは最後の夜に弟子たちの足を洗い始める。この話はヨハネ福音書にしかない。その大きな原因はおそらくはローマ帝国によるエルサレム神殿の崩壊。教会が大切にしている儀式の意味とは何か。それが「洗足」の物語で語られている。 2020年10月25日 聖霊降臨節第22主日礼拝 聖書;創世記 6章1―8節 ノアの洪水物語。ノアの家族と一つがいの動物たちだけば方舟で生き残る。ノアのように神様に素直に従うものであれば救われる。そのような物語としてここを解釈することが少なくない。だが、それが物語の意図なのか。 礼拝録画や伊藤牧師の講義などのビデオはここをクリック。 2020年10月18日 聖霊降臨節第21主日礼拝 聖書;創世記 3章1―7節 今日の説教は西川優子;日本聖書神学校4年生 です。 創世記は世界の始まりの物語。時間の始まりと言うより、「世界の根っこの根っこには何があるのか」を語る物語。世界の根っこ。そこでは神様が「これでいい」と言う言葉が響いている。 2020年10月11日 聖霊降臨節第20主日礼拝 聖書; 創世記2章7―9節 人間とは何か。聖書は創造物語を通して「人」について語る。人は土塊それに神の息が吹き入れられた。神の息が吹き入れられた「人」は何ができるのか 2020年10月4日 聖霊降臨節第19主日礼拝 聖書;創世記 1章28―31節 先の見えない現代。この状況にどのような対応をすれば正解なのか。答えがは見つからない。ただ、このような状況は人類史上、初めてのことではない。聖書の民もこれは知っている。いかなる状況がきても対応できるもの。 2020年9月27日 聖霊降臨節第18主日礼拝 聖書;申命記 8章2―8節 エジプトを出てから40年。約束の地に入る直前の状況が今日の聖書。苦しい旅路であったが、神に守られていた。ただ神はモーセに告げる。「この民は約束の地に入ればまた神を裏切る」と。それでも神は民と共にいる。 2020年9月20日 聖霊降臨節第17主日年長者祝福礼拝 聖書;ヨハネ黙示録 22章16―17節 黙示録は不思議な物語。 世界の根底、最後について語る物語。
悪の代表のような赤い獣にまたがった女が登場する。 この者が登場したかと思うとすぐに物語は、この者が地に倒れた、と記す。 どうして?と言いたくなる場面展開。 2020年9月13日 聖霊降臨節第16主日礼拝 聖書;列王記上 8章10―13節 「十戒」は「これこれのことをしてはならない」と禁止の言葉でつづられる。おそらく人はなんでもできる。
その人に向かって神はできるのは分かっている。 だからこそ「それをするな」という戒めを与える。 2020年9月6日 聖霊降臨節第15主日礼拝 聖書;ヨシュア記 3章14―17節 モーセの役目を継いだヨシュア。 目の前に広がる川の水をせき止めて、川の中にできた道を渡って行く。
これとよく似たことをモーセもしている。 よく似た話がモーセの物語とその後の物語に記されている。 ここから私たちは何を読み取るのか。 2020年8月30日 聖霊降臨節第14主日礼拝 聖書;コリントの信徒への手紙I 12章4−6節 「衝突」「争い」。 国どうしもあれば、個人の間でもある。
また、現実という「壁」と衝突することもある。 戦意を覚える相手と向き合った時、人はどうすればいいのか。 (子供向け礼拝の説教は西川良三 日本聖書神学校4年生です。) 2020年8月23日 聖霊降臨節第13主日礼拝 聖書;ヨハネによる福音書4章13−14節 すべてのものと離れている女が主イエスと出会う。
イエスは女に近づき声をかける。 「あなたの飲む水は一時、体を潤すがまた渇く。 私が与える水はその人の中でいつまでも湧き出る泉となり命の水となる」 2020年8月16日 聖霊降臨節第12主日礼拝 聖書;ヨハネによる福音書6章30~35節 (今日の説教は西川優子 日本聖書神学校4年生です。) 2020年8月9日 聖霊降臨節第11主日礼拝 聖書;マルコによる福音書9章2~8節 揺るぎない言葉。 動かない、止まった言葉。 今日の聖書の箇所に登場した三人。
主イエス、エリヤ、モーセ。 歴史上は一緒になることのない三人。
異なる歴史を生きてきたものだが、この三人には共通点がある。 2020年8月2日 聖霊降臨節第10主日礼拝 聖書;ローマの信徒への手紙6章22~23節 「信仰」を持つとはどういうことか。 信仰者の歩みとは一体どういうものなのか。
