伊藤大輔牧師

伊藤牧師のプロフィール

1963年東京生まれ

1987年東京神学大学修士課程修了

南国教会、武蔵野横須賀伝道所、八王子めじろ台伝道所、

北千住教会、銀座教会、青山学院高等部、横須賀学院等を経て20154月より本多記念教会8代目牧師として着任。

 

説教とお祈り

(おことわり;以下の録音は本多記念教会の聖日礼拝での伊藤牧師の説教を教会員が録音録画したものです。録音状態が悪いところがあってもお見逃しください。なお、ここへの公開は牧師の了解を得てあります。)

 

青山学院大学での「キリスト教概論II」の講義録はここをクリック

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2021年12月26日  降誕節第一主日礼拝 

聖書;ヨハネによる福音書 1章1―4節

ヨハネが記すクリスマスの物語。(ことば)・ロゴス、ギリシャの世界では独特の響きを持つもの。原因を持っていない。私たちは原因を持っている。原因を頼りに自分を、他者を、世界を判断する。原因に縛られ、「私」「あなた」「世界」存在を把握する。

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2021年12月19日  クリスマス主日礼拝 

聖書;マタイによる福音書 1章18―25節

クリスマスの物語は私たちに何を語っているのか。マリアの突然の妊娠。ヨセフは分自分が父親ではないと。ただ、それでもヨセフはマリアと結婚をしたかった。だが、それはマリアの周囲で不測の事態が発生する可能性を含んでいた。

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2021年12月12日  待降節第3主日 

聖書;マタイによる福音書 2章1―12節

福音書は新しい世界を告げる物語。世界の始まり、創世記。アダム、エバ、カイン。足りないもに怯えたアダムとエバ。それを補おうと行動する。ならば彼らはどうすれば良かったのか。人類はこの問いにさらされている。

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2021年12月5日  待降節第2主日 

聖書;ルカによる福音書 2章8―15節

私たちにひとつの世界観がある。人の幸せは仲間に恵まれること。自分の命を自分のために使うこと。これらが私たちの幸福の条件だと思っている。私たちの心は仲間、命に執着し、すがり付いている。私たちにとって何が一番、大切なのか。

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2021年11月28日  待降節第1主日 

聖書;ルカによる福音書 1章26―38節

私たちは“今”を軽んじている。「過去」に起こした出来事に苦しんだりしている。「未来」に起こると思っている出来事に期待をしたりしている。今を「過去」「未来」によって色付けしている。ルカ福音書のクリスマスの物語は私たちのその感覚を反転させる。

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2021年11月21日  聖霊降臨後第26主日 終末主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 10章5―15節

本当の自分を知る。どうすればいいのか。「区別をしろ」とイエス様は言う。自分の意に沿わないもの。意見がぶつかるもの。敵の出かたを想像する。いつでも敵に心がある。執着、固執が始まる。

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2021年11月14日  聖霊降臨後第25主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 10章1―4節

マタイ福音書はイエス・キリストの系図から始まる。その結びには「バビロンへ移されてからイエス・キリストまで」と記されている。ここにマタイの歴史観がある。バビロン捕囚はまだ終わっていない。

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2021年11月7日  召天者記念礼拝

聖書;マタイによる福音書 9章35―38節

収穫は多いのに働き人が少ない。どうしてか。そこに何があるのか見えていないから。どうして見えなくなるのか。曇っているから。目が、心が。なぜ曇るのか。

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2021年10月31日  聖霊降臨後第23主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 9章32―34節

山上に説教の最後でイエス様は「私の言葉を聞くだけではダメだ」、「行え」と言われる。それに続くのが奇跡物語。奇跡は私と関係がない、というものではない。私たちは奇跡とどのように関係しているのか。

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2021年10月24日  聖霊降臨後第22主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 9章27―31節

心はどのように整えれば良いのか。私の賜物はどのように見出せば良いのか。山上の説教の後、主イエスは連続して奇跡を行っている。それらの出来事の中で変わらないものがある。主イエスはそれぞれの相手に「信仰」を確かめている。

