藤木正三 牧師

プロフィール

1927年 大阪府に生まれる

関西学院大学大学院修士課程修了(神学)

1955年 日本基督教団教師

大阪千鳥橋教会牧師に就任

1961~63年 コペンハーゲン大学留学

1964年 日本基督教団京都御幸町教会に転任

1981~1990, 1993~1996年 聖和大学兼任講師

1993年 病気引退

2015年 召天

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著作集・講演録音

 

灰色の断

 

続 灰色の断

神の風景

―灰色の断想―

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灰色の断想

福音は届いていますか

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生かされて生きる

この光にふれたら

教会生活の手引き

教会の職務

書評

谷口隆之助著「愛と死の思想

神の指が動く

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系図のないもの

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講演録音 

風は思いのままにふく

講演録 

真っ直ぐに創造を信じる

 藤木牧師を語る会の報告

 

 

 

著書:「灰色の断想」(1975年 ヨルダン社)

「教会の職務」(1979年 日本基督教団出版局)

「神の風景―人間と世界―」(1985年 ヨルダン社)

「福音はとどいていますか」(1992年 共著)

「この光にふれたら」(1996年 日本基督教団出版局)

「系図のないもの」(2000年 近代文芸社・ダビデ社)

「神の指が動く」(2004年 ダビデ社・いのちのことば社)

「真っ直ぐに創造を信じる」(2009年 復活之キリスト穂高教会)

「生かされて生きる」(2014年 いのちのことば社)

訳書:「セーレン・キェルケゴール伝」J.ホーレンベーヤ

(1967年 ミネルヴァ書房、大谷長他共訳)

「キェルケゴール」 G.マランツ (1976年 ヨルダン社)

「キリスト教談話」キェルケゴール

キェルケゴール著作全集 第11巻、1989年 創言社」、

「苦悩の福音」キェルケゴール

キェルケゴール著作全集 第9巻、2002年 創言社」、

共同執筆

「キリスト教人名辞典」(1986年 日本基督教団出版局)

「希望の旅路」(2001年 日本基督教団出版局)

 

藤木正三牧師の思いで

私(本多謙)は1970年6月ころから1973年3月の大学卒業まで3年10か月、京都の御幸町教会に住んでいた。Voriesが設計した煉瓦造りの重厚な礼拝堂に続いてその半分ほどの大きさのホールに寮と称する空き部屋が3部屋あり、その1つに寝起きしていたのだが、同じ敷地に牧師館があり、そこに藤木正三牧師ご一家も住んでおられた。約4年間藤木先生とおなじ敷地に住み、毎週礼拝や祈祷会で先生の説教や聖書のお話しを聞いていた生活を思い出すと今でも懐かしい。

 

藤木先生は当時40代後半。毎日のほとんどを牧師館で過ごされていた。自己の内面に沈潜した思索の日々を送られていたのだろう。それが礼拝説教で話されたりした。内省的な雰囲気で、口ごもった口調で訥々と語られる先生の説教は聞き取り難かったが、良質な、最後まで聞かせるものだった。だが婦人たちからは「先生の説教はむずかしゅうてようわからへん。」との声もあった。週報にたまたま空いた小さな空間に先生がキリスト教用語を使わないでメッセージを載せるようになったのはこうした事情もあっただろう。

 

祈祷会の後の雑談で、藤木先生から、ご自分が幼年時代に今とは全く違うどんなに陽気な少年だったかを伺ったことがある。陰気でも陽気でもなく、ひたすら訥々と誠意をもって聖書の話をされた後なので、嘘でしょう、と私が言ったら、人々の間で踊っているご自分の小さなころの映像があるのだというお話しだった。先生は藤木工務店の跡取りとして生まれ、周囲の期待を一身に集めて育ったが、次第に社会運動や教会運動にのめり込み、藤木工務店を弟が継ぎ、ご自身は牧師の道を進むことになった。この変遷は先生の自意識や羞恥心の強さ、繊細さなど、持って生まれたどうしようもないものが原因だっただろうし、金持ちであることの引け目もあったろう。断想集を読むと、自分の生まれながらの、どうしようもない物の為に親や周囲の期待に添え得なかった思いや、こうでしかあり得なかった自分がどう生きてゆくかを真剣に悩んだことが行間から漏れてくる。

 

週報のコラム記事が何週間も続き、教会員からこれをまとめて本にしようという声が出たのが断想集の発端だ。この話しを聞いて先生は最初辞退されたそうだ。「自分の独白を本にするなんて、そんなつもりで書いたんじゃない。」と或る本で書いておられたが、たぶん「照れ臭かった」のが本音ではないか。団体の指導者になろうとか、本を出して有名になろう等のお気持ちは全く無かったと思う。逆に、ご自分が牧師に相応しい仕事をしているかをいつも問いておられた。祈りの中でいつもご自分を「(しもべ)は」と言っておられた。だから唐突に牧師を辞任すると言い出した時、教会員達は「お子たちもまだ小さいし、行き先もきまっておらへんのに」と言って遺留に動き、それが後年繰り返されることになった。

 

病気引退まで28年間、一つの教会の教会員に深く受け入れられ続けたことは特筆に値するだろう。さらに申せば、このことはクリスチャン人口が1%に満たないと言われる日本で、藤木牧師のスタイルが多くの非クリスチャンを引き付ける可能性があるとは言えないだろうか?