信仰を持つ前、持った後、何が変わるのか。 2020年7月26日 聖霊降臨節第9主日礼拝 聖書;出エジプト記17章1~7節 奴隷になっていたエジプトから約束の地へと旅するイスラエルの民。旅の途中、喉が乾いた民はモーセに文句を言う。つらい時、苦しい時、私たちは何をするのか。疑いだす。イスラエルの民は神を疑った。神は本当に一緒にいるのかと。 (今日の説教は西川良三 日本聖書神学校4年生です。) 2020年7月19日 聖霊降臨節第8主日礼拝 聖書;出エジプト記16章2~5節 聖書の民は自らの居場所を追われていく。 アダムとエバはエデンの園を追われ、息子のカインはアベルの殺した罪で家を追われ、バベルの塔では、勘違いした民が全世界へと散らされる。
私たちもコロナ禍の中、日常から追放されている。 2020年7月12日 聖霊降臨節第7主日礼拝 聖書;出エジプト記13章21~22節 出エジプト記。イスラエルの民は神に守られて約束に地に導かれる。
物語に登場するものたちには同じ特徴がある。 「今のままでいい」。 「あの時はよかった」。 過去、わかっている今、そこに留まりたい。 新しいところ、未来、そこには行きたくない。 2020年7月5日 聖霊降臨節第6主日礼拝 聖書;ネヘミヤ記9章9~15節 バビロニアに50年捕囚されていたイスラエルの民が帰還をする。 その民の中でネヘミアは荒廃した神殿を再建する勤めを負っていた。 神殿の再建、それは国を再建すること。
国、社会を作る。それはどのようになされるのか。 2020年6月28日 聖霊降臨節第5主日礼拝 聖書;ローマの信徒への手紙9章14~18節 世界観が変わる。 自分の見ている景色が一変する。
パウロは「回心」をしたと言われる。それは宗教の鞍替えではない。 世界観の一変。 その体験は私たちと無関係ではない。 2020年6月21日 聖霊降臨節第4主日礼拝 聖書;ローマの信徒への手紙7章21~25節 説教は西川良三神学生です。 2020年6月14日 聖霊降臨節第3主日礼拝 聖書;ローマの信徒への手紙6章3~4節 ローマの教会に宛てたパウロの手紙。 ここにはパウロの世界観が記されている。
その世界観は、私たちと異なるのか、同じなのか。
2020年6月7日 聖霊降臨節第2主日礼拝 聖書;ローマの信徒への手紙5章2~5節 どんなに祈っても、どんなに願ってもかなわぬものをあるとことを私たちは承知しています。
願っても叶えられないものがある。 ならば、願いなど無駄なのか。 祈りなど、必要ないのか。 神は私たちを最後には見捨てるのか。 2020年5月31日 聖霊降臨日礼拝 聖書;使徒言行録 2章1~13節 ペンテコステの物語は「空間」と「時間」を語っている。
時空という座標軸。 それは世界を表す座標軸。 空間を語る。 時間を語る。 世界を語り始める。 2020年5月24日 復活節第7主日礼拝 聖書;ローマの信徒への手紙 4章1~3節 パウロは先祖アブラハムを用いて「信仰」の大切さを語る。
アブラハムには子どもがいなかった。 それは神に祝福からもれているもの、と考えられていた。 満たされた人生を送れないもの。 それがアブラハムの自己理解となっていた。 2020年5月17日 復活節第6主日礼拝 聖書;ヨハネによる福音書 16章25節 (今日の説教は西川優子 日本聖書神学校4年生です。) この個所は、イエスの遺言。この世にとって、イエスや弟子たちは、敵であるような言い方。
そんな世にあってこれからも生きる弟子たちに、イエスの名前で祈れば、直接神様につながる。そんな道をつけてくださるという。 2020年5月10日 復活節第5主日礼拝 聖書;ローマの信徒への手紙 1章16~17節 パウロは新しい世界の見方、世界とは本当はこういう所、世界観を提示した。その世界とはどういうものか。一つの出来事から、それを考えてみたい。 2020年5月3日 復活節第4主日礼拝 聖書;ローマの信徒への手紙 3章21~22節 使徒パウロ。教会の礎を築いた者。この者の特徴は何か。 パウロは世界観を提示した。 それは主イエスに由来するもの。主イエスと出会う前のパウロの世界観。