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2021年10月17日  聖霊降臨後第21主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 9章18―26節

人はどのようにすれば自分の賜物を見失わないでいられるのか。どこで自分の賜物に気がつくのか。今日の聖書は二つの物語が組み合わさっている。「組み合わせ」に意味がある。

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2021年10月10日  聖霊降臨後第20主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 9章14―17節

あなたは地の塩、世の光。私の賜物、私の使命。どうやって見つけられるのか。新しいものと古いものを一緒にするな、とイエス様は言う。

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2021年10月3日  聖霊降臨後第19主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 9章9―13節

あなたは地の塩、世の光。私はこの世界で掛け替えのないもの。私のどこが?私の何が?塩、光、これに出会うためにはどうしたら良いのか。

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2021年9月26日  聖霊降臨後第18主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 9章1―8節

イエス様の奇跡物語。これは特定の時間と場所に起こった出来事の報告ではない。いつでもどこでも起こる私の物語。中風のものがイエス様のところに運ばれてくる。この者を見てイエス様は罪の赦しを宣言する。

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2021年9月19日  聖霊降臨後第17主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 8章28―34節

イエス様が悪霊を追い出す話。奇想天外な話が時々聖書にはあるが実はここにリアルがある。人に張り付いた悪霊。山上の説教からの続きで読めば、この悪霊の見当がつく。

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2021年9月12日  聖霊降臨後第16主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 8章23―27節

弟子たちが湖を渡ろうと船を漕ぎ出し嵐に襲われる。転覆しそうになる船の中で大慌てをして眠っているイエス様に訴える。「私たちは溺れそうです。助けてください」もっともな懇願。だがこれに対してイエス様は呆れて答える。「信仰が薄い」

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2021年9月5日  聖霊降臨後第15主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 8章18―22節

イエス様は一人に「人の子には枕するところもない」と言い、もう一人には「父の葬儀より、私に従え」と言う。私たちにとって財産、富は大切なもの。家族は大事なもの。イエス様は本当に富や家族を否定しているのか。

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2021年8月29日  聖霊降臨後第14主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 8章14―17節

イエス様が癒しをする。触れて癒す。言葉で癒す。マタイの8章には二つの癒しのスタイルが記されている。イエス様の行う癒し。これは何を私たちに告げているのか。

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2021年8月22日  聖霊降臨後第13主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 8章5―13節

イエス様が語った山上の説教。心を乗っ取られるな。病気の部下のためにイエス様のところに来た百人隊長。この者の信仰にイエス様は感心する。立派な信仰とは何か。

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2021年8月15日  聖霊降臨後第12主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 8章1―4節

山上の説教「心の貧しい人々は幸いである」。 「貧しい」の反対語は「豊か」。私たちは「豊かさ」を求める。富、人、力、多く集めれば集めるほど豊かになると信じている。それは心が乗っ取られている。

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2021年8月8日  聖霊降臨後第11主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 7章24―29節

山上の説教が終わる。主イエスが山上の説教で語られてきたこと。あなたたちは誰しもが世界に必要な「味」を持っている。「光」を持っている。ただそれは心が自由でなければ見つけることができない。

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2021年8月1日  聖霊降臨後第10主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 7章21―23節

「自由でいなさい」 この命題を果たすにはどうしたらいいのか。 「自由になれば良い」 と答えた時に、矛盾を抱え込む。 「自由でいなさい」との言葉に支配されているのだから自由ではない。 この命題を果たすにはどうしたら良いのか。

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2021年7月25日  聖霊降臨後第9主日礼拝

聖書;マルコによる福音書 6章34―44節

イエス様が語られた山上の説教。聞けばご利益があるものではない。行わなければ意味がない。心を掘り下げろ。あなたの心にある私の心の奥底にある宝を掘り当てろ。あなたは地の塩、世の光。

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2021年7月18日  聖霊降臨後第8主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 7章13―14節