すべての者は原因と結果で成り立っている。 この世界観の根底に潜んでいるものは何か。 2020年4月26日 復活節第3主日礼拝 聖書;ヨハネによる福音書 21章15~19節 人はなぜ自分を家族を愛していながら、世界を破壊するような方向に進んでしまうのか。 交換に依存する。 それは「愛」を限定するから。
もはやそれは愛ではない。 愛を失えば、破壊への道を辿っていく。
戦争で敗れたイスラエルが見つけた真実。 2020年4月19日 復活節第2主日礼拝 説教題; 聖書;ヨハネによる福音書 20章24~28節 弟子たちは扉に鍵をかけて集まっていた。そこにイエスが現れる。その場に居合わせなかった弟子の一人トマスはそれを信じない。「この指でその者の釘痕を確かめなければ」。主イエスと出会った弟子たち。そこにいなかったトマス。意見がぶつかってはいるがその世界観は同じ。 2020年4月12日 受難節主日礼拝 説教題;神の大きさ 聖書;ヨハネによる福音書 20章11~16節 ヨハネ福音書の世界観がある。私たちの世界はどのような世界か。変わる世界。変化する世界。エントロピーの法則に支配され、混乱、カオスへと向かっている。 2020年4月5日 受難節第6主日礼拝 説教題;神の義 聖書;ローマの信徒への手紙 1章1~32節 いかに生きればいいのか。先の見えない感染症の拡大。経済の打撃。自らの身体の心配。いかに生きればいいのか。その問いの前に私たちは立たされている。 2020年3月15日 受難節第3主日礼拝 説教題;私次第でないもの 聖書;創世記37章12~36節 創世記、ヨセフ物語を読み始めている。今日の聖書はヨセフが兄たちから穴に放り込まれる場面。登場人物たちの思いは皆バラバラになっている。だが、その一方で物語には一つの統一、構造がある。その構造とは何か。 2020年3月8日 受難節第2主日礼拝 説教題;次のところへ 聖書;使徒言行録28章11~30節 使徒言行録を読み終わる。後半の主人公はパウロ。パウロは一体、何を獲得したのか。パウロとは何者なのか。物語の最後にそのことを確認したい。 2020年3月1日 受難節第1主日礼拝 説教題;何も変わらない 聖書;使徒言行録28章1~10節 楽園で蛇は「お前には足りないものがある」と語りかける。難破して何も持たないパウロ。蛇を焚き火の中に投げ込む。すぐそばの者を愛する。そして物語こう結ぶ。「船出の時、人々は必要なものを持ってきてくれた」と。 2020年2月16日 公現後第6主日礼拝 説教題;物語のはじまり 聖書;創世記37章1~12節 キリスト者とは何か。キリスト者とは聖書の物語を信じるもの。今日からヨセフ物語を読み始める。ヨセフ物語の何を信じるのか。
2020年2月9日 公現後第5主日礼拝 説教題;覚悟と確信 聖書;使徒言行録27章1~12節 使徒言行録、パウロの物語が終わろうとしている。この船旅はパウロの人生を象徴するようなもの。パウロのみならず、私たちの世界を象徴する。
進もうとする目的地はある。しかしそこにたどり着こうとすると艱難に合う。 2020年2月2日 公現後第4主日礼拝 説教題;使命に生きる 聖書;使徒言行録26章24~32節 使徒言行録、パウロを主人公にした物語が終わろうとしている。この物語を記したルカは何故、パウロを主人公に仕立てたのか。初代教会で活躍した者は他にもいたはず。どうしてパウロなのか。 2020年1月26日 公現後第3主日礼拝 説教題;足跡の上に 聖書;創世記35章16~29節 族長物語はひとつの家族の記録が記されている。ここには史実としてではなく、リアリティが記されている。いつでも、どこでも通用するリアリティ。ラケルの死、子供達のこと、ここに語られているリアリティとは何か。 2020年1月12日 公現後第1主日礼拝 説教題;告白 聖書;使徒言行録26章1~11節 私たちは聖書をどのように読んでいるのか。パウロは法廷において弁明を始める。パウロが語りたいこと。人とはなんなのか。人は本来、どういう者なのか。聖書の言葉。特定の宗教の言葉ではない。人の本来について聖書は語る 2020年1月5日 降誕節第2主日礼拝 説教題;守られる命 聖書;マタイによる福音書2章13~23節 クリスマスの出来事とはなんだったのか。2020年を始める礼拝でクリスマスを通して私たちの歩み方について考えてみたい。ヘロデがベツレヘムの2歳以下の男の子が皆殺しにする。これを実行したヘロデは何を思っていたのか。 |