狭い門から入りなさい。そこから入れ。ただ多くの人は広い門を選ぶ。その門は先につながらない道。閉じた道にしかなっていないのにそれを選ぶ。イエス様が言う「狭い門」「広い門」とはどういうものか。山上に説教ですでにこの答えは出ている。

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2021年7月11日  聖霊降臨後第7主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 7章7―12節

あなたは塩、光。イエス様は私たちを勇気付ける。ただ同時に現実も語る。せっかく塩なのに、光なのにそれを簡単に捨てる、と。どうして捨てるのか。

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2021年7月4日  聖霊降臨後第6主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 7章1―6節

イエス様の山上の説教は続く。今度は「裁くな」と言う。裁くことを我慢しろと仰っているのではないことはここまで聞いてきたものなら見当はつく。なにをしろとイエス様は言いたいのか。人を裁く時の私たちの心はどうなっているのか?

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2021年6月27日  聖霊降臨後第五主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 6章25―34節

イエス様がなさった山上の説教。「幸いなもの」との言葉から始まる。たくさんの言葉を費やしているが言われていることは多くない。ひとつだけ。

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2021年6月20日  聖霊降臨後第四主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 6章22―24節

心の灯は目。その目が濁っていれば心までが暗くなっている。イエス様は「心」「光」について語る。目が濁る。心が暗いとはどういうことか。

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2021年6月13日  聖霊降臨後第三主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 5章43―48節

山上の説教のはじめ。心の貧しい人々。義に飢え渇いているもの。義のために迫害されているもの。そういう人々は幸いだ、という。どうしてか。そのようなものはとても幸いとは思えない。それが私たちの普通も捉え方。

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2021年6月6日  聖霊降臨後第二主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 5章1―5節

頑張っている。つらいが必要なことだから頑張っている。「仕事」と同じでなはないか。頑張る。必要だから。そして、誰だって望む。この仕事を評価してくれ。わたしを褒めてくれ、と。その者のことをイエス様は「偽善者」と言う

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2021年5月30日  三位一体主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 6章16―18節

イエス様の言葉は「心を乗っ取られるな」 「人」「富」「力」。心は簡単に支配される。

隠れたところ。心の奥底。人が入り込んでいない私だけの所。そこで祈れ。そこが真の祈りとなる。祈りは私の願いを神に報告する行為ではない。

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2021年5月23日  ペンテコステ礼拝

聖書;使徒言行録 2章1―15節

ペンテコステ。教会の誕生日。それは同時に「人」の誕生日でもある。「人」とは何か。「人」が自らを発見する日でもある。

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2021年5月16日  復活節第7主日

聖書;マタイによる福音書 6章5―7節

祈っても願いがかなえられない。祈りになんの意味があるのか。祈りとは何か。イエス様は大通り、街角で祈りをささげる者を偽善者と言う。ただこれは人の分類ではない。私たちの心の在り方を示している。

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2021年5月9日  復活節第6主日

聖書;マタイによる福音書 6章1―4節

富、プライド、時間など私に付随しているものに私たちは心奪われてしまう。それを私自身と勘違いして心奪われ振り回される。他者を愛する。それが大切な掟。他者に心を奪われないこと。どうやって両立させるのか。

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2021年5月2日  復活節第5主日

聖書;マタイによる福音書 5章43―48節

「心構え」、主イエスは、それらは表象に過ぎない。それを求める者があれば「与えてやれ」と言う。「敵を愛する」、キリスト教の教えで誰しもが戸惑う言葉。だが「心構え」があれば、この言葉に戸惑う必要はない。

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2021年4月25日  復活節第4主日

聖書;マタイによる福音書 5章38―42節

心構え。相手に対して、社会、時代に対して。どのような心で私たちはいればいいのか。イエス様は私たちの「心」の「構え方」について語っている。

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2021年4月18日  復活節第3主日

聖書;マタイによる福音書 5章33―37節

「当たり前」を行っている時に人の心に生まれているもの。主イエスはそれを指摘する。「誓いを立てるな」と主イエスは言う。評価をされる自分。その自分は本当の自分か。

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2021年4月11日  復活節第2主日

聖書;マタイによる福音書 5章27―32節

人の妻。これは私次第ではないもの。自分の妻。これは私次第なもの。なぜ、私たちは「私次第でないもの」「私次第なもの」この区別を混同し、出口のない迷宮に迷い込むのか。

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2021年4月4日  復活節第1主日イースター礼拝

聖書;マタイによる福音書 28章1―10節

タラントンの譬え話。自らのタラントンを引き受け、それを増やす。タラントンの譬えは主イエスご自身のものではなかったのか。それは十字架にかかること。

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2021年3月28日  受難節第6主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 25章14―30節

タラントンの譬え話。商売を題材にしている。商売で私たちが心配するのは、元金がなくなったらどうしよう。ところが主イエスの譬えには、そういう者が登場しない。なぜか。

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2021年3月21日  受難節第5主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 5章21―26節

わだかまり」は放っておけば、次第に心が乗っ取られていき、いつでも意識をし、露見しないようにし、自分の正当性を主張し、引っ張られ、乗っ取られ奴隷にされる。

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2021年3月14日  受難節第4主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 17章1―8節

10時半礼拝の説教は西川良三神学生です。

子供向け礼拝の説教は西川優子神学生です。

  

 

2021年3月7日  受難節第3主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 16章13―23節

10時半礼拝の説教は西川優子神学生です。

子供向け礼拝の説教は西川良三神学生です。

  

 

2021年2月28日  受難節第2主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 5章17―20節

子供向け礼拝の説教は西川良三神学生です。

常識を守る。伝統を重んじる。決め事を守り、業績をあげる。良いことであるが、「きちんと生きる」とは必ずしも重ならない。「きちんと生きる」とはどういうことか。

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2021年2月21日  受難節第1主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 4章1―11節

今日の説教は西川良三神学生です。

  

 

2021年2月14日  公現後第6主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 14章22―36節

今日の説教は西川優子神学生です。

  

 

2021年2月7日  公現後第5主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 5章1―12節

イエスは山上の説教で言う。「義のために飢え乾くものは幸いだ」と。常識では幸いではない。なぜ、イエスは「避けたいもの」「経験したくないもの」を「幸い」と言うのか。

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2021年1月31日  公現後第4主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 5章17―20節

本日の説教は西川良三神学生です。

9時礼拝(子供向け礼拝)の聖書のお話はマタイによる福音書4章23~25節です。

子どもに心配事が起こった時、親は「空腹」「多忙」「物欲」それらを全部忘れて子どものために何ができるのかを探し求め実行する。自分を忘れ子どもに没頭する。自分を忘れる。それが自分を捨てること。その行為を「愛」という。伊藤牧師の説教要旨はここをクリック

  

 

2021年1月24日  公現後第3主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 4章12―16節

悪魔の三つの誘惑に共通しているもの。「自分を大事にしろ」のすすめ。正しい普通の言葉。だがイエスはこれを悪魔の言葉とする。一番は「神」だ。ならば「神」とは何か。

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2021年1月17日  公現後第2主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 4章1―11節

イエス様は、出会った人には誰にでも、「私について来なさい。君たちを人間を取る漁師にしよう」と言われます。今の教会でも、同じことが言えると思います。

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2021年1月10日  公現後第1主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 2章13―23節

イエス様はヨハネから洗礼を受けた。「神の子だから、必要ないのでは」とヨハネも思った。柔らかい心は、自分は「神の子」だから、これで良い、と決めつけない。

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2021年1月3日  降誕節第2主日礼拝

聖書;マタイによる福音書 2章1―12節

2021年、不安と共に始まった新年であるが、「永遠」が私たちと共にある。私たちの命は「永遠」。変わらぬ私たちであればこそ語れる喜びがある。この年も喜びを宣べ伝えるものでありたい。

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